邪馬台国論争を巡る社会の禁忌
〜ニセ科学批判者がネトウヨ認定される理由〜社会学入門レポートテーマその1〜

暁 美焔(Xiao Meiyan) 社会学研究家, 2021.2.6 祝3.5版完成!

1. 邪馬台国論争の真相

 「邪馬台国論争を巡る社会の真相(truth.html)」において、 邪馬台国論争をめぐる驚くべき真相を説明します。

2. 日本の社会科学における禁忌

2.1 社会科学における検証方法の核心は認識論

 世界における社会科学の進歩から取り残されないようにするために、 日本社会でも「自然科学と社会科学の融合」が叫ばれ続けている。 しかし残念ながらまるで水と油のように融合する事はなく、 日本の社会科学のレベルは世界水準から程遠いのが現状である。 その理由とは一体何故だろうか? 社会科学とは本来、 科学的思考に由来する客観的視点によって社会の真実を探求する学問である。 確かに政治学、宗教学、倫理学などの社会科学では自然科学と異なり、 「客観的真理」よりも「政治的真理」、「道徳的真理」、「実用的真理」などを追求し、 「正当化」の論証ではなく「真理の合意説」や「真理の実用説」などによって真理を追求する事がある。 しかし歴史学という学問は実証主義に基づいて「ただ事実を記すべき」の学問である。 歴史学が探求すべき「真理」とは、「政治的真理」でも「道徳的真理」でも「実用的真理」でもなく、 自然科学と同じ「客観的真理」だからだ。 歴史学においては自然科学と同様に認知バイアスや誤謬を排除し、 科学的方法に基いた検証作業が必須である。 「真理の合意説」や「真理の実用説」は排除されねばらない。 それ故に歴史学は科学の一種として考えられているのだ。

 世界の社会科学において「客観的真理」を追求するための仮説の検証作業に使用されている学問とは、 「認識論」である。 この認識論こそが真実を追求してきた人類が思考錯誤して積み上げてきた英知であり、 仮説が真実である事を確信するためにはどのような検証が必要かを説明する学問だ。 しかし日本社会ではその「認識論」自体が実はパンドラの箱に封印され、 仮説が現実世界と対応している事を確信するための「正当化」の論証がされてはいない。 残念ながら歴史学を含めた日本の社会科学の世界では科学的思考を受け入れてなどいないのだ。 それどころか「自然科学と社会科学は役割分担すべきだ」とさえも言われている。 これは「科学的思考の勢力は実験結果を整理して自然科学の真理だけを追求していれば良い。 社会科学の成果に対し、正当化などという検証概念を覚えて科学的思考を適用させてはいけない」というのが実態であろう。 だから「歴史学研究法」の日本語のページには、 そもそも認識論についての記述がほとんどされていないのだ。

2.2 認識論を排除してきた日本の歴史学

 社会科学において「認識論」が封印されて科学的検証がされて来なかったとすれば、 日本社会において「自然科学と社会科学の融合」が実現できない理由も説明できよう。 日本の社会科学においては「真理の合意説」や「真理の実用説」に基づいて「客観的真理」が排除され、 「政治的真理」、「道徳的真理」、「実用的真理」などを追求してきた可能性がある。 その場合、社会的啓蒙に不都合な仮説を社会的影響を用いて組織的に排除する事で、 疑似科学に陥っている危険性が有るのだ。 社会科学の成果、中でも客観的真理を追求すべき歴史学の成果は学問の水準を満たしていない危険性が高い。 これまでの歴史学の成果は、科学的思考の勢力によって全て根本から再検証されねばなるまい。

 日本の学術界には「自己の専門研究が及ぶ範囲を自覚」というルールがあるが、 これこそが日本社会の禁忌を守り続けている強固な要塞なのだろう。 間違った研究成果を尊重する必要など全くないのに、他分野の専門家は口を出してはいけないのだから。 「進歩が生まれるのは、多様性の中の選択からであって、画一性を保持するからではない」とは、 イギリスの評論家ジョン・ラスキンが述べた言葉である。 学問とは決して独自の体系に閉じこもっていてはいけない。 他分野からの検証を積極的に受け入れて様々な視点から検証してこそ、学問は進歩するのである。 社会科学や人文科学が「実験ができないから科学ではない」というような理由で認知バイアスや誤謬を許容しても良いはずがない。 日本の学術界自体が、疑似科学を保護する強固な体制を作り上げ、学問の発展を阻害しているのだ。 「自然科学と社会科学の融合」が実現しないのは当然の結果であり、 このような愚かなルールは今すぐ撤廃すべきである。 歴史学者達は、他分野からの検証結果に積極的に回答しなくてはならないはずだ。 それなのに、現実の日本社会においては歴史学者達は他分野から批判に対して回答する必要が全くないのである。 それだけでなく、誰もそれを問題としないのだ。
 例えば上に列記したような疑問が、認識論に基いた他分野からの疑問の例である。 しかしこのような疑問を出したところで、日本の歴史学者達が検討する必要は無い。 それだけでなく、このような疑問を歴史学者達に出す事自体が禁止されているのだ。 「自己の専門研究が及ぶ範囲を自覚」という社会のルールに抵触するのだから。 これこそが日本人から思考能力を奪い、愚民化を実行してきた日本社会のルールである。 しかしもし日本人が認識論に基いて議論など始めたとしたら、 邪馬台国が日本列島に存在したはずがない事が誰の目にも一目瞭然となってしまうだろう。 長い間封印されて來たパンドラの箱を守り続けるためには、 日本社会はこのルールを機能させたままにしておく必要があるのだ。 愚民は愚民のままでいれば良いのだろうか。

2.3 認識論ではなく先行研究に基いた日本の歴史学

 「313年に高句麗は朝鮮半島北部へ進出し、楽浪郡を滅ぼした」。 学校で重点項目として必ず記憶させられるこの歴史事件には、実は根拠などない。 正史である晋書には記述がなく、 三国史記に「313年に美川王は楽浪郡を攻めて捕虜2000人余りを捕獲した」との記述が、 そして「313年に高句麗と戦っていた遼東郡太守張統と楽浪郡太守王遵が謀って鮮卑慕容部に帰順し、慕容カイが張統を楽浪郡の太守、王遵をその参軍事とした」という記述が資治通鑑晋紀にあるだけでる。 歴史書には、楽浪郡が滅ぼされたとか、楽浪郡の場所が移動したとかという記録がないばかりでなく、楽浪郡が313年の後も存続している事が記されている。 これは永嘉の乱で事実上滅亡した西晋の楽浪郡と遼東郡の刺史達が、鮮卑慕容部に帰順する事を選択したという記録である。 そもそも正史に載っていない時点で、これが日本の子供達が必ず覚えないといけないような重大な事件でない事は明らかである。

 しかし、日本の歴史学者達はこの事件を自分達のイデオロギーに沿うような物語に編集し、 学校教育で子供たちに「313年に高句麗は朝鮮半島北部へ進出し、楽浪郡を滅ぼした」と最重要項目として教え、楽浪郡平壌説に疑問を持たないように洗脳している。 その真相は歴史学者達が単に「楽浪郡を朝鮮半島から消滅させるタイミング」を歴史書で探しても、 この事件以外に見つからなかったために「313年に高句麗が楽浪郡を滅ぼした」という歴史事件をでっち上げただけであるにも関わらず。 そして「楽浪郡が朝鮮半島を420年間支配した」などという「大きなウソ」を子供達に教育しているのである。 日本の歴史学者達とは、歴史書の記述を解釈して歴史を構築しているのではない。 偉大なる先人達の先行研究の蓄積に沿うように歴史書の記述を適当に解釈し、 社会的影響力を駆使してそれを史実としているとしか考えられない。 だから偉大なる先行研究の成果である「楽浪郡平壌説」に沿って歴史書を適当に解釈し、 壮大な虚構の古代史を構築してしまったのである。

 楽浪郡平壌説に疑問を持ってはならず、 楽浪郡平壌説以外の仮説を提案してはならず、 楽浪郡平壌説以外の仮説を検証してはならない。 「可能性がある」程度の確証に過ぎない「楽浪漢墓」や「楽浪太守封泥」をもってして楽浪郡平壌説の「絶対的な確証」だと強弁し、 社会的影響を最大限に利用して楽浪郡平壌説以外の異論を排除している。 「疑問生成、仮説提案、検証」という、科学的思考のサイクルによる探究が存在しない。 それどころか楽浪郡平壌説を守り続けるために、 学校教育において子供たちに何の根拠もない作り話を固定観念として刷り込んで洗脳しても恥じる事はない。 問題意識など存在せず、 100年経っても邪馬台国論争が疑似問題である事に気付くことは無い。 いや本当は歴史学者達はとっくの昔から間違いに気付いている。 しかし真実に到達してしまった歴史学者達は恐しさの余り、皆ダチョウになってしまったのだ。 だから歴史学者達は邪馬台国の研究には全く興味が無いのである。 このようなニセ学者達の主張を信じて人生を棒に振った数多くの者達は、 哀れとしか言い様がない。

2.4 疑似科学を見抜く事ができない日本の社会学

 歴史学には客観的な根拠を示し、 論理的な考察を行うことで、他者を納得させられる研究方法が求められる。 「正常性バイアス」、 「感情バイアス」、 「センメルヴェイス反射」、 などの各種認知バイアスを排除し、実証主義に基づいて科学的、客観的に歴史を把握せねばならない。 現在の日本の歴史学における歴史学の手法文献資料史料批判や、考古史料などの歴史資料の分析に囚われすぎているだろう。 ある手法を学んでそれを絶対視した場合、「専門偏向」や「知識の呪い」という認知バイアスに囚われてしまう。 「専門偏向」とは、自分の得意な分野の視点でのみ観察し他の視点では見ない傾向、「知識の呪い」とは知識を持たない人達の考えを想像する事ができない傾向である。 歴史学には幅広い観点からの検証が必要で、理性主義経験主義実証主義科学的方法などに基づいた、実現可能性合理性の論証が必要である。 世界レベルにおける歴史学の史料批判の方法には、確かに科学的な検証が含まれている。 しかし残念ながら日本の歴史学の史料批判のチェック項目には、科学的な検証が含まれていない。 自分達とは異なる手法による検証は、疑似科学の手法を用いて拒否しているのだ。

 「歴史学の手法(英語版)」 には、「理にかなった歴史学の手法」は認識論の疑問として出される(The question of the nature, and even the possibility, of a sound historical method is raised in the philosophy of history as a question of epistemology)とあり、 「認識論の疑問」とは即ち、 実証的、 客観的(意識から独立した存在)、 論理的科学的な疑問である。 実際に「歴史学の基準において最も良い仮説」の基準を示した「C. Behan McCullagh」氏は、 「歴史記述の正当化」という著書の中でそれを示している。 このように、世界の歴史学では「歴史記述が正当化できるかどうかのチェック」は、 歴史学の基本中の基本である。 しかし日本の歴史学には実証的、客観的、論理的科学的、というような認識論の疑問に答えるべき「正当化」の概念が存在しない。 認識論の疑問に答えるべき歴史学のモデルから逸脱して「楽浪郡平壌説」というイデオロギーに沿って独断主義に陥っているのだ。 即ち、日本の歴史学とは通俗的な意味における「歴史修正主義」である。 日本の歴史学の手法とは科学的方法ではなく疑似科学の手法であり、その成果はウソ物語である。 これが日本の歴史学が邪馬台国を見つけられない理由なのだ。

 日本の歴史学が疑似科学である事を見抜くべき責任者は、本来ならば日本の社会学者達であろう。 「学問の父」とされるアリストテレスは「ある事を確信している場合、その前提となっている理由はその都度問われても良い」とした。 前提となっている理由は、矛盾が出る度に疑うべきだというのは、学問の基本中の基本なのだ。 その前提となっている理由である「楽浪郡平壌説」が疑われる事のないドグマと化している事は、 例え歴史学の知識がなくても社会学者であればわかるはずである。 しかし、日本の社会学もまた、歴史学と同様に日本社会のルールに安住し、疑似科学を見抜く能力などない。 歴史学と同様に学問の基本である「正当化」の概念が存在しない。 社会が誤謬やプロパガンダで蔓延していても、気にする事もない。 自薦の用心棒たちの活発な活動によって社会が思考停止に陥っているにも関わらず、社会学者達がそれに対して警告する事もない。 この社会が守り続けている禁忌を暴こうとする意思が無いのだ。 彼らの中に「常識」や「自明性」を疑って「ウーズル狩り」をする研究者がいないのが残念である。

 社会科学の専門家達は社会において「ウーズル」が組織的強化され、 集団思考に陥って危険な方向に進まないように警告する「知的なノブレス・オブリージュ」があろう。 しかし日本の社会学者達にとって、そもそも「ウーズル狩り」をする事など社会的に許されないのだ。 何故ならば「ウーズル狩り」をするという行為はマスコミ報道を疑う事を意味し、 そしてそのマスコミ報道は歴史学者達の主張に基いているからだ。 即ち、「ウーズル狩り」をするとは「歴史学者達の主張を疑う」という事を意味するのであるが、 それは社会学者達の崇拝している「他分野の研究成果には敬意を払うべきだ」という社会規範に抵触するからである。 「常識」や「自明性」を疑うというのは社会学の基本である。 しかし「ウーズル狩り」をしようとしない社会学者達とは、 まさに「常識」や「自明性」を疑わない人達である。 そのような疑問を持たない者達に社会現象の本質に辿り着く事など、永遠にできるはずがないのだ。

 日本の学術界は、他分野の専門家から批判される事はなく、 マスメディアからも崇拝され、政府は干渉しない。 即ち、批判する者が日本社会のどこにも存在せず、 「パラダイス鎖国」と呼ばれるぬるま湯につかって世界水準からほど遠いレベルにあるのだ。 歴史学も社会学も関与のエスカレーションによって自ら方針を変更する能力を既に失ってガラパゴス化しており、外部の者たちによって改革されねばならない。 このような者達に導かれた日本人が政治的、社会的に公正な「ポリコレ歴史」を社会的方法で史実にする事に夢中な「ポリコレ歴史修正主義者」の集団となってしまったのは当然の結果である。 歴史学、社会学をはじめとする全ての学問は、 科学的思考を持つ者たちの手によって根本から再構成される必要があろう。

3. ダチョウ社会の生成過程

 マスメディア(但し一部のメディアは除く)が推進する世界観に従おうとしない者達の事をマスメディアは「ネトウヨ」として批判している。 しかし、どこを探しても「ネトウヨ」という人達が何を意味するのか、 スッキリする定義は見付からない。 「原発、自民党、日本の中で一つでも好きな物がある者がネトウヨ」と主張する者もいれば、 「話をして頭に来るのがネトウヨ」などと、主観的な定義を開き直って使う者さえいる。 人によって「ネトウヨ」の定義が違うのであるが、 「ネトウヨ」とされる者達の発言が「ネトウヨ」と批判する者達に不快感を与える事だけは確かである。 そしてマスメディアは定義のよくわからないこのバズワードを使って「ネトウヨ」達を批判し続けているのだ。 社会的責任があるマスメディアがすべきような行為ではなく、理解に苦しんでいる方も多いだろう。 しかし「ネトウヨ」と呼ばれる者達を批判する者達が激しい怒りを表し、 「ネトウヨ」と呼ばれる者達がマスコミの事を「マスゴミ」と批判し、 マスコミが「ネトウヨ」と呼ばれる者達を「サブカルチャー」と認定しているのを観察するだけで、 実は「ネトウヨ」の正体が何者なのかは社会学の観点から明確に定義できるだろう。

 「ネトウヨ」と呼ばれている者達の言動はマスメディアによって、 「社会規範」を破壊する反社会的行動と認識されているのだ。 そのため脅威を知覚した「道徳事業家」であるマスメディアによって、 「モラル・パニック」が起こされ、 「民衆の悪魔」に認定されたとすれば、 この社会現象をスッキリ説明できるのである。 「ネトウヨ」と呼ばれる者達の正体とはマスメディアにとっての「民衆の悪魔」であり、 即ち「マスメディアが守ろうとしている社会規範への脅威となる人達」の事である。 そして何事に対しても疑問を持つ性質を持つのがニセ科学批判者達であり、 マスメディアが守り続けて來た社会規範の核心に対してさえも平気で疑問を持つのは自然の成行である。 こう考えれば「ニセ科学批判者達がネトウヨ認定されるのは当然の現象である」と説明できよう。 もはや「ネトウヨではないニセ科学批判者もいる」などと弁明しても、 パニックに陥った者達の耳には届かない現象もこれにより説明できるだろう。

 マスメディアが守ろうとしている社会規範とは一体何なのか、 マスメディアはどのようにしてそれらの社会規範を守ってきたのか、 そしてニセ科学批判者は何故「社会の敵」として認定されるかについて、 「ダチョウ社会の生成過程(author.html)」において詳しく説明する。 これにより日本社会において偽歴史が史実とされ、 歴史修正主義の社会が実現される仕組みの説明を試みる。

応援メッセージが続々!
歴史学の成果」って、異端者を黙らせる事で決めて來たのですね。
歴史学の通説」って、活動家達が大声で騒いでいればそれで決まるのですね。
歴史学の定説」って、誰一人として反対する勇気が出せない説なのですね。
歴史学者達ってバカばっかりですね。一度きちんと「ネットde真実」を知るべきです。
いわゆる「歴史学の蓄積」ってゴミの山ですね。税金の無駄遣いじゃないでしょうか。
歴史学者達ってこれまでずっと国民を騙してきたのですね。そしてこれからも騙し続けるのですね。
歴史学者達って子供達に「捏造歴史」を教えても恥しくないのでしょうか。
歴史学の手法」って、歴史修正主義の手法だったんですね。
まさか歴史学者達こそが日本最大の「歴史修正主義者集団」だったなんて。
邪馬台国の場所は「歴史を学者の手から一般の人へと移す」キッカケとなりますね。
駄目だこいつ・・・早くなんとかしないと・・・

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