邪馬台国論争を巡る社会の真相
〜The truth hurts, but those lies kill.〜

暁 美焔(Xiao Meiyan) 社会学研究家, 2021.2.6 祝3.5版完成!
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1. 学界のパンドラの箱 〜It all began with a big lie.〜

 歴史書に誰にもわからないような説明文を記すはずがありません。 倭人伝を記した者は、邪馬台国への道程を誰にでも理解できるように記述したはずです。 第一の過ちは学界までもが「大海中の山島」を読み間違えたことですが、第二の過ちは学界が文献を完全に無視し、朝鮮半島や遼東半島の地理的条件も考慮せず、その後の歴史や経済的、技術的、戦術的条件その他も全く考慮せず、不十分な考古学的発見だけで楽浪郡平壌説を定説化してしまったことです。 間違った定説を前提にして倭人伝の記述を基に行程を辿っても、日本列島のどこにも辿り着きません。 その時点で学界は真実を追求し、定説の過ちを疑うべきでしたが、さらに第三の過ちを犯してしまいます。 定説を疑う代わりに真実の追求を放棄し、倭人伝の記述を無視して文献だけで物を言わない風潮を作り上げてしまった事です。 これにより怪しげな主張をする者は学界からいなくなりましたが、同時に強い副作用を生み出しました。 定説の間違いを証明するために文献を調べて主張しても無視されるようになってしまったのです。 これがパンドラの箱の正体です。 北朝鮮人の考古学的報告が無視される以上、文献以外に頼る物がないのにも関わらず無視される。即ち、学界には定説を否定する方法が存在しないのです。

 定説とは「確かな事が科学的に検証された説」なのではなく、「100年前の考古学的確証に基づき、論証が十分されておらず、その根拠には反証可能性が存在しない説」なのです。 「中国の歴史書は考古学の裏付けが無く、あくまでも一説とする事」という原則の導入は一見すると合理的に聞こえますが、実際には「都合の悪い歴史書の記述は、どれだけ数多くあっても無視して良い」という、定説を守るための詭弁です。 こうして学界は自ら信奉するドグマを疑う方法が存在しない集団となりました。 ここで言う「ドグマ」とは専門用語で、「議論の余地が無いとされている原理でパラダイムシフト無しに修正できないイデオロギーの基盤となる基本的原理」を意味します。 即ち、学界は定説というドグマを第一原理に置いた独断主義の集団となりました。 説明できない歴史書の記述を前に学界は、思考自体を停止することにしたのです。 歴史学界は考古学界に立証責任を転嫁するようになり、その考古学界はまるで否定する事が許されなかった天動説のように定説検証には消極的になったのです。 歴史学界からも考古学界からも真実に辿り着ける者は存在しなくなりました。 一つとして存在すべきでない以下の疑似科学の特徴を全て備えるニセ学者の集団です。  定説に対しての疑問は「抱かせない」。 定説以外の仮説については「提案させない」。 定説の検証は「できない仕組みを作る」。 定説を検証しようとする者に対しては「論点をすり替える」。 定説の検証結果に対しては「無視する」。 定説を疑う者に対しては「激しく人身攻撃する」。 これを一致団結して行い、パンドラの箱を100年以上固く守ってきたのです。 「知識獲得のサイクル」を組織的に完全停止させた上、 全会一致の幻想に安住した正真正銘の狂信的思考停止集団であり、邪馬台国が日本列島に存在しない以上、学界がこの問題を解決する日は永遠に来ないでしょう。

 歴史学には客観的な根拠を示し、論理的な考察を行うことで、他者を納得させられる研究方法が求められる。 「正常性バイアス」、 「感情バイアス」、 「センメルヴェイス反射」、 などの各種認知バイアスを排除し、実証主義に基づいて科学的、客観的に歴史を把握せねばならない。 しかし現在の日本の歴史学における歴史学の手法文献資料史料批判や、考古史料などの歴史資料の分析に囚われすぎているだろう。 ある手法を学んでそれを絶対視した場合、「専門偏向」や「知識の呪い」という認知バイアスに囚われてしまう。 「専門偏向」とは、自分の得意な分野の視点でのみ観察し他の視点では見ない傾向、「知識の呪い」とは知識を持たない人達の考えを想像する事ができない傾向である。 歴史学には幅広い観点からの検証が必要で、理性主義経験主義実証主義科学的方法などに基づいた、実現可能性合理性の論証が必要である。 しかし残念ながら、それは全くされていない。 自分達とは異なる手法による検証は、擬似科学の手法を用いて拒否しているのだ。 日本の歴史学の方法とは科学的方法ではなく疑似科学の手法であり、その成果は疑似科学なのである。

 科学的思考を持たないシープル(Sheeple)達が歴史を100年かけて調査し続けたところで群盲象を評すだけである。 日本の歴史学とは政治的、社会的に公正な歴史仮説「ポリコレ歴史」を社会的圧力によって史実として確定してきた「ポリコレ歴史創作集団」なのだ。 これが日本の歴史学が邪馬台国を見つけられない根本的な理由である。

2. 日本社会のパンドラの箱 〜If you tell a big enough lie and tell it frequently enough, it will be believed〜

 「大衆は、小さな嘘より大きな嘘にだまされやすい。なぜなら、彼らは小さな嘘は自分でもつくが、大きな嘘は怖くてつけないからだ。」 これはアドルフ・ヒトラーが残した名言だが、 日本社会は学界が創作した壮大な偽史に完全に騙されてしまいました。 邪馬台国は日本だという固定観念刷り込まれ、 もはや定説は社会的にも否定する事が許されなくなったのです。 古代史へのロマンを打ち砕くだけではありません。 日本語と韓国語の言語類型論的類似性を考えればむしろ説得力がある話なのですが、祖先がそのような場所にいた事は現代の民族感情として受け入れられないからです。 天孫降臨神武東征日本神話が受け入れたくない事柄を想像させるためでもあります。 教科書も書き換えないといけません。 このような結論は誰も望んでいないのです。 日本人も韓国人も存在しない頃の話であると言うのに、現代人の民族感情が原因でパンドラの箱の中に邪馬台国は封印されてしまったのです。 これも倭人伝が、解けない謎になってしまったもう一つの理由です。

 日本社会は学界に敬意を払い、学界は有能であり間違いは無いと信じ、学界がこの問題を解決してくれる日を心待ちにしています。 しかしそのような日が来る事は永遠にありません。 袋小路に陥った時には、何か大きな間違いをしている擬似問題である事を根本から疑ってブレイクスルーの方法を探すのが学問だけでなくビジネスや人生においても基本的な戦略です。 社会全体が事態打開の戦略を練って真実を追求する事よりも、100年の思考停止状態に安住し、永遠に卑弥呼を夢想しながら人身攻撃ネガティブキャンペーンに溢れた不毛な論争を続けたいのでしょうか。 日本人の創造性がこのような無意味な論争に浪費されてきた事は悲しむべき事ではないでしょうか。

 知識(Knowledge)とは、「正当化(Justify)」された真(Truth)なる信念(Belief)であるというのがプラトンに由来する伝統的な概念である(関係図参照)。 「日本人は論理的思考が苦手だ」とも「日本人は社会的影響を受けやすい」とも言われる。 その根本的な原因は日本社会では、プラトン以来の欧米社会の伝統であり、「知識獲得のサイクル」における仮説の検証作業のために必要なこの「正当化の論証」という概念が存在しないためであろう。 邪馬台国論争が解けないのは単に学者達の無能だけが原因なのではなく、日本社会の深層に潜む病が原因なのだ。 その病の正体とは、「主張」が「真理」である事を保証して「知識」として確定するためには「正当化の論証」によって確定されるではなく、「全会一致精神論」によって確定されるという考え方だ。 簡単に言えば「みんながそう考えるようになればそれが真理であり、真理の達成のためには非論理的思考を積極的に使うべきだ」という思考だ。 この思考の下では「好都合の真実」を実現するために「疑似科学の手法」だけでなく、 多数派意見専門家の信念チェリーピッキング早まった一般化などの多種多様の誤謬が総動員される。 そして「不都合な主張」は当然の如く道徳主義の誤謬によって排除される。 それ故に論証など無視しても考古学的確証だけで邪馬台国畿内説が歴史の真実になると考えるのである。 そして、それが非論理的思考である事は問題にされない。 問題にされないのはマスコミ自体に論理的思考能力や知識人の公正さの概念が欠けているばかりでなく、 マスコミ自体が論証よりも確証を追求する疑似科学の信奉者であり、 ウーズル効果を利用してファクトイドを生成する不正行為共犯者であるからだ。 「不都合な主張」を検証しようとする動機を生み出すこの「正当化の論証」の概念自体が日本社会には存在しない。 これが楽浪郡平壌説が疑われる事のない理由であり、即ちこれが邪馬台国論争が解けない根本的な理由である。

 マスコミは戦前と同じように集団心理に同調して集団行動するだけの傍観者集団で、王様が裸である事に気付く事はありません。 マスコミは文献史学や考古学の学芸員教育委員会と同様に、不都合な可能性を疑う事の無い大政翼賛会の重要な一員です。 マスコミが学界の考古学的確証の調査結果の提灯記事発表報道する姿はまるで大本営発表を楽しみに待っているかのようです。 マスコミは戦前において戦争に勝つ戦略が無いという不都合な真実について全く報道せず、 全会一致の精神論で戦争を煽って国民を騙し続け、その無責任体質により日本を破滅へと導きました。 マスコミは現実に敗戦のその日がやって来るまで決して国民に不都合な真実を伝えようとせず、 最後まで精神論を煽り続けて膨大な数の民間人の犠牲者を出して領土を失っただけでなく、 名古屋城首里城台徳院霊廟などの数多くの日本の文化遺産を消失させました。 マスコミは現実にそれが起きるまでソ連対日参戦という不都合な可能性についても全く報道せず、 当然防ぐ事ができたはずの葛根廟事件敦化事件小山克事件三船殉難事件通化事件などの数々の悲劇を防ぐことができませんでした。 ソ連兵は手当たり次第に女性を強制連行して集団レイプし、女性達を守ろうとした者は殺されました。 しかしマスコミは引揚者から満州や朝鮮で何が起きたのかについて知っていたにも拘わらず、 自分達の報道姿勢が引き起したこれらの悲劇について反省する事はなく、 「関東軍は住民を見殺しにした」などとして軍国主義に責任転嫁しました。 総崩れとなった関東軍がどのような運命を辿ったかについてなど説明しませんでした。 その上「戦争の被害者ではなく、加害者である事を忘れてはいけない」などという、 人間の良心に訴えるような美しい理由を付けてこれらの悲劇を報道する事をタブーとし、風化させました。

 「集団心理に同調して不都合な可能性を報道しない」という、マスコミの無責任体質は戦後においても新なる悲劇を再び生み出しました。 マスコミは「在日朝鮮人の帰還事業」に関し、 スターリンによって作られた北朝鮮という国家が「地上の楽園」であるという怪しげな情報を検証する事なく報道したのです。 「祖国復興」という美しい響きを持つスローガンを信じた多くの人達の人生は破壊されました。 社会主義が人々を幸せにする体制である事に疑問を持つ事が許されなかったのでしょうか? 満蒙開拓団の悲劇を経験し、 ポツダム宣言に違反して数十万人が違法に強制連行されてシベリアに抑留され、 原子爆弾犠牲者数に匹敵するような人達が強制労働で死亡したという悲劇を経験してもなお、 北朝鮮がスターリニズムの国家である可能性を疑う事ができなかったのは何故でしょうか? 関東軍は住民を見殺しにして逃げ出した事にしてしまったので、そのような悲劇は目に入らなかったのでしょうか? 「王道楽土」や「五族共和」、「満州は日本の生命線」などの美しい響きを持つスローガンに共感した「満蒙開拓移民」の悲劇から何も反省する事はなく、無責任な歴史を再び繰り返しました。 これはもはや「無能」では済まされない程の悪質な行為ですが、 彼らは二度と戻って来る事ができず、 マスコミを批判する機会を与えられないまま北朝鮮の大地で死んでいきました。 そしてマスコミはやはり何ら責任を取らないままこの失態を風化させただけなく、 シベリアの悲劇についてさえも風化させ、 社会主義を賛美し続けました。

 集団心理に同調して不都合な可能性の報道を自粛する、 多くの人々を悲劇へと導いたこの恥ずべき無責任な傍観者根性は戦後70年が過ぎた現在においても全く改善される事はありません。 論理的思考の欠如したマスコミによって日本社会から奪われた「正当化の論証」とその代わりに埋め込まれた「全会一致の精神論」と「不都合な可能性からの逃避(駝鳥政策)」。 これこそが日本社会のパンドラの箱の中に封印されている「日本の死に至る不治の病」の正体だ。 日本のマスコミとは自分達が政治的、社会的に公正であると考える「ポリコレ歴史」には決して反論できないように、 社会的圧力をかけて国民を沈黙させてきた「ポリコレ歴史洗脳集団」なのだ。 マスコミの精神論や偏向報道によってこれまでも日本は破滅へと導かれてきたし、これからも次なる破滅へと導かれる事であろう。 マスコミによって固く守られているパンドラの箱を開けてしまわない限り。 論争に聖断を下す者が存在しない以上、パンドラの箱を開けることができるのは童話に示されている通り、子供しかいないのだろうか。

3. 東アジアのパンドラの箱 〜It's all a lie, and no matter how angry they get, it will always be a lie.〜

 「裸の王様」の本来の伝承ではパンドラの箱を開けるのは子供ではなく黒人、即ち外国人です。 しかし、この問題は実は日本人だけの問題ではありません。 邪馬台国が韓国起源であれば、韓国人は喜ぶだろうと考えるかもしれませんが、それはとんでもない勘違いです。 この問題は韓国人にとってはさらに深刻です。

 韓国人なら誰でも知っている偉大なる朝鮮民族の始祖であり、 箕子が封じられるまで朝鮮の地を1500年間支配したという檀君。 その即位を祝う開天節は韓国人にとっては光復節と並んで「国慶日」と呼ばれる重要な祝日に指定されています。 しかし、楽浪郡が遼東にあった事になると箕子朝鮮も遼東にあった事になる。 そうすると檀君朝鮮も遼東にあったという事になり、朝鮮半島の歴史とは関係が無くなってしまう。 すると檀君神話は後世の捏造が疑われ、 韓国人が作り上げた民族の物語が根本的に否定される危険があるのです。 そればかりではありません。 そもそも任那日本府の存在さえ認めていない韓国人にとって、 朝鮮半島の歴史が軽蔑する倭人の手によって始まり、半島全体が倭人の土地だったというようなコペルニクス的転回が受け入れられるはずがありません。 まだ中国の植民地だったという説の方がマシで、定説を否定する事によって韓国人が受ける衝撃は日本人とは比べ物にならないほど強大であり、その結果を受け入れられるはずがない。 それ故に韓国の学界もマスコミも定説を守り続ける以外に道はありません。 韓国社会も日本社会と同様に真実と向き合う事ができない。 これは外交問題に発展する事が間違い無いほど恐ろしい問題なのです。

 中国人にとっては満洲や遼東半島が古来より中国の不可分の領土である事を主張するため(東北工程)、そして朝鮮半島が昔から植民地だったという説が中華民族の偉大さを証明するために定説を守り続けました。 「朝鮮は中国の一部だった」というのは、既に中国人の常識となっているのです。 日本人は倭国の歴史を日本列島に組み込むことを熱望し、 韓国人は倭国の歴史を朝鮮半島から排除することを熱望し、 中国人は朝鮮半島の歴史を中国に組み込むことを熱望する。 即ち、仲の悪いこの3国の共通の願望が楽浪郡平壌説であり、それ故に例え嘘であってもいいからこの虚構の世界に安住する以外に無いのです。 定説とは東アジア全体が確かだと確認した説などではなく、単に政治的に否定する事がタブーなだけの説なのです。極東アジアの民族感情が原因で(東アジアの)パンドラの箱の中に邪馬台国は封印されてしまったのです。

 北朝鮮人はこの問題の深刻度に気付いていないだけかもしれませんが、このような発想とは無縁で、中国の植民地ではなく主体的な国があった事だけを証明すれば良いわけですが、国力が弱いので彼らの主張は他国からは無視されるだけです。 最も言論の自由の無い国の学者達が最も論理的な主張をしているのは、皮肉な話です。 そして、この4カ国以外の国々はこの問題に対して興味が無い。 これもまたもう一つの理由です。 極東アジアにおいては邪馬台国論争とはもはや、永遠に解決してはいけない問題なのです。

4. パンドラの箱を開けよう 〜No lie can live forever. Let's end the lies.〜

 楽浪郡平壌説とはニセ学者達が生み出した妄想であるにもかかわらず、学界にとっても、日本社会にとっても、東アジア全体にとっても絶対に否定してはいけない説なのです。それ故に邪馬台国は朝鮮半島から追い出され、幾重にも重ねられた固いパンドラの箱の中に封印されて、永遠に見つけられないようになっています。 こうして真実に近づこうとする者達は異端として抹殺され、 学界の改竄した偽歴史に騙された者達は、中国人が知らなかった土地の上で、行程が合わない事や記紀に記述が無い事に疑問を持ちながら、見つかるはずの無い邪馬台国を延々と探し続けてきたのです。

 立証責任を放棄したニセ学者達にそそのかされて偽歴史を完成しようとする者達と、ニセ学者達に騙された上に「研究ごっこ」と馬鹿にされながらも偽歴史の完成を阻もうとする者達との間で繰り広げられる不毛な論争。 これが邪馬台国論争の真相です。 この論争から得られる事は、疑似科学の手法を学ぶ事だけです。 卑弥呼は泣いているのでしょうか。 それとも笑っているのでしょうか。

 これからも日本人は貴重な時間を浪費して擬似科学の手法を学び、永遠に邪馬台国を探し続けるのでしょう。 パンドラの箱を開けてしまわない限り。 論争が始まってからもう100年。そろそろ夢から覚め、異端とされている山形説へのパラダイムシフトを図るべき時ではなかろうか。 嘘で塗り固められた歴史など、日本人には不要のはずだ。 もうこれ以上、偽歴史を子供たちに教えるべきではない。 子供たちに教えるべきは「全会一致の精神論」ではない。 教えるべきは、批判的思考に基づいた論理的推論の方法であるべきだ。 子供たちに教えるべきは「不都合な可能性からの逃避(駝鳥政策)」ではない。 教えるべきは、不都合な可能性を直視する「正当化の論証」であるべきだ。 子供たちの将来のためにも、日本の将来のためにも、子供たちに誤った道を歩ませてはいけない。 第二の内閣府職員を出さないためにも。

応援メッセージが続々!
邪馬台国が見つからない理由を理解できました。
邪馬台国の本を数十冊読みましたが、無駄だった事がわかりました。
畿内説って邪馬台がヤマトだとか、オヤジギャグを飛ばしてただけだったんですね。
見たいものしか見ず、信じたい歴史と史実を混同する。これぞ歴史修正主義ですね。
学校で「疑問を持つ事」ではなく「疑問を持たない事」を教え込まれたから日本人は思考できないのですね。
日本社会は「垂直思考」だけで「水平思考」が許されないから破滅に向かって一直線なのか。

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