楽浪郡平壌説の本当の真相
〜「ダチョウの法則」と「ダチョウ歴史学」〜
暁 美焔(Xiao Meiyan) 社会学研究家, 2021.2.6 祝3.5版完成!
1. 楽浪郡平壌説の本当の真相
歴史学者達は元史の記述を見ても「長寿王の平壌城と平壌が異なる」事にどうして気付かないのですか?
都合の悪い史料が出て来ても、それを無視しないのが歴史学の基本です。
しかし日本の歴史学者達は思考を停止し、見て見ぬふりをして話題にすらしていないのです。
歴史学者達が話題にしないのは、あなたが話題にしないのと同じ理由です。
元史を持ち出して「平壌城と平壌は違うのではないか?」という疑問を出す事は、
結局のところ以下の疑問を全て出している事と同じであるからです。
- 長寿王の平壌城は平壌よりもっと西方の、鴨緑江の東南ではない場所にあったのではないか?
- 楽浪郡も平壌よりもっと西方の、鴨緑江の東南ではない場所にあったのではないか?
- 楽浪郡平壌説は間違いではないか?
- 邪馬台国が日本のどこかにあったという説明は間違いではないか?
- 歴史学者達が説明してきた古代史は全て偽歴史ではないか?
- 歴史学の手法など根本的に間違っているのではないか?
- 日本の歴史学とは歴史修正主義であり、ニセ歴史学ではないか?
- 歴史学者達の主張を真に受けている人達は皆、騙されているのではないか?
- 歴史学者達を疑わずに崇拝している知識人やマスコミは皆、社会的責任を果たしていないのではないか?
- 社会全体が、何か間違った規範に支配されているのではないか?
このような疑問を社会に出した途端どうなるか、結果は誰もが理解しています。
しかし「元史はきっと何かを間違えているのだろう」という事にして自分を納得させ、
元史の記述など話題にしなければ良いのです。
そうする事で恐ろしい災難に巻き込まれる事も無く、安心して暮らしていけるからです。
真相を知った歴史学者達は恐しさのあまり、皆ダチョウになってしまっただけです。
「楽浪郡平壌説の真相に到達した者達は皆、口を閉ざしている」、
これが元史の記述の存在が話題にされる事のない理由です。
即ち楽浪郡の位置に関する謎などそもそも最初から存在せず、
単に「真相に到達した歴史学者達が真相を隠してきただけ」なのです。
これが「本当の楽浪郡平壌説の真相」です。
即ち、歴史学者達は「楽浪郡平壌説の真相」に気付かないのではなく、知らないフリをしているだけです。
「無能を集めると中から有能が現れる」と言うのが「働きアリの法則」や「ピーターの法則」が示す社会法則です。
しかし「ダチョウはどれだけ集めてもダチョウのままである」というのが「ダチョウの法則」です。
ダチョウを例え一億羽集めたところで、ダチョウはやっぱりダチョウでしかないのです。
歴史学者達は「長寿王の平壌城と平壌が異なる」事にどうして知らないフリをしているのですか?
知らないフリをするのは「省略による嘘」という詭弁の一種です。
しかし歴史学者達が生きていくためには、ウソを吐き続ける以外に方法は無いのです。
そうするしか無い理由は「科学における不正行為」を読めば理解できるでしょう。
歴史学者達が邪馬台国論争に興味が無いのは当然の事なのです。
歴史学者達が「長寿王の平壌城と平壌が異なる」事に知らないフリをしている事をどうすれば確認できますか?
歴史学者を捕まえて、「遼史」や「元史」の記述は何を意味するのか、及び「313年の楽浪郡滅亡」の根拠は何かについて聞いてみると確認できるでしょう。
彼らができる事は人格攻撃をして無視する事しかありません。
彼らは楽浪郡平壌説が間違いである事を知っていますので、反論などするはずがありません。
それに、邪馬台国や楽浪郡の位置に関する論争などにはそもそも関心がありません。
関心があるのは「真実の追求」ではなく、「自らの地位を守る事」なのですから。
近くに歴史学者がいなくて確認できないのであれば、
中国語のウィキペディアを見てみれば確認できるでしょう。
平原王在位早期,高句麗與隋維持著緊張而和平的關係,繼北朝之後,受隋文帝冊封為「高麗王」。由於此時百濟與新羅的聯盟早已瓦解,高句麗南部相對平靜。586年,平原王將都城由平壤城遷至長安城(即今朝鮮平壤市區),直至668年高句麗滅亡。歴時83年。
平原王の在位期間の早期、高句麗と隋は緊張しつつも平和な関係を維持していた。
北朝を受け継いだ後、隋の文帝から「高麗王」の冊封を受けた。
この時、百済と新羅の同盟は既に瓦解していたので、高句麗の南部は相対的に平静であった。
586年、平原王は都城を平壌城から長安城(即ち今の朝鮮の平壌市区)に移した。
668年の高句麗滅亡に至るまで、都城として83年の時を歴た。
このように「平原王によって平壌が高句麗の南部に移動された」とは「驚くべき真相」などではありません。
これはウィキペディアに書かれてあるような話であり、
特殊な洗脳教育を受けていない華人が歴史資料を読んで解説すれば、
自然とそういう説明になるだけの話です。
日本の歴史学者達は外国人が何を議論していようが、知らないフリして日本人には知らせていないだけです。
「長寿王の平壌城は遼東に存在した」という事を知らないのは、きっと日本人だけでしょう。
「長寿王の平壌城が遼東に存在した」事を知らないのは本当に日本人だけですか?
「襄平城(遼東城)」の「相関争議」においては次のように書かれています。
而襄平城也有可能是高句麗之舊平壤也,由於5世紀初,樂浪, 帶方的漢人城鎮和地方政權組織繼續存在且奉東晉正朔。公元427年,高句麗長壽王遷都平壤很有可能不是今日大同江畔的平壤,而是國內城衛城或者和國內同一個城。
襄平城(遼東城)もまた高句麗の旧平壌であった可能性が有る。何故ならば5世紀の初めにおいても、楽浪、帯方の漢人の都市や地方政権の組織は続けて存在し、東晉に服したから。427年に高句麗の長寿王が遷都した平壌は今日の大同江河畔の平壌では無い可能性が高い。(旧平壌は)国内城の衛城か或いは国内城そのものだったかもしれない。
このように争議になっているのは「長寿王の平壌城が遼東に存在したか」ではなく、「長寿王の平壌城は遼東のどこに存在したか」なのです。
また、「Ancient History of the Manchuria」(by Lee Mosol, 2013)においては、
北魏の文成帝の記事に出てくる(長寿王の)「平壌」についてこう述べています。
It is clear evidences that the word 平壌 being used in this record has to be in Manchuria most likely around the Tablet Stone Mountain or the current Liaoyang 遼陽 region.
これはこの記録で使われている「平壌」が満州に存在したという明白な証拠であり、それは恐らく碣石山か現在の遼陽市のあたりであろう。
このように日本以外の国では「長寿王の平壌城は遼東に存在した」という主張が広く強くされています。
理由は単純で遼史以外の歴史書においても、長寿王の平壌城は遼東に存在したとしか考えられないからです。
その上、平原王が王都を朝鮮半島の平壌に移した理由も無理なく説明できるからです。
これは2001年に鄭哲萬氏が「高句麗長壽王遷都之平壤非今平壤辨」という論文で示した「楽浪郡が置かれた平壌城とは、現在の平壌ではなく国内城付近の平壌城と勘違いしているのではないか」という意見が影響しているようです。
そもそも海外の歴史研究者達は「楽浪郡平壌説に反する歴史書の記述」に対し、
思考を停止したりしないのです。
このようなセンセーションを巻き起こした意見の存在を歴史学者達が知らないはずがありません。
しかし日本社会にこれが知らされる事はありません。
即ち、「知らないのは日本人だけだ」と言うのは本当です。
ただし、自由にウェブにアクセスできない中国人や北朝鮮人は知らないかもしれません。
そのような現代の資料をわざわざ参照しなくても、
そもそも高句麗を滅ぼして唐の政治家となった淵男生の墓碑銘には、
出身は「遼東郡平壌城」と記されています。
679年における唐の人達にとっての「平壌城」とは、
唐の遼東郡に存在した都市であった事が7世紀の超一級史料に残されているのです。
そして唐の遼東郡とは朝鮮半島に存在した郡ではなく、
遼東、遼西地域に存在した郡だったのです(参考文献2)。
そんな事を知らないのは、きっと日本人だけでしょう。
「歴史学者達は一般人よりもはるかに多くの史料を見ているので信頼できる」などと世間では信じられていますが、それは間違いです。
彼らは史料を単に眺めているだけで、脳の中で処理される事がないのですから。
「長寿王の平壌城が遼東に存在した」事を日本人だけが知らないのは何故ですか?
このような主張が海外で広く強くされている事実を日本人だけが全く知らない原因は、
日本においてはこの主張が組織的に排除されて来たからでしょう。
このような主張の存在を知っている日本人とは、歴史学者達くらいのものです。
それにもし歴史学者以外の者が仮説の隠蔽を試みた場合には、歴史学者達はそれに必ず抗議したはずです。
従って「組織的に隠蔽してきたのは歴史学者達であろう」という推測には根拠があります。
楽浪郡平壌説に疑問を持たせるような主張の存在を許してはならないのでしょう。
「長寿王の平壌城が平壌に存在した」という仮説には、文献的にも考古学的にも何の根拠も有りません。
しかし歴史学者達がそのような学術的な問題について、気にする事は絶対にありません。
「427年に長寿王は平壌に遷都した」という説明が、どこを見ても当たり前のようにされています(ミリュー制御)。
これに疑問を持ってはいけないし、疑問を持たせてはいけないのですから。
「満州史の真相」など、誰も知らなくても良いし、誰も知ってはいけないのです。
「長寿王の平壌城が遼東に存在した」事を隠蔽する理由は何故ですか?
「あやまちの背後にはたいてい恐れが隠れている。」と述べたのは、
アメリカの女優スザンヌ・サマーズですが、正にその通りです。
「長寿王の平壌城が平壌に存在した」という仮定が楽浪郡平壌説の根幹である事を知っている日本人は、
古代史ファンや考古学者達など数多く存在します。
「長寿王の平壌城が遼東に存在した」という仮説は、楽浪郡平壌説の理論的支柱を破壊する主張です。
それは歴史学者達にとって、知られては困るからでしょう。
これまで守り続けてきた「楽浪郡平壌説」というウソ物語がバレてしまわないようにするために。
歴史学者達が邪馬台国論争に興味の無い理由が、実は真相を隠しているからだという秘密がバレてしまわないようにするために。
日本の歴史学が歴史修正主義であり、ニセ歴史学である事がバレてしまわないようにするために。
日本の歴史学が学校教育で子供たちに嘘を刷り込んだ上、それに対して絶対に疑問を持たせないような教育をしてきた「子供だましの歴史学」である事がバレてしまわないようにするために。
歴史学者達を疑わずに崇拝してきたマスコミや知識人達は皆、科学的思考を持たない大馬鹿者である事がバレてしまわないようにするために。
歴史学者達はどこで間違えたのですか?
歴史学において「理にかなった歴史学の手法」の特性、可能性などについての疑問は、
歴史哲学から出され、
それは「認識論の疑問」として出されるとされています。
実際に「史料批判の英語版」においては、
史料の評価における最も一般的な方法とは、認識論である事が明記されています。
(Epistemological theories are the basic theories about how knowledge is obtained and thus the most general theories about how to evaluate information sources.)
「楽浪郡平壌説」は単なる仮説であり、仮説は認識論の観点から、
即ち実証的、
客観的(意識から独立した存在)、
論理的、
科学的な観点から検証されねばなりません。
しかし、日本の歴史学にはその歴史学の手法の基本である「認識論の疑問」による検証の概念が存在しませんので、最初から間違っていました。
歴史学者達は朝鮮半島や遼東半島の地理的条件も考慮せず、その後の歴史や経済的、技術的、戦術的条件その他も全く考慮していない上に歴史書の記述も完全に無視し、
不十分な確証だけで楽浪郡平壌説を「ドグマ」(絶対的な明証性をもつとされる基本的原理)としてしまったのです。
だから「平壌城」と「平壌」が異る都市だった事に気付かなかったのです。
日本の歴史学者達が「史料批判」する時のチェック項目とは、主に以下のような項目です。
- 史料の作成時期、作成場所、作成目的、作成者、作成方法などの把握
- 史料に整合性が有るか、内部矛盾が存在するか
- 真であると評価された史料と明らかに矛盾するかどうか
- 二つ以上の独立した史料に同一の記述が有るかどうか
- 科学的に証明された他の資料(考古資料など)と矛盾するかどうか
日本の歴史学の問題点とは、「史料批判のチェック項目に科学的な検証が含まれていない」事です。
整合性の存在する複数の中国史料に「平壌城は楽浪郡のあった場所にある」と記述されており、
平壌においてそれらしき考古資料が発見された事から、
何の疑いもなく楽浪郡を朝鮮半島に持っていってしまったのです。
認識論が提唱するところの実現可能性のチェック即ち、
「Potentiality」と「Actuality」に関する科学的な検証など誰もしていないのです。
日本の歴史学は「現実吟味」の能力の必要性を認識していないのです。
これが「楽浪郡が朝鮮半島にあるはずが無い」事が歴史学者達には理解できなかった理由です。
歴史学者達はなぜ間違いを訂正できないのですか?
学問の父とされるアリストテレスは「ある事を確信している場合、その前提となっている理由はその都度問われても良い」とした。
前提となっている理由は、問題が発見される度に疑うべきだというのは、古代ギリシアから既に学問の基本中の基本なのです。
しかし、日本の歴史学は一旦「コンセンサスによる真実」によって学説が決定してしまうと、もはやそれを修正する事は社会的に許されません。
評価が定着した学説を変更しようとする者は異端者として排除されるのです。
日本の歴史学者にとって、通説とは「議論」を通して決めるものではなく、「場の空気」で決めるものだからです。
それ故に先行研究を崇拝し、歴史書を先行研究に合うように曲解してきたのです。
日本の歴史学には、単に歴史学の基本が存在しないばかりでなく、
学問の基本がそもそも存在しない。
これが歴史学者達が間違いに気付かず、「楽浪郡平壌説」がドグマと化してしまった理由です。
歴史学に必要なのは「史実」と「歴史物語」を切り分けて考える事ですが、
日本の歴史学とは決定されたドグマに沿って「歴史物語」を創作する集団なのです。
楽浪郡平壌説に疑問を持つ歴史学者がいないのはなぜですか?
最良の歴史記述の説明に至る議論の7つの条件を示したC. Behan McCullagh氏はその著書「歴史記述の正当化」において、
「歴史記述を最終的に証明する方法は存在しない。できるのは正当化する事だけである。」と述べています。
自然科学と違って歴史学とは、このように完全に証明する方法など存在せず、異論が存在するのが普通です。
楽浪郡平壌説のような怪しい説に対して異論を述べる学者が存在しないというのは、それが正しいからなどでは決してありません。
歴史学者達が「斉一性の原理」に支配されているためです。
正しいから異論が出ないのではなく、同調圧力によって異論を出す自由が存在しないからです。
楽浪郡平壌説の間違いに気付いている学者は多数存在しているはずですが、誰もそれを口に出せないのです。
歴史学において異論が出ないのは、同調圧力の存在を疑うべきです。
歴史学者は全員がダチョウなのです。
歴史学者達は歴史修正主義者ですか?
歴史学における用法での「歴史修正主義」とは、「新しく発見された史料や、既存情報の再解釈により、歴史を叙述し直すことを主眼とした試みのこと」です。
しかし通俗的な用法では「歴史学のモデルから逸脱し、特定のイデオロギーに沿って独自の修正を加えている思想・歴史観」という意味です。
日本の歴史学者達は、認識論の疑問に答えるべき歴史学のモデルから逸脱し、「楽浪郡平壌説」というイデオロギーに沿ってウソ物語を作り出すニセ史創作集団です。
また、都合の悪い情報を一般人に隠し続けるニセ史隠匿集団です。
学校教育において子供たちに何の根拠もないデタラメを教えても恥じる事のない愚民化実行集団です。
日本の歴史学とはいわゆる通俗的な意味における「歴史修正主義」であり、正真正銘の「ニセ歴史学」です。
「ある人が嘘をつくということを考えてみれば、それは、その人が神に対しては大胆であり、人間に対しては卑怯である、ということにほかならない。」
と述べたのは、
イギリスの哲学者フランシス・ベーコンです。
歴史学者がニセ歴史を語るという事は、
歴史学者を信じて來た人達に対して卑怯な行為です。
歴史学者達はどうやってウソ物語を守ってきたのですか?
ウソ物語を守るための歴史学者達の考え出した「ダチョウ化の基本方針」とは以下の通りです。
- 楽浪郡平壌説を信じる事が人間としてあるべき社会規範である事を信じさせる
- 楽浪郡平壌説に敵対する主張をする事が、モラルに反する行為である事を信じさせる
- 楽浪郡平壌説を信じないようなモラルの低い者達に対しては、
モラルを全面に押し出した「モラルハラスメント」をするように指導する
そしてこの基本方針を実践するために歴史学が行ってきた戦略とは、
以下の「ダチョウ化基本3原則」を守る事です。
- 楽浪郡平壌説に疑問を持たせない
- 楽浪郡平壌説以外の仮説を提案させない
- 楽浪郡平壌説以外の仮説を検証しない
この戦略を実現するために、各方面に対して社会的影響力を用いて様々な戦術が使用されています。
-
歴史学の研究者に疑問を持たせない
歴史哲学の根幹である「認識論」を教育せず、「科学的思考」をさせない。
また、先学の研究成果を尊重するように教育し、楽浪郡平壌説に疑問を持つ事を許さない。
子供だましのアドホックな仮説で学生達を愚民化する。
世界における常識では、歴史学者の権威など信頼する必要もなく、
歴史学が明らかにするのは「史実」などではなく「最適の説明」に過ぎないし、
歴史学者には歴史仮説の正当性を説明する立証責任がある。
そして歴史仮説は公の場で様々な分野の視点から検証されねばならない。
しかし世界における歴史学の常識から目を背け、
自分達が決めた「歴史学の手法」こそが歴史の真実に至る方法である事を確信させる。
そして一般人には、歴史仮説の正当性など説明する立証責任は無い事も徹底させる。
このように教育された研究者が楽浪郡平壌説の大ウソに気付いた頃には、
もはや既にウソを吐き続けるしかないダチョウ社会の「ダチョウ社会の黒幕」となる。
-
他分野の研究者に疑問を持たせない
各専門分野の研究を尊重するのが社会人としてあるべき姿であるという規範を規則として明文化し、
その規則で縛り付けて疑問を持つ事を許さない。
-
在野の研究者に疑問を持たせない
「歴史学の手法を学んでいない」とか、「中国史料の読み方が間違っている」とか、
論点と関係の無い理由で人身攻撃し叩き潰す。
また、その論証は全て徹底的に無視する。
本当は楽浪郡平壌説が間違いである事など既に知っているので、そもそも反論するつもりなど最初からない。
-
マスメディアに疑問を持たせない
マスメディアには科学的思考や調査能力が存在せず、
権威のある者の意見を聞くだけの存在である事を利用する。
マスメディアは歴史学者達を崇拝して疑問を一切持たず、大本営発表を楽しみに待っている。
-
右翼に疑問を持たせない
ウィキペディアを支配して「楽浪郡平壌説に疑問を持つのは、韓国人や北朝鮮人が中国に支配された歴史を直視できないからだ」という右翼の喜ぶ主張を浸透させる。
また「古代日本が朝鮮半島を支配していた」という右翼の喜ぶ幻想を信じさせ、
楽浪郡平壌説を守るための「自薦の用心棒」として育成する。
-
左翼に疑問を持たせない
左翼の喜ぶ主張をした上に「歴史学の権威は絶対的に信用できる」という幻想を作り出し、
楽浪郡平壌説を守るための「自薦の用心棒」として育成する。
-
歴史ファンに疑問を持たせない
邪馬台国や卑弥呼への愛着を利用し、
楽浪郡平壌説を守るための「自薦の用心棒」として育成する。
古代史を代償行為として学ぶ者にとっては、
古代史論争とは単なる歴史学の論争ではなく、
全人格をかけた意地のぶつかり合いである。
-
一般人に疑問を持たせない
「可能性がある」程度の確証にすぎない楽浪漢墓や楽浪太守封泥などを「絶対的な明証性を持つ」確証であると強弁し、楽浪郡平壌説に疑問を持たせない。
また「専門家の意見は信頼すべきである」という規範を社会に作りだし、
疑問を持つこと自体が倫理的に間違いであると思わせる。
また、マスメディア、学校教育、ウィキペディアなどを通じて楽浪郡平壌説が疑問の余地のない説である事を繰り返し、ウーズル効果によって脳裏に刷り込む。
また、攻撃性の高い右翼、左翼、そして歴史ファンを揃って「自薦の用心棒」として利用する事で、
一般人に「この問題には関わるべきではない」という事を理解させる。
-
子供達に疑問を持たせない
「313年に楽浪郡は高句麗によって滅ぼされた」というウソ物語を学校教育で刷り込んで洗脳し、
楽浪郡平壌説に疑問を持たせない。
「不正に対する感覚が鈍ること – それは、知性が浅はかな証拠である。」と述べたのは、
アメリカの哲学者エマーソンですが、
歴史学者達の知性のレベルは地に堕ちています。
歴史学者達はこのように「疑問を持つ」という学問の基本を社会全体から徹底して排除し、
日本人が疑問を持たないように「ダチョウ化の呪い」をかけてきたのです。
また、「朝鮮半島とは古代から中国の支配下にあり、自主性の無い民族である」という偏見を子供の頃から植え付け、
つまらない朝鮮半島の歴史などには決して興味を持たせないように教育してきたのです。
更に各方面に楽浪郡平壌説を守るための「ダチョウ化実行部隊」を育成してきたのです。
これだけではなく日本の歴史学者達はマスメディアの喜ぶ主張を「歴史学的に確定」し、
マスメディアと結託して日本人が決して歴史学者の主張を疑わせないようにするための「ダチョウ化支援報道」をさせてきました。
こうして日本社会に強固なパンドラの箱を作り上げ、
日本人を「一億総ダチョウ化」してしまったのです。
日本の歴史学とは「ダチョウのダチョウによるダチョウのための歴史学」なのです。
これを「ダチョウ歴史学」と呼ぶ事にします。
ダチョウ社会がどのようにして生み出されるかについては、
「ダチョウ社会の生成過程(author.html)」においてさらに詳しく説明します。
歴史学者達はこのような日本人愚民化教育が、
どれだけ社会に悪影響を与えてきたかを理解しているのでしょうか。
このような仮説を放置しておく事が東アジアの国際関係にどれほど悪影響を与えるかを理解しているのでしょうか。
どれだけ多くの人間が邪馬台国を探して無意味な時間を過ごしていても罪悪感は無いのでしょうか。
日本人は卑弥呼を夢想しながら「古代史ポルノ」で興奮していれば良いのでしょうか。
きっとバレなければいいだけの話なのでしょう。
これが山形明郷氏が指摘した「古代史犯罪」の実態です。
もし日本の歴史学者達の無能によって保護されている捏造歴史を根拠に「朝鮮は中国の一部だった」などと現代世界の外交関係が決定されるのであれば、実に罪深い犯罪行為です。
歴史修正主義は放置しておいても良いのでしょうか?
通俗的な意味における歴史修正主義者とは、単に間違った歴史認識を持つ者達ではありません。
特定のイデオロギーに沿ったニセ歴史を選択した者達です。
「歴史修正主義者」とは「史実を知らない者」なのではなく、「史実を否定したい者」なのです。
歴史の捏造は人間の知的活動への背信であり、歴史学への冒涜です。
歴史修正主義が築くのは虚構の世界だけであり、未来を築く事は決してありません。
学術的に問題があるだけでなく、倫理的にも許されず、国際問題を引き起こす原因にもなります。
歴史修正主義の罪はあまりにも巨大です。
歴史修正主義者を放置しておく事は、将来に禍根を残す事になりますので、即刻対処が必要です。
また、歴史修正主義に寛容な者達に対しても、厳しい態度を取る必要があります。
「歴史修正主義は絶対に許さない」という強い決意が必要です。
本来は山形氏が指摘した時点でこの論争は終わりにすべきでした。
膨大な数の人々の人生を破壊してきたこのニセ歴史は即刻ゴミ箱に捨て去るべきでしょう。
歴史修正主義者の言説を歴史教科書に記述しても良いのでしょうか?
歴史修正主義者の言説を歴史教科書に記述するのは、
「糞を味噌だ」と強弁する狂人の意見に配慮して子供達に糞を食べさせるのと同じ行為です。
食卓からまず、糞を排除する事が何よりも重要です。
どの味噌を子供に食べさせるべきかを検討するのは、その後です。
また糞とカレーが似ているからと言って、糞とカレーを混ぜ合せるような事をしてはなりません。
糞は食卓の上においては存在自体を却下すべきであり、相手にしてはなりません。
歴史修正主義者達にはどう対処すべきですか?
ニセ歴史を普及させ、おびただしい数の人間の人生を破壊してきた歴史修正主義は、即刻解体せねばなりません。
しかし歴史修正主義者達に史料をつきつけても、
「無敵の無知論証」に逃避するだけで無駄です。
歴史修正主義者との建設的な議論など期待してはいけません。
また日本の歴史学は根底の部分から腐っており、もはや内部からの改革も期待できません。
歴史修正主義の解体は、外部からの強制的な圧力によってのみ実現可能です。
閉ざされた扉を開けて歴史の真実に向き合う事こそが、
現代日本人に課せられた使命となるでしょう。
外部からの圧力で歴史修正主義に対処するにはどうすべきですか?
現状の日本社会においては、外部からの圧力によってニセ歴史学を解体する方法はありません。
何故ならば外部からの圧力を妨げているルールが日本の学術界に存在するためです。
それは「自己の専門研究が及ぶ範囲を自覚」というルールです。
これこそが邪馬台国をパンドラの箱に封印し、日本社会の禁忌を守り続けている強固な扉の正体です。
何しろ間違った研究成果を尊重する必要などないのに、他分野の者たちは口を出してはいけないのですから。
「日本の学術界自体が歴史修正主義を保護する強固な体制を作り上げ、学問の発展を阻害している」という現状を打破する必要があります。
現状を打破して歴史修正主義に対処するにはどうすれば良いのですか?
他分野からの検証は、これまで考えた事もないアイデアが導入されます。
他分野からの意見を積極的に受け入れてこそ、学問は発展する機会が生まれるのです。
学問とは決して独自の体系に閉じこもっていてはいけません。
日本の社会科学や人文科学が国際レベルに到達する事ができないのは、
これらの学問が他分野からの検証を受け入れていないからです。
学術界が現状を打破して歴史修正主義に対処するためには、
学術界、教育界、マスメディアが「認識論」を学習し、「正当化論証に基づく立証責任」という学問の基本的概念を受け入れる必要があります。
閉ざされた扉を開けて歴史修正主義に対処するためには、どうすべきですか?
文部科学省のガイドラインにおいては、
「まずは研究者自らの規律に基づく自浄作用としてなされるべき」と規定されています。
しかし学術界も教育界もマスメディアも皆、自浄する事など期待できません。
これらの集団はニセ歴史学と深く関わって既に戻れない一線を越えており、
「関与のエスカレーション」によってもはや方針を変更する事ができません。
閉ざされた扉を開けて日本の学術界の未来を切り開くためには、
文部科学省に「学術界、教育界、マスメディアに、自らの規律に基づく自浄作用など期待できない」事を理解させる必要があります。
そのためには学術界、教育界、マスメディアに属さない外部にいる者たちがまず、
「ダチョウからの覚醒」を行う必要があるでしょう。
「ダチョウから覚醒」を行うにはどうすれば良いのですか?
学術界、教育界、マスメディアの方々が「問題解決」ができない場合には「水平思考」をするように呼びかけることです。
疑問生成、仮説提案、検証のサイクルという「科学的思考のサイクル」が学問の基本である事を彼らに理解させることです。
楽浪郡平壌説に疑問を持ち、楽浪郡平壌説以外の仮説の提案を許し、楽浪郡平壌説以外の仮説を検証するように呼びかけることです。
また、邪馬台国論争が「擬似問題」である事に早く気付くように呼びかけることです。
そして彼らが「無敵の無知論証」という詭弁に逃避する事無く、
知識人の公正さを示すように呼びかけることです。
一番大切な事は、彼らに「歴史修正主義は絶対に許してはいけない」という事を理解させる事です。
具体的にはどのようにすれば良いのですか?
たったの一言を大声で叫ぶだけで良いのです。
「王様は裸だ!」と。
即ち、「邪馬台国の場所はここだ!」と大声で叫ぶだけで良いのです。
参考文献1「Ancient History of the Manchuria」by Lee Mosol, 2013
参考文献2「韓国古代史の正体: 忘れられた史実の真相」by 卜箕大, 2018
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