ニュース事例による評定の演習問題〜その2:王様は誰?〜
〜社会科学入門レポート具体例〜ダチョウの楽園仮説〜
「常識を疑い」、「マスメディアの見方から離れ」、「社会現象の本質を見極めよ」

暁 美焔(Xiao Meiyan) 社会学研究家, 2021.2.6 祝3.5版完成!

1. ニュース事例による評定の演習問題

 「従軍慰安婦強制仮説」は誰もが知っている分かり易い歴史問題であり、ニュース事例を利用した疑似科学評定の演習問題として最適だろう。 社会学を志す者は、常識を疑い、マスメディアの見方から離れ、社会現象の本質を見極める必要がある。 日本社会が隠し続ける闇の正体を実感する事により、 単に評定の演習になるばかりでなく、社会学入門レポートの良き演習テーマにもなろう。

 前ページで記した「トンデモ歴史検出キット(偽史ホイホイ)」の検討項目に加え、道徳的判断を正当化する根拠が有るかについても検討する。 道徳的判断が正当化されない場合、通常、本人に罪悪感を、それを目撃した第三者には嫌悪感怒り報復など強い感情的反応を引き起こす。 そして人は非道徳的な行為の犠牲者になったり、それを目撃した場合に、一般的にその行為者を処罰したいという強い願望をもつ。 道徳的判断が正当化されない場合、 復讐を正当化するための道徳的大義名分を作り上げる。 「復讐を正当化するための大義名分」とは原子爆弾投下という非人道的行為の道徳的判断を正当化するための根拠である、真珠湾攻撃南京大虐殺を例に考えれば理解しやすいだろう。 社会の各方面に深刻な状況が発生するはずなので、これについても検討する。 「正当化できない(現実世界と対応していない)」のではないか、そしてテレンス・ハインズの指摘する「反証可能性の欠如」、「立証責任の回避」、「検証への消極的態度」、「進捗の欠如」などの条件が揃っていないか、調べてみよう。 それに加えて「疑問を持たせない」、「対立する仮説の提案は許さない」、「論証できない仕組みを作る」、「論点をすり替える」、「論証は無視する」、「論証する者を激しく人身攻撃する」などの手法によって疑問生成、仮説提案、検証のサイクルが停止していないか、調べてみよう。 「この問題をホロコーストと同列に扱う」、 という「ヒトラーカード」が使われて「悪魔への制裁」が行われていないかも調べてみよう。

 学問の世界では仮説は正しい事もあれば間違いである事もある。 最良の歴史記述の説明に至る議論の7つの条件を示したC. Behan McCullagh氏はその著書「歴史記述の正当化」において、 「歴史記述を最終的に証明する方法は存在しない。できるのは正当化する事だけである。」と述べている。 歴史学者達は公の場で何が何故、最良の歴史仮説なのかを議論すれば良いだけである。 仮説が間違っていたところで、何ら恥じる事はない。 しかしこの「従軍慰安婦強制仮説」に関しては疑問を挟む政治家が告発されたり、 歴史研究者が政治家に告発される現象が何故起きるのか、その理由も考えてみよう。 単なる歴史仮説である「従軍慰安婦強制仮説」が、イデオロギーとして神聖化され、議論が許されない状態に陥っていないかどうかも調べてみよう。 歴史学の世界において「最終的に証明する方法が存在しない」と認識されている「歴史学の手法」が、 絶対的な真実を導く方法であると主張されていないかについても調べてみよう。

 また、ここで記したような科学的思考によって生成される疑問について、「持つ事」が奨励されているか、それとも「持たない事」が奨励されているか、どちらであるかを調べてみよう。 論証をする代わりに集団で議論を封殺するかのような手法が取られていないかを調べてみよう。 念のため、カール・セーガン博士の提唱したトンデモ話検出キットを使ってチェックしてみよう。 更に再確認するため、「強いわれわれ感情」、「モラルの幻影」、「直接的圧力」、「心の警備」、「満場一致の幻影」などの集団思考の兆候が起きているかを調べてみよう。 強制仮説に疑問を持つ者に対して以下のような「同調圧力」をかけ、 沈黙による「コンセンサスによる真実」を目指していないかチェックしてみよう。
  1. 少数意見を有する者に対して物理的に危害を加える旨を通告する
  2. 多数意見に逆らうことに恥の意識を持たせる(「恥を知れ」等)
  3. ネガティブ・キャンペーンを行って少数意見者が一部の変わり者であるとの印象操作をする(レッテル貼り等)
  4. 「一部の足並みの乱れが全体に迷惑をかける」と主張する(「一部の歴史の逆行を企む者が、関係改善を妨げている」等)
  5. 少数意見のデメリットを必要以上に誇張する(「世界がドン引きする」等)
  6. 同調圧力をかけた集団から社会的排除を行う(「ホームページを検索対象から外す」等)
そして集団思考に関連する誤謬である、 チェリー・ピッキング希望的観測道徳主義の誤謬怠惰な帰納年代に訴える論証伝統に訴える論証特例嘆願前提のごまかし無敵の無知論証モラルに訴える論証井戸に毒を入れる誤謬偏見に訴える論証悪意に訴える論証決め付け言葉罵倒の誤謬威力に訴える論証吐き気を催す論証プープーの誤謬衆人に訴える論証、 が使用されていないかも調べてみよう。 更に再再確認するため正当化論証で考え出した「最小の仮説」と比べる事により、強制仮説が歴史学の研究方法における最良の仮説とされる7つの条件を果たして満たしているかどうかも調べてみよう。 「ミリュー制御」が行われ、 その「最小の仮説」が公式の場で存在しない事になっていないかについても調べてみよう。

 評定の演習はここまでであるが、社会学についても学ぶためにまずはこの社会現象の状況分析してみよう。 この議論には何らかのプロパガンダの技術が使用されていないか、調べてみよう。 また、「仮説を信じない者に対して嫌悪感を抱く」などの現象が現れていないかを調べ、 この仮説を信じる事自体が規範として内面化されていないか調べてみよう。 そしてモラル・パニックが起きていないかを調べてみよう。 「悪魔化」の現象が起きていないか、及びここで記したような疑問を語る事自体や、考え出した「最小の仮説」を語る事が社会の敵を擁護するものとしてタブー視されてないかを調べてみよう。 もし、タブー視されている場合には、この社会が守ろうとしている社会規範或いは不文律とは一体何なのかを考えてみよう。 歴史学者達が研究活動をする代わりに政治活動司法を批判する理由とは一体何故なのかも考えてみよう。 そして「ある仮説が社会から無視される理由」が、「検討する価値がない仮説であるため」或いは「論議の窓」の外の仮説であるため」のどちらであるかを判断する方法を考えてみよう。

 集団思考に陥ると戦前の日本が「日米開戦」を決断したように、以下のような集団内の合意形成の努力の結果として、欠陥のある決定(リスキーシフト)を下すと言われている。
  1. 代替案を充分に精査しない
  2. 目標を充分に精査しない
  3. 採用しようとしている選択肢の危険性を検討しない
  4. いったん否定された代替案は再検討しない
  5. 情報をよく探さない
  6. 手元にある情報の取捨選択に偏向がある
  7. 非常事態に対応する計画を策定できない
この仮説が日本に対して「どのような復讐」を正当化するための大義名分を生み出すのかを考えてみよう。 そしてこの仮説を社会的影響によって規範化しようとしている者達には上のような兆候がないかについても調べてみよう。 この仮説を規範化した後で「全会一致の精神論」で平和と友好を願い続けていれば、果たして日韓の間に平和と友好が実現されるのかについても考えてみよう。

 他の論争を参考にして、この問題の解決方法を考えてみよう。

不毛論争の仕組みとある国の100年不毛論争とある国のまた新しい不毛論争
ゴール好きな話を答えに、嫌な話を間違いにする正義の話を答えに、悪の話を間違いにする
考え方好きな話におかしい所があっても気にしない正義の話におかしい所があっても気にしない
答えの決め方おかしい話でもみんなが好きな話が答えおかしい話でもみんなが正義とする話が答え
答えが出ない時前提の「楽浪郡平壌説」は絶対に疑わない正義の話を生み出す前提は絶対に疑わない
嫌な話を聞いたらみんなで無視。嫌な話は無い事にする(駝鳥)みんなで無視。悪の話は無い事にする
嫌な話をする人に嫌な話をする奴がいるからダメなのだ、と言って怒る悪の話をする奴がいるからダメなのだ、と言って怒る
解決の方法駝鳥達は100年たっても解決できないどうやって解決すれば良いか考えてみよう

解決方法を考える際には、とある国の過去の問題の解決方法も参考にしてみよう。

とある国の過去の不毛戦争
ゴール戦争に勝つ話を答えに、負ける話を間違いにする
考え方戦争に勝つ見込みが無くても気にしない(駝鳥)
勝敗の決め方見込みの無い話でもみんなが勝利を信じれば勝てる
戦況が悪化したら大本営発表を信じ、疑わない(駝鳥)
負ける話を聞いたらみんなで無視。「神州不滅」を信じて疑わない(駝鳥)
負ける話をする人に「そんな奴がいるから負けるのだ。この非国民め」と言って怒る
解決の方法駝鳥達には解決できず、昭和天皇聖断を下す
駝鳥達の末路原子爆弾投下無条件降伏シベリア抑留朝鮮半島分断

 解決方法は一見無いように見えるかもしれないが、そうではない。 オットー・フォン・ビスマルクは「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」という言葉を残している。 歴史から学ぶ姿勢があれば、過ちを繰り返さないための対策が見つかるはずだ。 これらの現象は全て、仮説を信じる事自体が規範として内面化されているために起きている現象である。 そしてこの仮説には「神州不滅」や「楽浪郡平壌説」に対応するような、イデオロギーの精神的支柱となっている「正しいとされている概念」(ドグマ)があるはずだ。 その概念の正体が何かさえ理解すれば、解決方法も見えてくるかもしれない。

 カール・フォン・クラウゼヴィッツ等の多くの戦略家は「悪魔化が国家レベルで行われた時、敵を殺す事にためらいがなくなって外交的解決を不能にし、残虐行為の悪循環に陥り、関係悪化や戦争が避けられない。」と警告してきた。 そして現実に「シオン賢者の議定書」のような虚偽資料を信じた者たちが政権を取り、組織的強化によって国民を駝鳥化し、ユダヤ人を国家レベルで悪魔化した国があった。 その国家がユダヤ人に対して一体何をしたのかを調べてみよう。 そして、この仮説を信じている国では「ミリュー制御」が行われていないかを調べてみよう。 その国では組織的強化によって斉一性の原理が成立していないかも調べてみよう。 その国においては、この仮説が日本人を国家レベルで悪魔化していないかも調べてみよう。 この仮説が生み出す結果としてどのような可能性があるかを考え、過ちを繰り返さないためにはどうすれば良いかも考えてみよう。

 「集団思考」に陥ると、 「モラルの幻影」という現象が現れ、 集団に固有の道徳性についての絶対的な信頼を持ち、グループのメンバーは彼らの判断がもたらす倫理的あるいは道徳的な結果について無視する傾向があるとされる。 この仮説を信じている日本人達は、この仮説が生み出す結果について深く検討しているかどうかを調べてみよう。 日本と韓国が戦争を避け、真の友好関係を確立するためには、今この時点で何をすべきかについても考えてみよう。 マスメディアはこの問題に対して、どのように行動すべきかについても考えてみよう。

 関東大震災の時には「放火・強盗・強姦・掠奪 驚くべき不逞鮮人暴行」などと朝鮮人に対して報復を煽り、 そのような報道を原因として起きた事件に対して何の責任も取らなかったのは誰なのかを調べてみよう。 また、中国との争いで泥沼の「埋没費用の誤謬」となる事が予想できた「満蒙問題」を、 必ず確保すべき「日本の生命線」であると吹聴して関与をエスカレートさせたのは誰かについても調べてみよう。 国際連盟の脱退を決断した松岡洋右を、マスメディアはどのように報道したのかについても調べてみよう。 日中戦争が始まると「百人斬り競争」を賞賛し、 残虐行為を奨励したのは誰なのかについても調べてみよう。 社会的影響力を利用して国民を率先して駝鳥化し、 精神論で勝てるとして対外強硬論を推進して開戦への「場の空気」を作り出し、 日本を戦争へと導いた「本当のA級戦犯」とは誰だったのかについても考えてみよう。 戦争が始まると「鬼畜米英」などという悪魔化のプロパガンダも推進して多くの戦犯を育て上げた「戦犯の親玉」は誰なのかについて考えてみよう。

 「軍国主義」では「意見を表明し、異議を唱える権利」が侵害されると言われる。 「熱狂はこうして作られた」等を参考にして、日本の「軍国主義」とは誰がどうやって作り出したどのような体制だったのかについて、考えてみよう。 そしてこれらの無責任な報道姿勢を最後まで貫き、 戦局が悪化しても国民に真実を伝えようとせず、 ドイツが敗北してもソ連軍参戦の危険性を全く国民に伝えずに多くの人達の人生を破滅へと導いた「諸悪の根源」は誰だったのかについても考えてみよう。 そして戦後は「軍国主義に強制された」などというウソ物語を作り出して言い逃れ、 歴史から学ぶどころか経験からも何も学ばず、 もう一度社会的影響力を利用して国民を再度駝鳥化し、 日本という国家の未来や国民の安全を犠牲にしてもなお、 軍国主義に責任転嫁し続けている、 自己批判を知らない厚顔無恥な「歴史修正主義者の親玉」は誰なのかについても考えてみよう。

 余裕があれば「疑問を持つ」という科学的思考の原点を放棄する事なく、 「バグダッド大虐殺」などの歴史上の他の虐殺事件について調査して疑問を生成し、 日本軍のその他の虐殺事件についても評定してみよう。 その説を信じている核兵器を持った国家が、日本人を国家レベルで悪魔化していないかも調べてみよう。 日本を悪魔化しているアジア諸国と日本が、「外交解決が不可能な状態」に陥っていないか、調べてみよう。

 ここで述べたような事を考える事自体が、禁止されていないかについても考えてみよう。 現在の日本社会には本当に「意見を表明し、異議を唱える権利」が存在するのかについても考えてみよう。 権利が存在しない場合、何故存在しないのか、その理由についても考えてみよう。 平和とは与えられるものではなく、作り出すものだと言われている。 戦前の日本人は全会一致で勝利を信じていれば戦争に勝てると信じて失敗したが、 この仮説を信じる者達は全会一致で平和を願っていれば平和が達成できると信じていないか調べて見よう。 日本が戦前と同じ過ちを犯す事なく、近隣諸国と平和を達成するためにはどうすれば良いかについても考えてみよう。 「歴史とは、合意の上に成り立つ作り話以外の何物でもない」と述べたのはナポレオン・ボナパルト である。 我々は子孫に呪いをかけるような合意をしても良いのかについても考えてみよう。 例え知らないフリをしていても、未来の残虐行為の犠牲者達はこう言うでしょう。 「いいや、あなたたちは知っていた」と。

応援メッセージが続々!
辻褄が合わなくても気にしない人達が多過ぎるのが日本社会の問題点の本質ですね
わざわざこんな検証しなくても、「トンデモ話検出キット」だけで十分じゃないでしょうか?
歴史学者達は一体どんな検証や議論をしてきたのでしょうか?まさかインドネシアの例だけで断定?
歴史学者達が「通説」を決定する基準って、「議論の結果」ではなく「物言えぬ空気」の達成だったなんて!
「歴史学のスタンダード」って、ポリコレ棒で殴りあって決めるのですね
「歴史学の通説」って、フェミニストの活動家達が大声で騒いでいればそれで決まるのですね
「少女像」って親日派女性の像だったんですね

2. プロパガンダに役立つ「ヒトラー語録」

 アドルフ・ヒトラーは次のような言葉を残している。
 政治目的のために理念を打ち出して「言論弾圧」という卑怯な手段を正当化して国民を思考停止させる行為は政治暴力である。 そして人々の感情に訴えてウソをつき、政治暴力で責任転嫁する行為は単に「知識人の公正さ」が無いばかりでなく、 「ハイル・ヒトラー!」である。

 しかし、このヒトラー語録にはこの問題を解決するヒントがあろう。 この問題は下手な応答ばかりするから「言い逃れ」と考えられてしまうのだ。 「どこの国にも慰安婦制度が存在した」とか「どこどこの軍隊はこんな残虐行為をした」などと反論しても、 罠にハマって「責任回避」と判断され、「卑怯者」と非難されるだけだ。 「知的責任」を貫いてひたすら「真実は何か」を追求すべきであろう。 日本軍の犯罪だと批判する以上、立証責任は相手側にあり、相手の主張の根拠を聞き出してそれを検証するだけで良いはずだ。 個人経験による証言は「事例証拠の誤用」という誤謬に陥っている疑いがあり、その証言が現実世界と対応していると確信するための立証責任は、仮説を主張する側に存在するのである。 根拠を示そうとする者には、その根拠が誤謬である事を示せば良い。 根拠を示すつもりのない者には、立証責任を果せと批判すれば良い。 根拠を示さないまま批判する者には、いわれのない中傷であると批判すれば良い。

 この問題は学術界、教育界、マスメディアに「立証責任」の概念と、その立証責任を果すための「正当化」の概念が存在しない事によって発生した問題である。 そして日本人が「立証責任は仮説を主張する側に存在する」という事を知らないから、このような大問題に発展してしまったのだ。 この問題は「立証責任」と「正当化」の概念を日本社会に浸透させるだけで解決される。 これらの概念を社会に浸透させる方法は必ず存在するはずだ。

 「愛と真実は憎しみと虚偽を征服しなければならない」という言葉はヴァーツラフ・ハヴェルのスローガンであった。 「生まれた時から他人を憎む人などいない。人は憎むことを学ぶのだ。」という言葉はネルソン・マンデラの格言だ。 「悲喜の感情は一代限りだが、怨念は世代に渡り歴史を作る」という言葉は糸川英夫の、 「正気から切り離された幻想は信じがたい怪物を生み出す」という言葉はフランシスコ・ゴヤの格言だ。 「憎しみからは何も生れない」 こんな基本的な事も知らずに架空の事件を作り出して怨念を刷り込む事に正義を感じる者達を、 我々は許してはなるまい。

応援メッセージが続々!
マスコミって「物言えぬ風土」を作って、日本人を黙らせてきたんですね
物言えぬ風土」って「不正の温床」じゃないのですか?
マスコミは「加害者だった事を忘れるな」と言いますが、自分達が加害者だった事は忘れたみたいですね
嫌な映画を見せられたのは平和のためだと教えられましたが、実は大人のエゴだったなんて
この問題の本質とは、マスコミ報道を鵜呑みにしてしまった人達にどう真実を伝えるべきかなのですね
歴史学とマスコミが始めた問題なのだから、歴史学とマスコミが責任を持って解決すべきですね
社会が誤謬で満ち溢れているのに、社会学者達は気にしないみたいですね
モラルパニックが起きているのは明白なのに、社会学者達は問題にしないみたいですね
フェミニズムという学問は、ダメ学問が多い社会学の中でも相当ダメですね

3. 満州史の真相 〜満州鎮魂〜

 「邪馬台国論争の真相」や「楽浪郡平壌説の真相」、「従軍慰安婦問題の真相」等は確かに日本社会における巨大な禁忌(部屋の中のゾウ)である。 しかしこれらのゾウ達は、日本最大の巨ゾウを隱した部屋を守っている「守護ゾウ(Guardian Elephant)」に過ぎない。 日本社会にはこれらの禁忌ですら足元にも及ばないような「最大の禁忌」が隠されていると言えるだろう。 その「最大の禁忌」を暴く事が許されないために日本人は論理的思考をしてはならず、 その結果としてこれらの禁忌もまた、暴かれる事がないのかもしれない。 日本社会にはまだまだ他にも巨大な闇が隠蔽されているのだ。 その「禁忌の中の禁忌」とは社会全体が一致団結して封印してしまった「満州史の真相」であろう。 ここでは読者が「満州の惨劇」について理解しているものと仮定して記述する。 もし何の知識も無い場合には、先に「邪馬台国論争を巡る社会の真相」(truth.html)の第二章「日本社会のパンドラの箱」に目を通しておいて下さい。 以下においては某団体が作成し普及させた「軍国歌謡」の名曲とされる「満州行進曲」の歌詞を紹介し、 日本社会が隠し続ける恐るべき闇を明らかにする。

過ぎし日露の 戦いに 勇士の骨を うづめたる 忠霊塔を あおぎ見よ
赤き血潮に 色そめし 夕日をあびて 空たかく 千里曠野に そびえたり

酷寒 零下三十度 銃も剣も 砲身も こまのひづめも 凍るとき
すはや近づく 敵の影 防寒服が 重いぞと 互いに顔を 見合わせる

しっかりかぶる 鉄かぶと たちまち作る 散兵壕 わが聯隊旗 ひらひらと
見あげる空に 日の丸の 銀翼光る 爆撃機 弾に舞い立つ 伝書鳩

戦いやんで 陣営の かがやきさへる 星の下 黄色い泥水 くみとって
かしぐ飯かうに 立つ湯気の ぬくみに探る はだ守り 故郷いかにと 語り合ふ

面影さらぬ 戦友の 遺髪の前に いまひらく 慰問袋の キャラメルを
ささげる心 きみ知るや 背嚢枕に よもすがら ねむれぬ 朝の大吹雪

東洋平和の ためならば 我らが命 捨つるとも 何か惜しまん
日本の 生命線は ここにあり 九千万の 同胞(はらから)と 共にに守らん 満州を

 この曲が作られた経緯を調べ、この曲を作った団体は本当に軍国主義に強制されてこれを作ったのかどうかを調べてみよう。 「権益擁護は厳粛」などの戦前の社説を調べ、その団体は本当に軍国主義に強制されて仕方なく社説を書いたのかも調べてみよう。 満州にはどのくらいの日本人が何故居住していたのかを調べ、どのくらいの人間が何故どのような運命を辿ったのかについて調べてみよう。 もしドイツの降伏が近付いた時点でマスコミが不都合な可能性の報道を自粛していなければ、それらの悲劇は避けられたのかどうかについても考えてみよう。 当時の日本人は何を考え、破滅の日が近づいている事にどうして気付かなかったのかについても考えてみよう。 また戦後マスコミは引揚者の悲劇をどのように報道してきたのかについても調べてみよう。 もしマスコミが報道してこなかった場合、どのような口実でこれを語る事を禁忌としてきたのかについても調べてみよう。 この曲を作成した団体は、自らが行ったプロパガンダに共鳴して満蒙開拓移民に参加した人達の悲劇に対し、何か謝罪してきたのかについても調べてみよう。 その団体が戦後、加害者責任の報道に熱心だった理由とは何故かについても考えてみよう。 その団体は引揚者の悲劇が知られないように「ミリュー制御」を行って來たかについても調べてみよう。 また、精神的にも肉体的にも多大な傷を負った引揚者達に対し、 戦後の日本社会はどのように対応してきたかについても調査してみよう。 引揚者についての記録を初めて本格的に記した上坪隆氏のドキュメンタリー「水子の譜」に対し、 歴史学者、社会学者そしてマスコミはどのような議論と評価をしてきたかについても調べてみよう。 沖縄戦死者や原爆犠牲者の慰霊式典は毎年行われてきたにもかかわらず、 24万人にも及ぶ満州の引揚犠牲者への慰霊式典は何故行われないのかについても、 その理由を考えてみよう。 原爆犠牲者達よりも残虐に殺されていった者達を日本社会が慰霊しようとしないのは何故かについても考えてみよう。 東京大空襲、沖縄戦、原子爆弾などの惨劇は詳しく語られてきたにも関わらず、 満州での惨劇についてマスコミが一切報道してこなかった理由は何故かについても考えてみよう。

 「失敗の最たるものは、失敗した事を自覚しない事である」と述べたのは、 イギリスの歴史家トーマス・カーライルである。 しかし「臭い物にフタ」という諺があるが、 マスコミは原子爆弾の惨劇よりも恐るべきこの「満州の惨劇」を本当に封印してしまった。 マスコミに騙されて送り込まれた満州の生き地獄から帰って来た者達は、 想像を絶する苦悩を抱えていたにも関わらず、 人前で泣く事すら許されずに死ぬまで耐え続けるしかなかった。 そんな彼らに対し、マスコミは非情にも決して日本社会に居場所など作らせなかった。 それも当然だろう。 マスコミは自分たちが送りこんだ満州への移民達を救い出す責任があったにも関わらず、 満州に取り残されて苦しんでいた者達を見捨ててしまったのだ。 そして満州からようやく引揚て来た者は皆、ソ連を憎悪する反共主義者であり、 左翼マスコミへの敵対者でしかなかった。 そんな者達に関する報道をすれば、彼らの顧客が反ソ連、反共産主義、反マスコミになってしまうだけだ。 だからマスコミは彼らの存在自体を徹底的に無視する事にしたのだ。 それどころかソ連を賛美する報道を繰り返し、 彼らの忌しい古傷をえぐり続けても恥じる事など一切なかった。 マスコミは「被害者であった事より加害者であった事を認識せねばならない」という人間の良心に訴えるような美しい理由を作り出し、 加害者責任を自覚する事を社会規範とする事にした。 これによって満州での惨劇に関する報道自体を封印する事に成功したのだ。 そればかりか「関東軍は住民を見殺しにして逃亡した」などというウソ物語を作りだし、 国民の怒りをマスコミや共産主義ではなく軍国主義に向かうように誘導したのである。 「満州の悲劇」とはマスコミが移民達を満州に送り込み、 マスコミが移民達に神州が不滅である事を信じさせ、 マスコミが不都合な可能性を移民達へ報道しなかった事によって生み出された惨劇である。 しかしマスコミはこの惨劇を単にパンドラの箱に封印してしまっただけではない。 「極悪非道な軍国主義」というイメージを作り上げ、悲劇の責任を全て軍国主義に転嫁してしまったのだ。 こうしてマスコミは軍国主義に対する否定的な評価を定着させる事に執着し、 そのような評価に疑問を持つ者達を「歴史修正主義者」として糾弾してきたのだろう。 マスコミの非道な犯罪行為を封じ込めたパンドラの箱を守り続けるために。

 歴史とは、ありのままに伝えていくべきものである。 記憶は忘れてもいけないし、美化しても卑下してもいけない。 「ひとたび嘘をつくと、いい記憶が必要になる」と述べたのは、 ピエール・コルネイユである。 例えどのような方向であっても記憶を都合良く改竄すれば、 それを誤魔化すためにさらなる過ちを生み出すからだ。 しかし、日本のマスコミが行ってきたのは記憶の忘却と美化である。 彼らは「軍国主義に強制された」というウソ物語を作り出し、 「軍国主義」をスケープゴートとするために、 記憶の歪曲や捏造というさらなる過ちを繰り返して来たのだ。 そして社会的影響力を利用してそれらを「ウーズル」とした。 日本社会の最大の禁忌とはマスコミが作り上げたのだから、マスコミが愚民化政策を取るのも当然だ。 マスコミは各種プロパガンダ技術を駆使して日本人の思考を停止させ、 「ミリュー制御」を行って日本人を疑問を持たないダチョウの集団にしてしまったのだ。 それだけでなく外国政府や国際団体までも動かして国際問題と化し、 世界的なレベルで強固な「組織的強化」までしてしまった。 そんな事をして来たのは日本の将来のためでも近隣諸国との友好のためでもない。 全ては自らの保身のためである。 国民が歴史の真実を知ってしまった時こそ、それは彼らが破滅する時なのだ。 だから真実など誰も知らなくても良いし、誰も知ってはいけないのである。 国民には歴史学者の主張をそのまま鵜呑みにさせておけば良い。 彼らには「知識人の公正さ」も無ければ、 社会的影響力に相応しい「ノブレス・オブリージュ」もない。 マスコミに歴史問題を解決させる意志などあるはずがない。 このような者達の主張を信じて人生を棒に振った者達は憐れである。

 歴史修正主義者には二種類いると言う。 一つ目は先頭に立って歴史を捏造している一部の人達であり、 もう一つはその捏造歴史を疑う事無く信じて付いて行くだけの大勢の人達だ。 捏造歴史を作り出し、 それを疑う事なく信じて付いていく大勢の人達を作り上げ、 外国政府や国際団体の力を使って圧力をかけたり、 「悪魔への制裁」、 「赤狩り」、 「ヒトラーカード」、 「人種カード」、 「女性カード」というような醜悪な方法で人々の思考を停止させようとする者達を許してはなるまい。 日本人はいい加減に目を覚まし、マスコミの正体に気付くべきである。 彼らこそが「戦犯の親玉」であり、正真正銘の「歴史修正主義者の親玉」である。 「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」というのはカナダの精神科医エリック・バーンの名言だが、 マスコミとは他人も過去も変えてしまうような影響力を持っている「社会の王様」なのだ。 マスコミ報道を鵜呑みにしている者達とは、 「嘘つきの王様」を崇拝するように愚民化された「役に立つ馬鹿」なのだ。 彼らは王様が唱える規範に疑いを向ける人間達を「社会秩序を乱す悪人」と考えて攻撃するように洗脳された、 マスコミの捨て駒に過ぎない。

応援メッセージが続々!
マスコミが満州の惨劇について語ろうとしない理由が理解できました
このような悲劇を経験してもなお、反省する事のない人達が世の中には現実に存在するのですね
自らの悪行は封印し、責任をすべて軍国主義に転嫁する事でマスコミは生き延びたのですね
日本のマスコミが日本を貶める偏向報道ばかりする理由は長い間謎でしたが、ようやく理解する事ができました
マスコミが「過去を直視せよ」などと説教する姿には、開いた口が塞がりませんね
「マスコミを信じてはいけない」というのは歴史の教訓だったんですね
「日本人は歴史を忘れた民族だ」というのは本当の話だったんですね
言われてみると、某団体の旗は「戦犯旗」にソックリですね
某団体に騙されて満州に渡って傷を負った人達の古傷を、 某団体は金もうけのためにえぐり続けてきたのですね
某団体って虐げられた人々を踏み付けても痛みを感じないのですね
某団体の前には、ソ連兵に蹂躙された女性の銅像を置くべきですね
日本のマスコミが歴史学の欺瞞を隠蔽するのは、「歴史学がマスコミの欺瞞を隠蔽してくれるから」なのですね
日本の歴史学がマスコミの欺瞞を隠蔽するのは、「マスコミが歴史学の欺瞞を隠蔽してくれるから」なのですね
日本人にとって真実を探求するための論理的思考とは、 「出来ない」のではなく「してはいけない」のですね
マスコミ報道を鵜呑みにすると思考力が落ちていく理由が理解できました
社会が禁忌と欺瞞とプロパガンダで満ち溢れているのに、 日本の社会学者達は問題にしないみたいですね
日本の社会学って歴史学者達を狂信する事が社会的正義であるかのように、某団体に洗脳されたんですね
日本の社会学が追求しているのは、「真実よりもポリコレ」なんですね
日本のマスコミと歴史学、社会学が一致団結して国民から思考力を奪い、 偽歴史を浸透させてきたのですね
日本社会って「誤謬の要塞で守られた砂の城」ですね

4. 社会学入門レポート具体例〜ダチョウの楽園仮説〜

 「歴史を学ぶと、我々は歴史から学んでいない事が分かる」と述べたのは哲学者として名高いヘーゲルである。 しかし社会学を志す者は、哲学者のように嘆いているだけではダメだ。 社会現象を研究し、その本質を見極める必要がある。 日本のマスコミが歴史から学ぶ事なく無責任な失敗を繰り返してきたのには、 何らかの社会的な理由が有りそうだ。 その原因を突き止めるのは、社会学入門レポートのテーマとして最適だろう。 以下においては、その原因を説明する仮説として四つの仮定を行い、 この社会現象の説明を試みる。 これらの仮定をマスコミによる「ダチョウの楽園仮説」と呼ぶ事にする。 この仮説を検証する事は、レポートの具体例として非常に面白いはずだ。

  1. マスコミは「真実」とは自分たちが社会的影響力を用いて作り出す概念だと考えている(第一仮定)。
  2. マスコミは支持者(読者)を獲得するために大衆が喜ぶような主張を「真実」だと報道する(第二仮定)。
  3. マスコミは支持者に「真実」を疑う者達を批判させ、自らは支持者を喜ばすための報道に専念する(第三仮定)。
  4. マスコミによって生成された「ダチョウの楽園」は、 以下のパターンを繰り返す事により維持される(第四仮定)。 これをマスコミによる国民の「ダチョウ化のサイクル」と呼ぶ事にする。
    1. マスコミは支持者(読者)を獲得するために、何らかの大衆が喜ぶような主張を始め、 それが「真実」であるかのように報道する。
    2. ウーズル効果」を用いてその主張を「ファクトイド」とする。
    3. ある時点で帰還不能限界点を越え、後は突っ走るのみ。
    4. 社会的影響力を用いてその主張を社会において内面化させ、 信じない者達は逸脱者とされるように仕向け、逸脱者はダチョウ化される。
    5. 社会的影響力を用いて「組織的強化」を行い、 集団思考による同調圧力が起きるように誘導し、国民全体がダチョウ化される。
    6. 「主張が予言する世界」と「現実世界」は時間と共に次第に乖離していく。 或いは時代の変化と共に、その主張は時代遅れとなる。
    7. マスコミは主張が真実ではない事に気付くが、 もう帰還不能限界点を越えており、 路線を変更する事ができない。 そのため、不都合な可能性について検証する報道を自粛する。
    8. 不都合な可能性に気付く者が増えてくるが、 このような逸脱者への対処は内面化された者達にを任せ、 マスコミは自らがダチョウになって傍観する。
    9. やがて主張の間違いが明かにされ、悲劇が起きる。 或いは、その主張には誰も興味が無くなり、社会から忘れられる。
    10. 主張を信じて異端者を排斥してきた者たちは自らの過去の行動を恥じ、 過去の行動について追求されるとダチョウになる。
    11. マスコミはスケープゴートを探し出して責任転嫁し、 新な支持者を獲得するために方向転換して別の主張をし始める。
    このパターンが実現される過程については「ダチョウ社会の生成過程(author.html)」において、 更に詳しく説明する。

 第一仮定から、マスコミには「真実を報道すべきだ」という責任感が存在しない事が説明できる。 マスコミは「真実」とはどのように判断すべきかを、そもそも理解していないからだ。 不都合な可能性を報道しない理由もこれによって説明できる。 報道する事によって不都合な可能性が「真実」となってしまう事は許されないと考えるからだ。 結果として不都合な可能性の方が「真実」である事が明らかになっても、 マスコミは何の責任も取らない理由も説明できる。 それは何者かの責任によって自分達の「真実」が実現できなかっただけで、 自分たちの責任ではないと考えるからだ。 関東軍が総崩れとなる事が予想できなかったのは自分達の責任なのではなく、 総崩れとなった関東軍に責任があると考えるのである。 世界最強と言われたドイツ軍戦車部隊を壊滅させたソ連軍の前に、 現実の世界では神風など吹くはずがなかったにもかかわらず。 このようなマスコミ報道を信じて関東軍に神の加護があると信じた者達は哀れである。 マスコミは神州が不滅ではなかった時も、満州が日本の生命線ではなかった時も、 北朝鮮が地上の楽園ではなかった時も、社会主義が人間を幸せにする体制ではなかった時も、 何の責任も取らなかった。 これも自分たちが悪いのではなく「真実」の方が悪いと考えるためである、と説明できる。

 第二仮定から、神州は不滅であるという偏向報道を続けていた理由も説明できる。 神国日本には神風が吹くという主張が、日本人の心を喜ばせたからだ。 関東軍に現実に神の加護があるかどうかなど、どうでも良い話だったのだ。 戦況が悪化しても大本営発表を続けた理由も、 それが日本人の聞きたい内容だったからだと説明できる。 邪馬台国論争が何世代経っても解決されない理由もこれにより説明できる。 邪馬台国が日本国内にあったという主張は、100年経っても変る事のない、 世代を越えた願望であるからだ。 もちろん、邪馬台国が現実にはどこにあったかなど、全くどうでも良い話である。 マスコミが学界の考古学的確証の調査結果の提灯記事発表報道してきた理由もこれにより説明できる。 マスコミが満州帰還者の存在など無視し、 ソ連を賛美する報道を繰り返して彼らの忌しい古傷をえぐり続けても恥じる事など一切なかった理由も説明できる。 満州からの帰還者は皆、反ソ連、反共産主義者であり、左翼マスコミの顧客ではなかったため、 読者でもない彼らの心情など気にする必要など無かったからだ。 マスコミは彼らの新たな支持者である左翼達が喜ぶ報道さえしていれば良かったのだ。 日本のマスコミが日本を貶める偏向報道を続けてきた理由もこれにより説明できる。 戦後の日本人全体が過去の軍国賛美を恥じ、スケープゴートを求めていたからであると考えられる。 「軍国主義に騙されていた」というのは戦後の日本人が聽きたかった主張だったからだ。 そのような報道が現実世界においてどのような結果を生み出すかなど、 どうでも良い話である事がこれにより説明できる。 日韓関係がどのように悪化してもマスコミが全く気にする事がない理由も説明される。 戦後は平和憲法を守るべきだという主張を始めた理由もこれにより説明できる。 それは「戦争はもう嫌だ」という、戦後の日本人の聞きたい話だったからであり、 それが現実世界で本当に日本を守るかどうかなど、どうでも良い話であろう。

 第三仮定から、マスコミが過ちを繰り返して来た理由も説明できる。 逸脱者達への直接の圧力は「主張を内面化した者達」に任せ、 マスコミは安全な場所で傍観していたためである。 安全な所に隠れていたのでマスコミに対する責任が追求された事がなく、 失敗から学習する機会が存在しなかったためだと説明できるのだ。 社会的圧力をかけて軍事行動への批判を許さない社会の空気を作り出した「軍国主義の親玉」とは、 他ならぬマスコミであった。 しかしマスコミの影響で間違った主張を信じる事を内面化されていた者達は、 正しい主張をしていた者達を批判してしまった自らの行動を恥じ、 その問題を話題にしたがらなかった。 日本人は軍国主義に騙されていたのではなく、 本当は無責任なマスコミによってダチョウにされていた事には気付かなかった。 そしてマスコミは安全な所で責任を逃れ続けてきたから反省する事も無く、 「真実」を見極めるための検証能力を学習する事もなかったのである。 無責任なマスコミ報道を信じた結果としてソ連兵に数十万人が強制連行され、 女性達は赤子を見知らぬ中国人に托して逃亡した上にソ連兵に繰返し集団レイプされ、 男性達は妻や娘を目の前で集団レイプされた上、 極寒の地で数年間に渡って強制労働させられるという想像を絶する屈辱を経験してもなお、 マスコミが失敗を反省する事も無ければ失敗から学習する事も無く、 相変わらずの現実離れした無責任な報道を繰り返して來た理由もこれによって説明できる。

 第四仮定から、「ダチョウの楽園」が世代を越えて維持されてきた理由も説明できる。 マスコミが歴史から学ぶ事なく、 この愚かな「ダチョウ化のサイクル」を何度でも繰り返してきたのだから。 このようなマスコミに指導された日本人は、 現実世界を見ようとはせずに社会的影響で「真実」を確定しようとしては失敗を繰り返す「ダチョウの群れ」である。 そしてどの世代においても日本人が本質的には変わっていない事も説明できる。 世代毎にマスコミが主張する方向が異なるだけで、思考方法は同じである事が説明できるのだ。 歴史問題が不毛論争になる理由もこれにより説明できる。 信じる事自体が内面化されているため、論理的な議論などする事ができないためだ。 日本人が「一億総ダチョウ化」されてきた理由もこれにより説明できる。

 「卑怯者は安全な時だけ居丈高になる」というのはドイツの文豪ゲーテの残した名言だ。 社会学を志す者は先人達の英知に学び、社会現象の本質を見極め、それに基づいて対策を考えるべきである。 我々はこの社会現象の本質であるマスコミの戦争責任を追及し、 まずは彼らを安全な場所から引きずり出すべきである。 慰安婦問題について例えどれだけ争ったところで、マスコミにとって所詮それはスケープゴートに過ぎないからだ。 彼らの思惑通りに責任を回避されるだけでなく、 社会的影響力を利用した各種プロパガンダ技術によって罠にはまってしまうだけだ。 そもそも問題の本質を放置し、 マスコミによって信じる事を内面化した者達とどれだけ戦ったところで、 彼らは所詮人格攻撃しかしないのだから真実が明らかにされる事はない。 それに卑怯者達は安全な場所から別のスケープゴートを生み出していくだけで良いのだ。 新たなる「守護ゾウ」を作り出すために。

 我々は真実を聞き、真実を学び、真実を探求し、真実を語り、真実を守らなくてはならない。 不都合な真実と正面から向き合い、不都合な真実を記録し、歴史の教訓としなくてはならない。 「過ちを犯すことは恥ずべきことではない。 むしろその過ちがわかった後も、その過ちを改めようとしないで、繰り返すのは恥ずかしいことだ。」 と述べたのは、 フランスの哲学者ジャン=ジャック・ルソーである。 恥ずべきなのは負の歴史を持っている事ではなく、その負の歴史を認めようとしない事なのだ。 我々には無責任な戦犯達によって封印されてしまった不都合な「満州史の真相」を未来へと記録する責任があろう。 そして「地球上で最大の権力を持つ組織はメディアだ。 奴らは無実の者に罪を着せ、罪深き者を無実にする力を持つ。 これこそが権力だ。 奴らは大衆の心を操っている。」と述べたのは、 マルコム・Xである。 我々には厚顔無恥な歴史修正主義者達によってスケープゴートとして祭り上げられた、 祖父達の汚名を晴らす責任があろう。 これ以上、歴史修正主義者達によって日本が貶められるのを放置してはいけない。 我々はダチョウである事に安住するのを止め、 恥ずべき「嘘つきの王様」と闘う決意をすべきだろう。 日本の将来のためにも、マスコミには認識論に基づいた検証が必要である事を学習させねばなるまい。 現実世界における「真実」とは何かを判断できないような愚かなマスコミに導かれた国家は同じ過ちを繰り返し、 次なる破滅へと向かうだけである。

応援メッセージが続々!
この国の社会学って「嘘つきの王様に愚民化され、社会現象の本質が理解できなくなった」ようですね
マスコミっていい加減な規範を作って国民にそれを信じる事を強制し、それが間違っていても何の責任も取らないのですね
マスコミのウソ物語がこの国を破滅に導いた歴史を忘れてはいけませんね
歴史を忘れた民族に未来は無い」って言葉がありますけど、あれは名言ですね
親日の歴史を忘れてしまった韓国人にも未来は無さそうですね
韓国のマスコミって、植民地時代に日本のマスコミの無責任なやり方を学んだのでしょうか?日帝残滓ですね
この国の歴史学や社会学は「嘘の温床」ですね。この国の大学は「嘘の製造工場」ですね
「立証責任など果さなくても良い」、「反対論証など無視すれば良い」というこの国の風潮は学者達とマスコミがお手本ですね
マスコミ、歴史学、社会学、フェミニスト、そして韓国人も皆、帰還不能限界点を超えたので、破滅するまで嘘をつき続けるしかないですね
「法も事実も立場が弱ければ、ひたすら罵倒せよ」という言葉がありますが、この人達はもう罵倒し続ける以外に道はありませんね
歴史問題が解決されないのは、誰も歴史の真実に向き合えないからだったんですね
この国が「嘘つきの天国」となってしまったのは、「嘘つきの学問とマスコミ」に責任がありますね
この国の人達はやっぱり、バカばっかりですね
こんな人達に歴史問題を任せておくと、ロクな結果になりませんね
問題になっていることに沈黙するようになったとき、我々の命は終わりに向かい始める」そうですが、 この国の命は終わりに向かってますね
早く嘘つき共からこの国の歴史を取り戻さないと、我々の命は終わりですね
邪馬台国の場所は「この国を嘘つきの王様の手から解放するキッカケ」となりますね


「知的責任」を果たして社会的圧力と戦い続ける朴裕河教授や「反日種族主義」の著者達に敬意を表します。 間違った信念に基いて行動する国家の行先に待っているのは破滅だけです。 あなた達こそが真に偉大なる歴史学者であり愛国者です。

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