歴史教科書捏造の歴史教育問題と改竄歪曲のマスコミ社会問題
〜もみ消し学校教育でニセ歴史問題でっち上げ〜言いくるめ言い逃れ愚民化政策の洗脳社会教育〜
歴史学なめ子(人気上昇中!) 社会科学研究家, 2022.11.10
学校で必ず教育される「313年に高句麗は朝鮮半島北部へ進出し、楽浪郡を滅ぼした」という歴史事件を覚えているでしょうか。
しかし実際には高句麗は楽浪郡を攻撃しただけで、歴史書における楽浪郡はその後も存続しています。
これは歴史学的な根拠など全く存在しない、でっち上げの偽歴史です。
歴史歪曲禁止法で防止すべき、
「こうだったら説明がつくからいいなぁ」という程度の洗脳歴史教育です。
「歴史学は史料批判に基くから信頼できる」などと信じている者達は騙されています。
実際には史料批判どころか、
何の史料にも記述されていないような改竄歴史を「史実」として確定してきたというのが、
日本の歴史学の秘密です。
では歴史学者達は何故そのような歪曲歴史で学校教育する必要があるのでしょうか?
それは歴史学的に確定してしまった「楽浪郡が平壌に存在した」という捏造歴史に決して疑問を持つ事がないようにして言い包めるためです。
STAP細胞騒動など足元にも及ばないような日本の歴史学のパンドラの箱、「100年に渡る組織的な研究不正」に対して決して疑問を持たぬようにして言い逃れるために。
だから子供達を歴史洗脳して歴史の真実を隠蔽し、日本人を愛国妄想歴史で歴史修正主義者化し、
都合の良い歴史仮説に疑問を持つ事がないようなネトウヨを育成してきたのです。
ただ「歴史学の権威」とやらを守りたいためだけに、
子供達を騙し続けて国民を愛国ポルノで愚民化してきたというのが「歴史学者の正体」です。
そしてその「歴史学の権威」が絶対であると印象操作してそれを崇拝する事を社会規範として社会教育してきたのが、
日本のマスコミと社会学者達なのです。
「歴史学の権威」を疑う事が絶対にないように国民を洗脳し、
歴史学者達に同調圧力をかけて都合の良いように歴史を構築してしまったために、
歴史学者達には、もはや歴史の真実に近付こうとする者達をキャンセル・カルチャーで吊し上げて見せしめにして言論弾圧し、
子供たちを騙し続けて思考停止させる以外に選択肢がなくなったのです。
何故ならば何が社会的に望ましいか(ポリコレ)を決めるのはマスコミですので、
マスコミの言いなりになる歴史学者達はポリコレ・カード・バトルで最強です。
しかし「歴史学の権威」を用いてマスコミに都合の悪い主張をした途端、
学者達のカードは最弱にされてしまい粛清(キャンセル)されてしまうからです。
そしてマスコミと社会学者達にとって重要なのは「国民の知る権利の代行」ではなく、
「歴史学の権威を死守して国民を言いくるめる事」なのです。
彼等も歴史学者達と同様にとっくの昔に戻れない一線を越えてしまっており、
もはやウソの世界を守り続ける外に選択肢はないのですから。
「歴史学の権威」を死守して国民を騙し続けるために社会学者達を御用学者として祭り上げ、「歴史学の成果を鵜呑みにしない者達(ネトウヨの正体)」を黙らせてきたというのが「マスコミの正体」です。
「歴史学の権威」の欺瞞が暴かれる日、
それはネトウヨ達を自ら育成しておいた上に都合が悪くなるとゴキブリ扱いし、
歴史学の成果を鵜呑みにしない日本人への憎しみを外国人に植え付け、
歴史問題が解決されないように奔走してきた、
マスコミと社会学者達の偽善と歴史犯罪も同時に暴かれる運命の日となるでしょう。
本来であれば歴史学の通説とは、
史料批判に基いた実証主義的、客観主義的な「学術的な議論」の結果により決定されるべきです。
しかし日本の歴史学者達は、通説を議論の結果により決めてきたのではありません。
決定してきたのは何と「場の空気」だったのです。
それに先行研究の蓄積を崇拝するので「場の空気」を支配するような学界の大御所達には逆らえず、
先学達の間違いを修正する事ができません。
また外部からの意見に耳を傾ける必要もありませんので、
非公開の場所で学界の内部の論理で政治的、社会的に決定されてきたのです。
日本の歴史学とは、
不都合な歴史資料を情報統制し、
社会的に望ましい歴史仮説「ポリコレ歴史」を史実だと「歴史学的に確定」し、
歴史の真実の隠蔽工作を行ってきた「ポリコレ歴史創作集団」です。
本来であればこのような日本の歴史学の組織的な不正行為を暴くのはマスメディアの責任です。
しかし日本のマスメディアには社会的責任を果たす能力が無いだけでなく、
その意思もありません。
それどころかマスメディアは、
この「歴史学の権威」を守るために都合の悪い事実を隠蔽してきました。
「邪馬台国が日本列島には存在しなかった理由」などいくらでもありますが、
誰もそれを知らないのがその証拠です。
日本のマスメディアは歴史学が「場の空気」で通説を決定する「ポリコレ歴史学」である事を利用し、
社会的影響力を行使してその「場の空気」を作り出してきたのです。
自分達に都合の良い歴史仮説を「歴史学的に確定した史実」だとするために。
それだけでなくこの「歴史学の権威」を崇拝する事を「絶対正義のポリコレ」とするように愚民化政策をし、
崇拝しない者達には「ネトウヨ」という「逸脱者」のレッテルを貼って大衆が嫌悪感を持つように印象操作をしてきました。
そして異論に対しては「ポリコレ無罪」の罵詈雑言で吊し上げて血祭りにし、
見せしめにして言論弾圧してきた「ポリコレ歴史洗脳集団」です。
本来であればこのような日本の歴史学やマスコミの組織的な欺瞞を告発すべき社会的責任がある者達とは、
社会現象の本質を暴くはずの社会学にあります。
しかし日本の社会学者達にとっての存在理由とは、
「社会現象の解明」という研究活動ではありません。
社会学会の研究指針が定める研究目的とは何と「社会正義の追求」なのです。
社会学者達自体が、
「真実よりもポリコレ」を追求する「ポリコレ原理主義者」であり、
都合の悪い人達を「学問の権威」を振りかざしてレッテルを貼って叩き潰すためにマスメディアから「免状」を授けられた「道徳事業家」です。
それに歴史学と同様に先行研究の蓄積を崇拝するので、
「場の空気」を支配するような大御所達には逆らう事はできません。
また外部の意見に耳を傾ける必要もありませんので、
マスメディアの影響下にある「場の空気」に支配された内輪の論理で「社会正義」を追求し、
まるで「風紀委員」であるかのように実社会にそれをゴリ押ししようとします。
だから社会学者達はマスメディアに出て来て走狗のようにボロクソに批判するだけで、
研究成果がなくても批判される事はないのです。
それだけでなく社会学者達は「実証主義」や「客観主義」を批判し、
日本の歴史学に「構築主義」を導入させました。
日本の歴史学が「ポリコレ歴史学」である事を利用し、
マスメディアと結託して罵詈雑言のポリコレ棒で吊し上げて同調しない歴史学者を全て粛清(キャンセル)し、
見せしめにしたのです。
そして歴史学界に「物言えぬ空気」を作り出して歴史学者達を骨抜きにして言いなりにし、
自分達の追求する社会正義を実現するために都合の良い歴史仮説を「歴史学的に確定」させました。
異論を主張するような「ネトウヨ」達には「そのような恥ずべき主張をする歴史学者は一人もいない」と糾弾して大衆が軽蔑するように言いくるめ、
「社会的権威のあるネトウヨ」を全て魔女狩りしてきた「ポリコレ歴史構築集団」です。
本来であればこのように「学問の権威」を振りかざして「場の空気」を支配し、
「組織的な研究不正」をしてきた「頭ポリコレ」のエセ学者達を告発すべき社会的責任がある者達とは、
科学の向上発達を図るべき学術会議にあります。
しかしポリコレ決めてお気持だけで発狂する「ポリコレ信者」達の「モラル・ハラスメント」の同調圧力の前に、
学術会議も骨抜きにされて言いなりの存在です。
何故ならば信者達にはマスメディアから「免状」が与えられているので、
集団心理によって激しい活動を行うからです(自薦の用心棒)。
まともな科学者であればこのような問題に口を出して学者生命を危険に晒すよりも、
自分達の研究に専念したいのです。
学術会議のメンバー達とは学術界における「異端審問」による吊し上げ、袋叩き、血祭り、見せしめ、口封じによる言論統制を黙認してきた、
「キャンセル・カルチャー奨励集団」です。
これが総合的・俯瞰的な視点を導入して「学術的な議論」を取り戻し、
「構築主義」というポリコレ学問を脅かそうとするような学術会議の本質的な改革に対しては、
構築主義を死守することで国民を思考停止させ、もみ消して言い逃れを目論む「ポリコレ布教集団」が常人には理解できない程に猛反発して菅総理を敵視し、
オリンピックが失敗であると印象操作され、
その関係者が次々と粛清(キャンセル)された理由です。
こうして日本人は「歴史学の権威」を利用してポリコレ歴史が史実となるような「場の空気」を「構築」する事に夢中な「ポリコレ歴史修正主義者」の集団となり、
学術的な議論によって歴史の真実に辿り着く事ができなくなりました。
社会的に望ましくない「不都合な真実(アンチポリコレ歴史)」に近付こうとする者達には、
社会全体からモラハラの誹謗中傷が行われ、
全て叩き潰されてきたのです(血祭り文化)。
これが日本人には100年かけても邪馬台国が見つけられなかった本当の理由です。
日本では歴史問題が不毛論争にしかならないのは当然の結果です。
愚民化された「ポリコレ馬鹿」にとっては「真実かどうか」には興味が無く、
「安全かどうか(safetyism)」が重要なのですから。
これがポリコレは社会に沈黙を強制し、人々を面従腹背にさせて分断すると言われる理由なのです。
「物言えぬ空気」は「不正の温床」とも言われており、
キング牧師はかつて次のように述べました。
「問題になっていることに沈黙するようになったとき、我々の命は終わりに向かい始める」と。
「ネトウヨ」や「パヨク」と呼ばれる分断された人達はどちらも「社会的な望ましさ(ポリコレ)」を追求するように現実逃避の教育をされた「ポリコレの変異種」であり、議論を通じて社会的に望ましくない「客観的な真実」に辿り着く事はありません。
人気上昇中!応援メッセージが続々!
歴史学者ってポリコレに配慮してこれまでずっと国民を騙してきたんですね。そしてこれからも騙し続けるんですね。
ポリコレに配慮したこの国の歴史学や社会学は「嘘の温床」ですね。この国の大学は「嘘の製造工場」ですね。
ポリコレに配慮して研究不正を見て見ぬフリする学術会議の存在意義って何ですか?「税金の無駄」ですね。
ポリコレよりも「正直であれ」、「人の嫌がる事はしない」、「失礼な事は言わない」等の方が重要な社会規範じゃないでしょうか。
トンデモ歴史を幼少から叩き込まれ、それが常識となっているポリコレの社会って怖いですね。
マスメディアが日本人を歴史洗脳するための基本方針とは以下の通りです。
- 歴史学者達のコンセンサスを信じる事が人間としてあるべき社会規範である事を信じさせる
- 歴史学者達のコンセンサスに敵対する主張をする事が、モラルに反する行為である事を信じさせる
- 歴史学者達のコンセンサスを信じないようなモラルの低い者達に対しては、
モラルを全面に押し出した「モラルハラスメント」をするように指導する
このような社会的方法を用いる事により、
例え人々が歴史学者達のコンセンサスの間違いに気付いた時でも、
モラルに違反する話題をする事ができないため、
疑問を口に出したりしないように言論統制する事ができます。
何故ならばその話題は社会規範に基いた「論議の窓」の外側に追い出されているからです。
そしてこの基本方針を実践するためにマスメディアが行ってきた愚民化社会実現のための戦略とは、
国民に以下の原則を守らせる事です。
- 歴史学者達のコンセンサスに疑問を持たせない
- 歴史学者達のコンセンサスと敵対する仮説は提案させない
- 歴史学者達のコンセンサスと敵対する仮説は検証しない
これを「歴史洗脳基本3原則」と呼ぶ事にします。
これは異端者を排除するための伝統的な「村八分」の方法を応用した古典的な方法です。
この3原則を社会規範として徹底させる事で、
歴史学者達のコンセンサスと敵対しても社会において決して相手にされる事はない事を理解させます。
そして歴史学者達のコンセンサスを信じる事により「モラルの高い位置」に立つ事ができると同時に、
歴史学者達のコンセンサスと敵対する主張を考える事自体が「モラルに反する行為」である事を人々に信じさせる事ができます。
このようにしてマスメディアは愚民達に正義感を植え付ける事により「免状」を与える事ができます。
即ち、「悪」の主張をする者に対して例え問題のある方法を使用したとしても、
それは正義を実現するために正当化される上に、
批判される事は決してないのだと自信を与える事ができるのです(自薦の用心棒)。
このようにして愚民達を凶暴化させて問題のある主張をする者達を袋叩きにして骨抜きにする事で、
マスメディアは自らの手を汚す事なく国民を愚民化して異論を抑圧してきたのです(キャンセル・カルチャー)。
この歴史洗脳基本3原則を厳守する事により、
マスメディアは単に愚民社会が実現できるだけではありません。
例え歴史学者達のコンセンサスに間違いがあったとしても、
それを隠し通す事ができるのです。
話題にされず、検証もされなければ、誰もそれが間違いだとは考えないのですから。
後は歴史学者達に同調圧力をかけてコンセンサスを作り出せば良いだけです。
そしてマスメディアの保護がなければ、
国民を騙し続けてきたニセ歴史学者達が生きて行く事などできるはずがありません。
歴史学者達がマスメディアの言いなりになるのは当然の成行です。
そしてマスメディアがこの筋書きの戦略を実現するための戦術として利用してきたのが社会学者達です。
社会的影響力を行使して社会学者達を御用学者として祭り上げて彼等の主張を後押しする事により、
その「学問の権威」と「影響力」を共に利用して都合の良い歴史仮説を「歴史学的に確定した史実」とするように働かせてきたのです。
「人は安全な時だけ居丈高になる」と言われていますが、
社会学者達に与えられた「免状」をマスメディアに取り消させない限り、
彼等のキャンセル活動が終わる事はないでしょう。
「いかなる自由にもまして、良心の命じるままに知り、語り、論ずることのできる自由をわれに与えたまえ。」と述べたのは、
イングランドの詩人ジョン・ミルトンでした。
マスメディアはこの基本3原則を守る事により、
ミルトンの言うところの「最も重要な自由」を日本社会から奪ってしまいました。
そして「個人の自由は人間の品性と幸福にとって永久的な本質である。」
と述べたのはイギリスの小説家ブルワー・リットンでした。
マスメディアは日本人が社会学的な素養が全くない事を利用してプロパガンダ技術を駆使する事により、
人間の品性と幸福にとって永久的な本質である「自由な精神」を奪う事に成功し、
日本人が歴史学者達の主張を鵜呑みにするように愚民化してしまったのです。
楽浪郡が滅亡した後、楽浪郡がどうなったかについて知る者はまずいないでしょう。
晋が八王の乱で衰退していくと、華北は鮮卑や匈奴などの北方民族が支配するようになりました。
そのような流れの中で高句麗の美川王は遼東に進出し、313年10月に楽浪郡が高句麗によって滅ぼされると、314年には帯方郡、315年には玄菟郡も次々に高句麗の手に落ちていきした。
高句麗は遼東郡も何度も攻めますが、
遼東郡だけは遼西から遼東に進出した鮮卑慕容部に支配され落とす事ができませんでした。
遼東郡太守の張統と楽浪郡太守の王遵は、鮮卑慕容部の慕容カイに保護されました。
その後、慕容カイは遼西に都市を建設させて楽浪郡とし、張統を楽浪郡太守としました。
楽浪郡はこのように、中国本土に移転せざるを得ませんでした。
しかし別の言葉で表現すれば、楽浪郡は遼西地域においてすぐに復活しました。
高句麗は鮮卑段部、鮮卑宇文部と同盟を組むと、慕容カイは棘(きょく)城(朝陽市の近く)を本拠地として立てこもります。
高句麗は同盟軍と遼西地域にあった棘城に侵攻しますが、失敗します(319年)。
その後、何度も高句麗は遼東郡を攻めますが、鮮卑慕容部から奪う事はできず、
逆に前燕という国家を建国した鮮卑慕容部の慕容コウに攻め込まれ、
集安付近にあったとされる高句麗王都は342年に陥落し、
美川王の墓は暴かれます。
高句麗の故国原王は遼東郡支配を諦め、「前燕」に服属して「楽浪公高句麗王」の称号をもらいました。
以上が歴史学者達が説明する楽浪郡滅亡後の情勢です。
しかし、この話も「玄菟郡は遼東、遼東郡は遼東半島、楽浪郡は朝鮮半島、帯方郡はソウル」という仮定で読むと、何か不可解です。
平壌から抜け出すのは難しいはずなのに、張統と王遵はそろって慕容カイに保護されたのは何故だろうか。
長白山脈を基盤とする高句麗は、どうして平原が基盤の鮮卑慕容部から隣接する千山山脈を奪う事ができなかったのか。
はるか遠方の楽浪郡(北朝鮮)、帯方郡(ソウル)、玄菟郡(遼東)を短期間で全て攻略し、
遼西さえも攻撃したというのに。
朝鮮半島に存在したはずの「楽浪郡」を、慕容カイはなぜ遼西地域に再建したのだろうか。
「楽浪郡」を支配し、342年に高句麗に勝利した前燕の慕容コウが高句麗と講和する時、
楽浪郡を平壌に復活させなかった理由は何故なのか。
資治通鑑晋紀の313年の記事を根拠とするのであれば、
日本の子供達が必ず覚えなければならないような大事件の記録がないのは何故か。
歴史学者達は「313年に高句麗によって朝鮮半島の楽浪郡が滅亡した」と教えていますが、最初から遼西にあった「楽浪郡」は滅亡などしていない可能性があります。
永嘉の乱で事実上滅亡した西晋の各地の刺史達は独立の道を選ぶか、或いはそれぞれの地方の有力者に支援を要請しました。
当時の華北は前趙の劉聡、
前趙将軍で後に後趙を建国する石勒、
西晋の并州刺史劉琨、
帝位を狙う幽州刺史王浚、
鮮卑拓跋部で後に代を建国する拓跋猗盧、
鮮卑段部の段疾陸眷などの群雄が割拠する騒乱状態でした。
そして問題の313年とは、
石勒の側につくか、
王浚の側につくかの選択を迫られる時期でした。
高句麗と長年困難な戦い続けてきた遼東郡太守の張統と楽浪郡太守の王遵にとっては、
独立は不可能であり、前趙や高句麗に保護を求める選択肢もなかったはずです。
幽州刺史の王浚に見切りをつけ、
その地方の有力者であった鮮卑慕容部の慕容カイへの帰順を表明したのではないでしょうか。
楽浪郡が朝鮮半島にあったとすれば、このような華北の情勢など全く気にする必要は無かったでしょう。
中学高校の世界史で教えられている「313年に高句麗が楽浪郡を滅ぼした」という歴史は、
一体全体何が根拠なのでしょうか。
遼東郡、玄菟郡なども支配者が変わっただけで高句麗の故国壌王の時代まで存続しています。
それに北魏の太武帝が遼西地域の肥如において「朝鮮県」を再び置いたのは、
高句麗が平壌城に遷都した五年後の432年の事です。
即ちこの時代の「朝鮮」とは、遼西地域における名称だったのです。
さらに北魏は正光年間(520-525)に営州において「楽良郡」を置き、そこには「帯方県」まで含まれていたのでした。
魏書:樂良郡前漢武帝置,二漢、晉曰樂浪,後改,罷。正光末復...(中略)...永洛正光末置。有鳥山。帶方
「楽良」郡は前漢の武帝が置いた。二漢、晉は「楽浪」と呼んだ。その後改め、廃止されたが、正光の末、復活した。
「罷」とは「廃止する」とかの意味であり、「楽浪郡が高句麗に滅ぼされた」などという記述があるようには判断できません。
それに魏書の説明では、北魏が置いた「楽良郡」は前漢の武帝が置いた楽浪郡とあまり変わらない場所に置いたとしか判断できません。
それは果たして私が「歴史学の手法」や「中国史書の読み方」を正しく学んでいないからなのでしょうか。
20世紀の日本の歴史学者達が調査した平壌での考古学的知識とは、本当に絶対的な確証なのでしょうか。
6世紀の中国で歴史を研究していた魏書の編集者達が楽浪郡に関して持っていた知識よりも、それは本当に確実な証拠と言えるのでしょうか。
「魏書」のような同時代の史料は信頼できる「一級史料」ではないのでしょうか。
中国の正史である晋書の帯方郡の項目には楽浪郡を含む平州の歴史が記されており、
楽浪郡が高句麗に滅ぼされたなどという記述は存在しません。
永嘉の乱の後、
平州は鮮卑慕容部に支配されたと記述されています。
それに資治通鑑晋紀には313年の楽浪郡滅亡後にも、
338年に楽浪太守鞠彭の遼西地域での活躍
(慕容コウと石虎の棘城決戦)
が記述されています。
資治通鑑晋紀に記されている313年の楽浪郡太守の記述は、たったの2行だけです。
晋紀には313年に楽浪郡が滅亡したという記述も無ければ、
楽浪郡が移動した記述さえありません。
「楽浪郡が移動した」という根拠さえ、歴史書には存在しないのです。
歴史書の記述を見る限り、楽浪郡は最初から一貫して遼西地域にあったと考える方が妥当です。
そもそも313年の事件が正史である晋書には記述がありません。
このような瑣末な事件が、
日本の子供たちが必ず覚えないといけないような歴史的大事件であるはずがありません。
それにもしこの歴史事件を教えるのであれば、「313年に楽浪郡が滅ぼされた」でも「楽浪郡が移動された」でもなく、
「313年に高句麗と戦っていた遼東郡太守張統と楽浪郡太守王遵が謀って鮮卑慕容部に帰順し、
慕容カイが張統を楽浪郡の太守、王遵をその参軍事とした」と正確に教えるべきです。
「五胡十六国時代や南北朝時代には楽浪郡や朝鮮県、帯方県は遼西地域に存在した地名であった」という歴史的事実に対して疑問を持たないようにするためには楽浪郡を朝鮮半島から消去する必要があった。
そして少なくとも楽浪郡は338年より前に朝鮮半島から遼西地域に移動させておく必要があった。
もし313年に楽浪郡を朝鮮半島から消去しておかないと、
歴史書には楽浪郡を朝鮮半島から消去できるような口実となる歴史事件が存在しない。
すると「楽浪郡はいつの間に朝鮮半島から遼西に移動したのだろうか?」という答の用意できない疑問が出されてしまう。
そうなると「楽浪郡が朝鮮半島に設置された」という説明自体にも疑問が出されてしまう。
それを防ぐために歴史学者達が学校教育を利用して子供の頃から刷り込んだドグマが「313年に高句麗が平壌に存在した楽浪郡を滅ぼした」という教育項目なのかもしれません。
「平壌の楽浪郡を一旦滅亡させて遼西地域に楽浪郡を再度作り直す」事により、「楽浪郡滅亡後に何故か楽浪郡が遼西地域に存在した」というこの「楽浪郡の遼西移動の怪」に対して、歴史学の素人達が疑問を抱く事がないようにするために。
もちろん、「正確には楽浪郡は滅亡ではなく、遼西に移動しました」などというような余計な知識を子供たちに教えてはなりません。
「玄菟郡の遼東移動の怪」や「消えた万里の長城の怪」も無茶苦茶な改竄ですが、
この「楽浪郡の遼西移動の怪」はそれらをも遥かに越える程の組織的で文字通りの「子供騙しの改竄」です。
日本の歴史学者達とは、歴史書の記述を解釈して歴史を構築しているのではありません。
偉大なる先人達の先行研究の蓄積に沿うように歴史書の記述を適当に解釈し、
社会的影響力を用いてそれを史実としているとしか思えません。
このような改竄歴史を信じて時間を浪費している者達は、哀れとしか言いようがありません。
歴史学者をバカにする行為は社会常識として間違っていませんか?
「歴史修正主義者に対する正しい態度とは、侮蔑する事である」というのが社会常識です。
従って歴史学者をバカにする行為は社会常識として正しい態度です。
このように歴史学者達をネット上で匿名で批判する行為は倫理的、法律的に問題がありませんか?
歴史学における不正行為(歴史の捏造、改竄)の告発は社会正義の一種であり、
倫理的にも法律的にも何の問題もありません。
むしろ倫理的に問題がある行為とは、
歴史の真実から目を背け、ニセ歴史を学校教育を通じて国民に刷り込む行為でしょう。
新型コロナウィルス
菅総理が新型コロナ第三波の感染爆発を主に飲食店に対する時短営業の要請だけで収束させたのは、
日本が世界に誇るべき偉業でしょう。
単に国家の危機を最小限の規制で乗り切っただけでなく、
飲食の場こそが最大の感染源である事を実証したのですから。
それは即ち、ダイアモンドプリンセス号のパンデミックの主な原因は日本政府の検疫体制の不備にあったのではなく、
クルーズ船のビュッフェレストランにあった事をも証明したのです。
安倍政権が2020年2月末にビュッフェスタイルのレストランの危険性を通知したのは懸命な判断でした。
安倍政権を批判する事が「社会正義」だと考えて原因もロクに追求せずに日本政府を糾弾し、
飲食の場における感染爆発への備えを怠ってしまった者達は、
「真実よりもポリコレ」を追求して2020年2月を「失われた一ヶ月」としてしまい、
惨劇を防ぐ可能性を失った自らの過ちを反省すべきでしょう。
ポリコレに目を奪われて真実を見失うなど、愚の骨頂です。
話は変りますが、誰か話題のテニスプレイヤーに教えてあげて下さい。
何がポリコレかを決めるのはマスコミなのだと。
フェミニズム、マイノリティ、LGBTなどの運動は支持者獲得のためにマスコミが方針転換した理念に過ぎないのだと。
マスコミは不満を持つ若者達を崇高な理念で扇動し、正義感を植付けて罵詈雑言で批判するように凶暴化させてきたこれまでの印象操作の愚行を繰り返しているだけなのだと。
マスコミに敵対する者こそが最悪の反ポリコレであり、問答無用でキャンセルされる運命にあるのだと。
おまけ1:ファシズムのバイブル「ヒトラー語録」
満足している者は戦力にならない。不満を集めて彼等を扇動し、はけ口を一点に集中してこそ強力な戦力になる。
理念とは飽くまでも目的のための手段であり、理念の実現自体を目的とすると危険になる。
敵対する理念を抹殺するために戦うのではなく、自分達の理念を実現するために戦え。
理念がしっかりしていないと、卑怯と呼ばれる武器の使用をためらってしまう。
宣伝は学問ではない。知的水準が最低限の者が判る程度にするべきだ。できるだけ理屈を省いて分かり易くする事である。
宣伝とは、大衆を確信させるため、最も単純な概念を何千回と繰返し、覚えさせる事である。
責任は全て敵にある。重要なのは「我々の責任ではない」と突っぱねるのではなく、「あいつの責任だ」と突っ放す事だ。
マスコミは下衆である。口当りの良い言葉を用いるマスコミや人間は自己の利益のみに動くか、単なる馬鹿である。用心すべし。
現代社会の中には、犯罪よりもいまわしいものが一つだけあります。それは「抑圧的な正義」です。
自分の知識を誇りに思う知性派の人間は、自分の大きな独房に誇りを持っている死刑囚のようなものです。
我々が選ぶべきは「空想の楽園」ではなく「現実の地獄」です。
「過去の破壊」は、あらゆる罪の中でおそらく最大の罪です。
人は権力を手にした時、悪を悪として感じられないだけでなく、不可欠のものとして、さらには義務として感じるのです。
歴史認識問題のマスコミのごまかしは歴史学の嘘の温床の口封じ
マスコミ社会問題は歴史問題の現実逃避と思考停止の社会教育
歴史学の蓄積で言論統制するネトウヨ妄想のマスコミ学校教育
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