ウソごまかしの偽歴史学への同調圧力で歴史認識問題を解決
〜ポリコレ歴史修正主義の愚民化政策〜情報操作と印象操作で世論誘導〜マスコミの報道しない自由〜

X.M. 社会学研究家, 2024.6.5

ウソごまかしの偽歴史学への同調圧力で歴史認識問題を解決

 「擬似問題」という言葉をご存知だろうか? 問いを立てる際の暗黙の仮定や前提が誤っていたり、 検証できないものに依拠していたりするため答えがそもそも存在しない問いのことだ。 問いに含まれている誤った前提に気づくことなく、そのまま推論を進めていくと、 矛盾やパラドックスと呼ばれる状況に直面する。 一般にはそうした状況になって初めて、 「これは擬似問題なのではないか」つまり「議論の前提に何か誤りが含まれているのではないか?」と気が付くことになる。 擬似問題はある真性の問題について、その片鱗を掴んだだけの直観から記述されていることが多く、多くのばあい擬似問題は無意味ではなく真性の問題が含まれている。 こうした理由があるため、学術関係者は必ずしも矛盾やパラドックスを忌み嫌いはしない。 むしろ誤った仮定や前提の存在を教えてくれる重要なサインとして、矛盾やパラドックスについて深く考え、何とか「誤った前提」を見出そうと努力するのが「普通」である。 多くの擬似問題は論理的に適切な操作によって「擬似解決」を与えることができるが、 このばあい矛盾やパラドックスは「独断論」という擬似解決に先送りされている。

 しかしどれだけ深刻な矛盾やパラドックスに突き当たっても問題点を考察する事もなく、 「誤った前提」を見出そうと努力する事を絶対にしない、 「普通」ではない思考停止した人達がこの世界には現実に数多く存在する。 それは日本の歴史学者達であり、 日本のマスコミであり、 そしてほぼ全ての日本人だ。 そもそも中国の正史に誰にも分らないような記述がされるはずがない。 歴史書を記述した者は、邪馬台国への行程を誰にでも分るように記述したはずだ。 邪馬台国が誰にも見つからない時点で何かおかしいと考えるのが「普通」だ。 しかし現実の日本社会では、邪馬台国を100年間探し続けて誰にも見つけられなくても、 その原因を追求しようとする動きは出て来ない。 誰もこれが擬似問題である事を疑う事はないのだ。 それだけでなく日本人は自分達の思考回路が「普通」ではない事には決して気付かないのだ。

 「邪馬台国が日本列島に存在した」という仮説は絶対に正しいとされている。 しかしその根拠は実は前漢武帝が前107年に衛氏朝鮮の跡地に置いたとされる「楽浪郡」が平壌にあったという「不動の定説」だけである。 平壌で発見された「楽浪漢墓」などの遺跡は中国系の住民が多数居住していた事の実証にしかならないし、 「楽浪太守封泥」などの遺物も楽浪郡との政治的交流が盛んだった事の実証にしかならない。 これらの考古学的確証では、例え朝鮮半島を支配したとしても「一時的に支配したかもしれない」程度の主張しかできないはずだ。 このような「可能性がある」程度の確証に過ぎない「楽浪漢墓」や「楽浪太守封泥」をもってして、 中国の歴代王朝がBC107年から313年までの江戸時代よりも長い420年もの間、 前漢赤眉の乱後漢黄巾の乱三国時代西晋八王の乱などの激動と波乱の時代を通して、 一貫して朝鮮半島を支配した「絶対的な確証」だと強弁しているのが日本の歴史学者達である。 「楽浪漢墓」や「楽浪太守封泥」等の遺物を説明できる国家は、 わざわざ中国から楽浪郡を朝鮮半島に持って来なくても歴史書の中に存在する。 例えば「万里の長城」建設の苦役から逃亡した「秦人」逹が「馬韓」の東に建国したという「辰韓」等だ。

 中国を統一した隋帝国の皇帝である煬帝は、 「隋の第二次高句麗遠征」において60万の大軍で平壌を攻撃した。 日本史上最大の合戦である「関ヶ原の戦い」は両軍併せても20万人に達しない。 元寇の弘安の役も、文禄・慶長の役の規模もそれぞれ15万人程度である事を考えれば、 中国史上最大規模の遠征軍である。 しかしその隋の大軍は中国と平壌の間にある朝鮮半島の清川江においてほとんどが殲滅されてしまったのだ。 この歴史を学びさえすれば乱世の歴代中国王朝が、 400年以上に渡って平壌の支配を維持する事などに関心があるはずがない事を、 「常識」として理解できるはずだ。 しかし「象牙の塔」の住人である歴史学者達は歴史書の世界に没頭し、現実の世界を見る事などない。 何しろこの人達は魏が満州において4万程度の軍隊を派遣して「遼隧の戦い」で勝利した事を理由に、 平壌を支配していた公孫氏は自動的に滅亡したと考えているのだからおめでたい思考の持主ばかりだ。 だから公孫氏の滅亡を機に「日本にいた卑弥呼が朝鮮半島に使者を送った」などという夢物語を本気で信じているのだ。 「中国歴代王朝が420年に渡って朝鮮半島を支配したという仮説には現実性(リアリティ)が無いのではないか」などという疑問を持つ歴史学者は、誰一人として存在しないのだ。 そしてこの机上の空論に過ぎない「楽浪郡平壌説」という現実性の無い仮説を社会的影響を最大限に利用して絶対的な明証性を持つドグマとし、 「独断論」という「擬似解決」に先送りしたままパラドックスを現在まで100年間も放置し続けてきたのである。

 歴史学者達は単に現実の世界を見る能力が無いだけでなく、その本職であるべき「歴史書を解析する能力」においても無能である。 中国の歴史書では古代史書から14世紀に至るまで、 楽浪郡の場所は一貫して遼東(満州)に存在すると認識されていた。 三度目の遠征で遂に平壌を占領して高句麗滅ぼした唐軍の中で、 「遂に楽浪の地を取り戻した」などと記した者は存在しない。 楽浪郡が平壌に存在したと思わせるような記述は中国の正史には存在しないのだ。 歴史書のどこをどう読んで楽浪郡が平壌にあったと結論したのか不思議だが、 ただ一つだけ考えられる理由があるとすればそれは「跡地に楽浪郡が設置されたという衛氏朝鮮は、朝鮮半島に存在した国家である」という、 検証されていない「論点先取」の誤謬だけである。 衛氏朝鮮が「朝鮮」という国名を持つため、それが「朝鮮半島」に存在したと思い込んだとしか考えられない。 「朝鮮」という国号が使われるようになったのは1392年に成立した李氏朝鮮からであり、 14世紀以前の中国人が「衛氏朝鮮」と「朝鮮半島」を混同する事は無かった。 それ故に中国の歴史書では14世紀に至るまで、 楽浪郡の場所は一貫して遼東(満州)に存在したと認識されていたのである。

 ところがの時代にもなると、 1739年に成立した明史において「楽浪の地であった朝鮮」と「李氏朝鮮」の説明が同じ項目にまとめて記されてしまう。 そして更に時代が下ると魏源が1842年に『聖武記』において「朝鮮は本より中国の地なり」と記したように、 もはや中国人自体が「衛氏朝鮮は朝鮮半島にあった」と完全に勘違いするようになってしまった。 この魏源の著作は幕末の日本の知識階級に多大な影響を与える。 そしてこれらの清代の歴史家達の誤った歴史認識は、 明治時代の日本の歴史学者達に何の疑念も生み出す事もなく受け継がれたのである。 日本の歴史学者達の「通説」は、最初から間違っていたのだ。 しかし日本の歴史学者達は現在に至るまで「歴史学の通説」や「偉大なる明治の先人達の先行研究」を崇拝し、 楽浪郡平壌説は変更不能な聖なる理論となってしまった。 こうして歴史学者達は「歴史学の成果」が間違っている事に気付かないまま、 「偉大なる先人達」の犯した過ちを大切に守り続け、 100年に渡って誤った研究成果を蓄積してきたのである。 現実世界においてはゴミの山にすぎないこれらの「歴史学の蓄積」を、 まるで神聖なる成果であるかのように崇拝している学者達の姿は哀れである。

 日本の歴史学者達は単に歴史仮説の現実性を検証もせず、 歴史書を解析する能力がないだけではない。 日本の歴史学は「通説」を「客観的真理」を追求して議論を通して導いているのではない。 「通説」とは何と「場の空気」で決めるものなのだ。 社会的な圧力によって異端者を黙らせる事で「通説」を確定しているのである。 それだけでなく、歴史事件の因果関係を深く考察する事もなく単純に帰結する。 その上、歴史問題を公の場で透明な議論をする事もないので論理に誤謬がある事には気付かない。 もちろん、多面的な視点から議論を行う事もない。 最大の問題点は、学問としての基本である「歴史仮説の問題点の公開」をする事がない事だろう。 だから「楽浪郡平壌説」の深刻な矛盾点など山ほど存在するにも拘わらず、誰も知らないのだ。 そして正しいとされている前提を疑う事もなければ、柔軟な発想をする事もない。 問題点から目を背けて思考停止し、議論もせずに「史実」を場の空気で決めているのだ。 だから楽浪郡平壌説のような現実性のない似非歴史が「定説」になってしまったのである。 日本の歴史学者達が、歴史の真実に到達する日が來る可能性など、永遠に無い。 日本の歴史学とは、 政治的、社会的に公正な歴史仮説「ポリコレ歴史」を社会的圧力によって史実として確定してきたのであり、 それは学問とはほど遠い「キャンセル・カルチャー」の「似非歴史学」なのだから。

 歴史学者達の無能ぶりは「古代史犯罪」と呼ぶべき悪質なレベルであるが、 それよりももっと悪質なのが日本のマスコミの無責任ぶりである。 民主主義政治にとっては自由な討論が不可欠であり、 自由な討論のためには国民が争点を判断する際に必要な意見や情報に自由に接しうることが当然の前提である。 そしてマスコミの社会的役割とは「国民の知る権利の代行」であり、即ちそれは国民に真実を伝える事だ。 しかし日本のマスコミにとっては「邪馬台国の場所が本当はどこにあったか」など、 全くどうでも良い話である。 国民に真実を伝えるためにマスコミが「歴史学者達の主張が正しいかどうかを検証する責任がある」と考える事は絶対にない。 日本のマスコミには「報道しない自由」が有り、 真実を伝えて社会的役割を果たす責任がないのだ。 何しろ日本のマスコミにとって一番重要な社会的使命とは「国民の知る権利の代行」ではなく、 情報操作と印象操作を駆使して「歴史学者の主張を鵜呑みにするように国民を世論誘導する事」なのだから。

 マスコミは戦後その社会的影響力によって「場の空気」を支配し、 歴史学者達を飼い馴らして「正しい日本史」を作り上げてきた。 マスコミが作り上げた「正しい日本史」とは、歴史学者の権威によって守られているのである。 国民が歴史学者の主張を疑うようになると、 マスコミが作り上げた「正しい日本史」にも疑惑が持たれてしまう。 マスコミにとって「歴史の真実」など国民は知らなくても良いし、知ってはならないのだ。 だからマスコミは歴史学者の権威を傷付けるような報道は絶対にしない。 ひたすら無能な学者達のいい加減な研究結果を鵜呑みにし、 読者を喜ばせるような提灯記事発表報道するだけなのだ。 邪馬台国が日本国内にあるはずなどないにもかかわらず。 彼らがよくレッテルを貼って非難する「歴史修正主義者」の意味とは、 彼らが主張するような「歴史の真実を都合の良いように改竄しようとする者」の意味などではない。 その本当の意味とは、 「歴史学者達のコンセンサスを鵜呑みにしようとしない者」を意味するのである。 歴史の真実を都合の良いように改竄してきた者達とは、歴史学者達とマスコミの方なのだから。

 こうして日本人は無責任なマスコミによって愚民化され、 歴史学者達の説明を鵜呑みにするように飼い馴らされてきた。 気が付くと歴史学者とマスコミが共同で作り上げた強固なパンドラの箱を開ける事が絶対にできない仕組みが出来上がってしまったのである。 これが日本人の思考回路が「普通」ではない理由であり、 そして日本人が邪馬台国を100年かけても見つけられない本当の理由でもある。 邪馬台国論争とは「古代史ロマン」などではなく、 それは日本社会の闇が生み出した妖怪のようなものだ。 ここでは歴史学者の無能ぶりとマスコミの無責任ぶりについて具体的に詳しく説明すると共に、 彼らが団結して作り上げたパンドラの箱とは何かを説明する。 そして歴史問題が不毛論争となる理由を社会学的観点から説明する「楽園仮説」を説明する。 そして日本社会の問題点を明らかにする。

歴史学の定説の敗北とトンデモ歴史を流布するマスコミ(さらに詳しく!)

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歴史学者達ってポリコレの視点から判断するために、総合的・俯瞰的な視点を失ったようですね。
「歴史学的に確定する」って、「社会的圧力をかけて異端審問し、口封じする」事なんですね。
マスメディアって歴史学者と共同で社会的圧力をかけ、異論をポリコレ棒で封印してきたんですね。
マスコミ報道を鵜呑みにすると、歴史学者のポリコレに騙されている事に気付かなくなりますね。
邪馬台国の場所は歴史をポリコレ学者達の手から一般の人へと移すキッカケとなりますね。


邪馬台国論争の真相Q&A

適当にインターネットで情報を集め、いい加減な主張をするのは社会悪ではありませんか?

 いつの時代でも、良い情報とは「読者の知らない事が書いてある事」、そして「読者が読んだ後に、考え方が変わる事」だと考えています。 ここで提供されている情報は、意図的に秘密にされてきた情報が多く、多くの読者は知らないはずです。 従って社会に対して最高品質の情報を提供し、社会に貢献できたはずです。 間違った事が書いてあるかもしれませんが、その場合には何が間違っているのかを公共の場で議論すれば良いだけです。 この国には、言論の自由があるはずなのですから。

邪馬台国論争は歴史学の問題です。社会学を持ち出すべきではないのでは?

 「ものごとを正しく見るには、たった一つのやり方しかない。物ごとの全体を見ることだ。」と述べたのは、 イギリスの評論家ジョン・ラスキンでした。 邪馬台国論争とは単に歴史問題であるだけでなく、社会問題でもあります。 この問題を解決するには、「邪馬台国論争」という社会現象の全体を見る必要があります。

主張は実名ですべきです。匿名の歴史コメンテーターの主張など無視すべきではないですか?

 アイルランドの詩人オスカー・ワイルドは、 「素顔で語るとき人は最も本音から遠ざかるが、仮面を与えれば真実を語り出す。」と述べています。 実名を使用している人達はポリティカル・コレクトネスに注意を払う必要があり、 例え真実であったとしても社会的に問題が有りそうな内容を発言できません。 特に社会的に敏感な話題においては、実名の場において出される意見は本音ではない事を疑うべきです。 むしろ匿名者の主張の中にこそ、真実がある可能性を考えるべきです。

歴史学の手法を学んでいない者は歴史を語るべきではないのではありませんか?

 ある手法を学んでそれを絶対視した場合、「専門偏向」や「知識の呪い」という認知バイアスに囚われてしまいます。 歴史学には幅広い観点からの検証が必要で、理性主義経験主義実証主義科学的方法などに基づいた、実現可能性合理性の論証が必要です。 歴史学者達が「専門偏向」や「知識の呪い」に囚われている現状においては、残念ながらそれは外部の者によってのみ可能です。 それに外部の人間は、歴史学者達とは異るアプローチから真実に至る道を見つけることができるのです。

 「空はどこに行っても青いということを知るために、世界をまわって見る必要はない」と述べたのは、 文豪ゲーテでした。 「邪馬台国は日本列島には存在しなかった」というような自明な事を知るために、 歴史学の手法などをわざわざマスターする必要はありません。

素人がプロの学者達の成果を批判するのは「研究ごっこ」ではありませんか?

 「無知をおそれてはいけない。偽りの知識を恐れよ。」と述べたのは、 ブレーズ・パスカルでした。 恐れるべきは楽浪郡平壌説のような偽りの知識であり、素人である事など恐れる必要はありません。

 史料を総合的に解釈できないからと言って史料自体を否定するのは、 史料に立脚して歴史を考える歴史学の立場からすると学問自体の否定です。 しかし、日本の歴史学者達が崇拝しているのは史料よりも先学達の先行研究です。 研究成果が内藤湖南白鳥庫吉の時代から既に間違っており、 代々間違いを大切に引き継いでいる事に気づかないのです。 「研究ごっこ」をしているのは日本の歴史学者達の方です。

 「楽浪郡遼東説」とは平壌説が定説化される前には一般的に主張されていた説で、別に大それた主張をしているわけではありません。 それに大多数の学者達が主張する説だから間違い無いだろうというのは、専門家の信念多数派意見という誤謬を犯しています。 「学問の父」とされる古代ギリシアアリストテレスは「ある事を確信している場合、その前提となっている理由はその都度問われても良い」としました。 前提となっている理由は、矛盾が出る度に疑うべきだというのは、古代ギリシアの時代から学問の基本中の基本なのです。 残念ながら日本の歴史学にはその学問の基本が存在せず、独断主義に陥ってしまい、前提を疑う事がないのです。 日本の歴史学とは「結論ありきの歴史学」なのです。

歴史の解釈は専門家集団に任せるべきで、素人がいい加減な気持ちで語るべきではないのでは?

 「邪馬台国が日本列島のどこかに存在した」という歴史仮説は歴史書の記述も考古学資料も、 総合的に何も説明していません。 学問とは幅広い分野から総合的に検証される必要であり、 専門家は他分野からの意見を積極的に受け入れなければなりません。 それに「不正の背景」と言われる「物言えぬ風土」に専門家集団が支配されてしまった場合、 不正を指摘できるのは外部の人間しかいません。 組織が内部批判を許容できなくなった場合、その組織はもう腐っているのです。

 「分析は、はじめから総合を視野に入れ、かつ総合に役立つように配慮するのでなければ、総合に役立たない」と述べたのは、 フランスの歴史学者マルク・ブロックでした。 「邪馬台国は日本列島には存在しなかった」という歴史仮説は歴史書の記述も考古学資料も、 全て総合的に説明できるのです。

ネットしか情報源が無い素人が、専門家が気づかない真実をそんな簡単に知れるはずがないのでは?

 「史料は太鼓のようなもので誰かが叩かなければ音はでない、すなわち、問題意識を持って史料に問いかけない限り答えてくれない」という名言を残したのは、 マルク・ブロックでした。 真実に至る情報は、ネット上にいくらでも転がっています。 しかし歴史学者達は独断主義に陥って結論が決まっていますので、 日本の歴史学者達はそれらの情報を無視するだけなのです。

素人が歴史を語り専門家を批判するのは歴史学への冒涜ではありませんか?

 歴史学とは客観性と合理性を保ちながら研究すべきである、というのが歴史哲学における重要な考え方です。 もし専門家集団が合理的思考を失って歴史修正主義に陥ってしまった場合、それを批判できるのは部外者しかいません。 それに正しい歴史を語るのは歴史学への貢献です。 妄想歴史をドグマとして歴史学を冒涜しているのは、私ではなく日本の歴史学の方です。

 「発見に至る最大の障害は無知ではない。それは知識による錯覚だ」という名言を残したのは、 アメリカの歴史学者ダニエル・J・ブーアスティンでした。 日本の歴史学者達は「歴史学の成果の蓄積」という知識による錯覚により、 袋小路に陥ったまま出る事ができないのです。

他分野の専門研究の成果は尊重すべきではありませんか?

 「自説に固執し夢中になることは愚鈍さの最も確かな証拠である」と述べたのは、 フランスの哲学者ミシェル・ド・モンテーニュでした。 正しい研究成果であればもちろん尊重しなければなりません。 しかし、間違った研究成果に固執し夢中になっている愚鈍な者達を尊重すべき理由などありません。 むしろ「他分野の専門研究に干渉すべきでない」というルールこそが、不正研究が見逃されている原因でしょう。

これまでの歴史学の成果を否定するのは「歴史修正主義」ではありませんか?

 学問としての歴史は常に見直しの可能性が開かれています。 何故ならば、絶対化された歴史はイデオロギーとして神聖化された物語であるからです。 歴史学における用法での「歴史修正主義」とは、自然科学における「パラダイムシフト」に相当する概念であり、学問の発展に寄与するもので倫理的にも問題はありません。 正しい成果は尊重しなければなりませんが、間違った成果を否定するのは学術的にも倫理的にも正しい行為です。 最初から「歴史修正主義者」によって修正されてしまった歴史は、真実の歴史に戻すべきです。

 「子供たちを正直であることができるようにすることが、教育のはじめである」という名言を残したのは、 ジョン・ラスキンでした。 改竄歴史を事実のように子供たちに教える日本の歴史学とは「子供だましの歴史学」です。 ウソで騙して子供たちに正直であることができないようにする事は、 教育の基本を破壊しています。

歴史学者が嘘をついていると批判するのは倫理的に問題がありませんか?

 ロシアの小説家アントン・チェーホフは、 「嘘をついても人は信じる。ただ権威をもって語れ。」と述べています。 権威のある者達が集団で嘘をつけば、人はそれを信じるのです。 まさか歴史学者達自体がそもそも誤りを見て見ぬフリをするダチョウの集団である、 などとは誰も考えたりしません。 だから人々はこれまで彼ら主張を疑った事はなかったのです。 それにアイルランドの文学者バーナード・ショーは、 「すべての偉大な真理は、最初は冒涜の言葉として出発する。」と述べています。 「倫理的に問題がある」ように見えるからこそ、それが真実であるという可能性を考えるべきです。

これまで血の滲むような努力をしてきた歴史学の先輩方を批判するのは失礼ではありませんか?

 残念ながら歴史学者達は血の滲むような努力などしていません。 「歴史の真実を探求する」というプロとしての責任を全く果たしていません。

歴史学の専門家の学問研究の成果を参照しない与太話を信じるべき理由は何ですか?

 日本の歴史学の成果の蓄積とは、間違った先行研究の土台の上に構築されたゴミの山です。 そのような成果を崇拝してきたから日本の歴史学は似非歴史学になってしまったのです。 真実を追求するのであれば、間違った研究成果を参照するべきではありません。

日本史とは歴史研究者による実証史学に基づいた研究成果ではないのですか?

 史料批判の英語版においては、 史料の評価における最も一般的な方法とは、認識論である事が明記されています。 (Epistemological theories are the basic theories about how knowledge is obtained and thus the most general theories about how to evaluate information sources.) しかし日本の歴史学では、史料を評価する際の最も一般的な方法であるはずの認識論に基いた科学的なチェックを全くしていません。 日本の歴史学とは、いわゆる「科学」ではないのです。 それ故に日本の歴史学には、邪馬台国が日本列島に存在しなかった事を理解できないのです。

 日本の歴史学は実証史学に基づいてなどおらず、それは先行研究に基づいています。 先行研究を崇拝する余り先人達の過ちを大切に守り続け、 歴史書の記述を先行研究に合うように解釈してトンデモ歴史を創作し続けてきた疑似歴史学です。

何故、このように学者達を批判するのですか?

 「概してすべての大きな失敗の奥底には、うぬぼれが潜んでいる。」と述べたのは、 ジョン・ラスキンでした。 日本の歴史学の奥底には、「歴史学の成果の蓄積」に対するうぬぼれが潜んでいます。 そして歴史学の大きな失敗を直視できなくなっています。

 歴史学の手法とは客観的な根拠を示し、論理的な考察を行い、他者を納得させられる方法であるべきです。 特定の立場に都合よく利用する思想を排し、実証主義に基づいて科学的、客観的に歴史を把握せねばなりません。 歴史は都合の良い物語などではなく、歴史学は絶対に歴史を捏造してはなりません。 「虚像で構成されて世に与えられている歴史に対し、実像を組み立てるのが歴史家の仕事だ」と述べたのは、 日本の歴史学者和歌森太郎でした。 しかるに日本の歴史学者達は科学的な手法に基づいた検証を行わず、社会的影響によって多数派を構成し、 政治的影響力を用いて都合の良い物語を「真実」とし、虚像で構成された歴史を世に与えています。

 日本人とは創造力に溢れた素晴らしい人々だと考えています。 しかし、数多くの日本人が歴史修正主義者達に騙されて無意味な論争に時間を費やし、何の成果を得る事もないまま時間を過ごしています。 この論争は単に無意味なだけでなく、我々から健全な思考能力を奪い、むしろ有害です。 擬似歴史学を広めて多くの人間の人生を台無しにしてきた学者達は、批判されて当然です。 このような論争は、我々の世代で終わりにすべきだと考えます。

このように学者達を批判する正当性の根拠は何ですか?

 正当性の根拠は、「知的な責任(intellectual responsibility)」という概念にあります。 アメリカの哲学者ノーム・チョムスキーは、 「知識人は真実を追求し、嘘を暴く責任がある。」と述べています。 知識人は皆、「知的なノブレス・オブリージュ」を果たすべきです。 我々にはニセ歴史を放置すべきではない、という知的な責任があるのです。

 本来ならば、これは学者達、マスメディアや評論家などがやるべき仕事だと考えます。 しかし残念ながら社会的責任のある者たちは皆、ダチョウになってしまったようです。 「おそらく人生で最も罪深いことは、正しいことだと知りつつそれをしないことだ」と述べたのは、 アメリカの牧師マーティン・ルーサー・キングでした。 そして「あなたが行動を起こす必要がある時、それは誰もがそれをしようとしない時と、 人々が”そんな事できるわけがない”と言っている時だ」と述べたのは、 アメリカの歴史家、ウィリアム・ダラントでした。 仕方がありませんので社会的責任の無いこの私が、 罪深いダチョウ達に代わって「知的な責任」を果たします。 偉大なるインドの指導者マハトマ・ガンディーは次のように述べています。

 「たとえ一人になろうとも、全世界に立ち向かい給え! 世界から血走った眼で睨まれようとも、君は真っ向から世界を見すえるのだ。 恐れてはならない。 君の心に響く、小さな声を信じ給え!

このように定説を批判するのは倫理的にも法律的にも問題がありませんか?

 アルベルト・アインシュタインは量子力学をニセ科学だと批判しましたが、倫理的にも法律的にも責任を追求されるどころか、問題点を指摘する事により量子力学の発展に寄与しました。 学問の世界では立証責任が存在するのは説を主張する方であり、説を批判する方ではありません。 不満があれば反論すれば良いだけです。 批判するという行為自体が学問の発展に寄与する社会貢献です。 批判が正しかろうが、間違っていようが、批判側には倫理的にも法律的にも何の問題もありません。 それに不正行為(虚偽の科学メッセージ、研究過程を故意にゆがめる等)の告発は社会正義の一つであり、 民主主義社会においては倫理的にも法律的にも問題となる事があってはなりません。

 「この世は危険なところだ。 悪いことをする人がいるためではなく、それを見ながら何もしない人がいるためだ」と述べたのは、 そのアインシュタインでした。 また「どこにおける不正であっても、あらゆるところの公正への脅威となる」と述べたのは、 キング牧師でした。 そして「不正の存在を前に沈黙する人は、まさしく不正の共犯者に他ならない」と述べたのは、 ジョン・ラスキンでした。 先人達が繰返し人々に警告してきたように、 倫理的に問題のある行為とは「不正の前に沈黙する事」なのです。 従って定説を批判する事に対して倫理的な問題など何一つありません。

歴史学者達が邪馬台国朝鮮半島説を無視する理由は何故ですか?

 「いかなる虚偽も、そのためにさらに別の虚偽をねつ造することなくしては主張できない」と述べたのは、 ドイツの劇作家レッシングでした。 嘘を嘘で塗り固めていくと、そのうちに自分でも何が真実だったのかを忘れてしまいます。 残念ながら日本の歴史学者達とは、 間違った先行研究を守るために次々と新な間違いを犯し続け、 壮大な虚構の歴史体系を作り上げてしまったニセ歴史創作集団です。

 「問題になっていることに沈黙するようになったとき、 我々の命は終わりに向かい始める」と述べたのは、 キング牧師でした。 歴史学者達は「論議の舞台に上げるだけでニセ歴史学を歴史学と対等の扱いにしてしまうから無視するのだ」などという口実を使います。 しかし実際には単に反論できないだけで、歴史学者達の命は既に終っています。 自らが既に死亡した存在である事を隱して生き続けるためには、 そのような仮説は存在しない事にして無視する以外に方法が無いからです。

 「科学における不正行為」において、無視しなければならない理由が説明されていますので、紹介します。

 捏造や改竄が露見すると、本人のみならず科学界全体の信用を著しく損ねるため、不正行為を働いた者がそのまま研究者として科学界に留まることはもはや不可能である。 科学者生命が終わるとともに、社会全般での信用も失い、以降の発言力も著しく低下する。 また、懲戒解雇などで地位を失い、社会的な状況も相当に厳しくなる。 さらに、不正行為を働いた研究者を管理すべき立場の人間もその責任を追及されることがある。
 これら行為は人々の科学への信頼を揺るがし、科学の発展を妨げ冒涜するものであり、不正行為は科学そのものに対する背信行為とみなされる。 文部科学省のガイドラインでは、不正行為への対処は一義的には、まずは研究者自らの規律、ならびに研究者コミュニティ、大学・研究機関の自律に基づく自浄作用としてなされるべきであるとする。 懸賞論文や競争的研究資金の公金が支出されているものについて不正が発覚した場合は、真偽が判明するまでは一時的に資金支出が停止され、不正と認定された場合には悪質性や重大性の程度により全部または一部が返還請求される。 一方で不正は行われなかったと認定された場合は、研究費支出の停止や採択の保留等の措置を解除し、名誉回復措置等を講じるものとしている。
 捏造した結果や改竄を元に公的な助成金などを申請し受けていた場合は、補助金適正化法違反に該当し、研究者本人や所属する大学は研究費の不正使用として返還・罰則の対象となる。また国の補助金以外の場合には詐欺(刑法246条)に問われる可能性がある。

マスメディアが邪馬台国朝鮮半島説を無視する理由は何故ですか?

 マスメディアの報道は、「歴史学の資料検証方法は正しい」、「歴史学者の権威は信用できる」という二つの前提に基づいています。 そして、これは古代史だけでなく、現代史においての報道も同じです。 邪馬台国が朝鮮半島に存在した場合にはその二つの前提が崩れ去り、 マスメディアが調査報道を行わず、 発表報道を繰り返してきた報道の在り方が問題となります。 マスメディアには真実を追求する能力が無い事が証明され、 偏向報道を行ってきた報道の在り方も問題となります。 そして虚偽報道を繰り返す事で、国民を誤った方向に導いた報道の在り方も問題となります。 「嘘をついたジャーナリストには徹底的に攻撃を加え、制裁を加える必要がある」と述べたのは、 とある日本の政治学者です。 「報道におけるタブー」において、マスメディアが無視しなければならない理由が説明されていますので、紹介します。

 テレビ報道や新聞各紙、即ちマスメディアそのものの在り方などを批判するようなことはタブーである。 これは自分自身を否定してしまうことに繋がるため、マスメディア自身が電波を通して公式の見解として発表することは勿論、視聴者である国民が一意見として投稿したものを大々的に認めることは有り得ない。 つまり、テレビや新聞等のメディアに、メディアそのものの是非を求めても無意味であり、たとえ機会があったとしても当たり障りのない議論しかなされない。 その為、国民はマスメディアに対する批判をBPOに寄せたり、インターネットを使って世間に発信することになる。

誰も邪馬台国朝鮮半島説を批判しない理由は何故ですか?

 日本社会では論理的な討論がされる事はなく、人格攻撃しかされないからです。 そして人々は匿名で主張する者の人格を攻撃する事の効果よりも、 邪馬台国朝鮮半島説が話題にされる事の方をより恐れるからです。 話題にする事ができませんので、批判する事が誰もできないのです。

誰も邪馬台国朝鮮半島説を話題にしない理由は何故ですか?

 「邪馬台国が朝鮮半島に存在した」と主張する行為とは、 結局のところ「日本の歴史学者達とはニセ歴史創作集団である」と主張する行為と同じなのです。 即ち朝鮮半島説が「歴史学者達のコンセンサスを疑ってはならない」という社会規範から完全に逸脱しているからです。 朝鮮半島説が引き起こす認知的不協和マグニチュードがあまりにも巨大であるために、 朝鮮半島説を議論する行為が社会規範に基いた「論議の窓」の外側に追い出されているためだとも言えます。 それに、邪馬台国日本国内説を守ろうとする勢力はあまりにも強力です。 歴史学者やマスコミだけでなく、左翼、右翼、歴史愛好者など、活動的な人達ばかりです。 彼らは論理的な議論ではなく、社会的な圧力を用いて邪馬台国日本国内説を守ろうとします。 そのため「集団思考」に陥っており、 集団思考の結果として「自己検閲」という現象が現れている、と言う事もできます。 それは波風を立てるような仮説は話題にしてはならないために、 社会において「沈黙の密約」が生成されているからだとも言えます。 これらの現象をもっと分かりやすい表現で説明すれば、 邪馬台国朝鮮半島説は「パンドラの箱に封印されている」のです。 別の言葉で表現すれば、日本社会とは誰もがダチョウである事に安住する「ダチョウ社会」なのです。

「歴史学者達のコンセンサスを疑ってはならない」理由は何故ですか?

 イギリスの歴史学者アーノルド・J・トインビーは、 「どの時代の歴史を扱う場合でも、感情をまじえず、偏見を持たないことは、歴史家にとってつねに不可能なことだと思う」と述べています。 そしてイギリスの歴史哲学者C.ベーハン・マッキュラーは「歴史記述を最終的に証明する方法は存在しない。ただ正当化するのみである。」と述べています。 即ち、歴史学者が偏見を持つ事なく歴史に向き合う事ができるというのは幻想に過ぎませんし、 絶対的な史実なるものを歴史学的に確定する方法も存在しません。 「神でも過去を変えることはできないが、歴史家ならできる」と述べたのは、 19世紀のイギリスの小説家サミュエル・バトラーでした。 「史実の確定」とはそもそも歴史学者に任せるべき案件などではないのです。 「史実」とは歴史学会で査読付きの論文を発表し、 歴史学者のコンセンサスによって認定されるような概念などでは決してありません。

 実際にドイツの歴史学者フリードリヒ・マイネッケは、 「歴史家はただ事物の経過を書き留めて評価せねばならないだけであり、 みずから事物の決定に参与してはいけない」と述べています。 歴史学者の仕事とは、歴史仮説が正当である理由を説明したり、歴史の経過を説明したりするだけです。 政治的な決断を促すような絶対的な「歴史学的に確定した史実」など、 現代の歴史学の世界においてはそもそも存在しない概念です。 ですから本来は、歴史学者の主張を疑っても社会的に問題となるような事はありません。

 歴史学における基本的なテキストであるE・H・カーの「歴史とは何か」においては、 「歴史家は裁判官ではない」と記述されています。 「歴史学は道徳ではない。歴史家の役割は賞賛や断罪ではなく説明する事である。」というのが歴史学が到達した結論なのです。 しかしながら日本社会においては史実を「歴史学的に確定」し、 それ信じる事を道徳とする以下の4つの社会規範が存在します。 要するにこれらの「歴史学者達のコンセンサスを疑ってはならず、無条件に信じなさい」という社会規範が日本社会において成立しているために、 日本人は歴史学者の主張を疑ってはならないのです。 「歴史学は道徳ではない」という世界の歴史学における常識を日本人は理解しておらず、 「歴史家の役割は説明する事ではなく賞賛や断罪する事だ」と誤解しているのです。

「歴史学者達のコンセンサスを疑ってはならない」というのは世界共通の社会規範ではないのですか?

 「何も考えずに権威を敬うことは、真実に対する最大の敵である」と述べたのは、 アルベルト・アインシュタインでした。 通常の社会においては、歴史学者の権威など特別に敬う必要などありません。 これらの社会規範は世界共通の規範などではなく、日本社会においてのみ成立している規範です。

 世界における歴史学の常識とは、このようなものでは決してありません。 歴史学者の権威など信頼する必要もありませんし、 歴史学者には歴史仮説の正当性を説明する立証責任があります。 それに歴史学が明らかにするのは「史実」などではなく「最適の説明」に過ぎません。 そして歴史仮説は公の場で様々な分野の視点から検証されねばなりません。 歴史学者達は、他の分野からの批判を無視したりしてはいけません。 それに対して日本の歴史学者達は史実をコンセンサスで決めてしまえば良いだけで、 立証責任もなければ他分野の視点から検証される事もありません。 それなのに何故か絶対的に信頼され、その主張が疑われる事はありません。 そして他の分野からの批判を無視しても批判されません。

 日本の歴史学が世界の歴史学に比べてレベルが低いのは、 このような社会規範が日本社会に成立しているのが原因です。 立証責任が無い上に誰からも批判されないのですから、 日本の歴史学者達は「井の中の蛙」です。 異る視点からの検証がされる事がないので、レベルが低くなるのは当然です。 楽浪郡平壌説のような怪しい仮説をコンセンサスで「定説」にしてしまい、 日本の歴史学を「歴史修正主義の歴史学」にしてしまったのも、 このような社会規範が成立しているのが原因です。 邪馬台国論争が解けない問題になってしまった原因の根源も、 これらの社会規範が存在するためです。 日本社会に呪いをかけてしまったのは、これらの社会規範が元凶なのです。

歴史学者達のコンセンサスが間違いであれば、マスメディアは真実を伝えるべきではないのですか?

 マスメディアの本来の社会的役割とは、「国民の知る権利の代行」です。 即ち、マスメディアには社会的役割を果して国民に真実を伝える責任があります。 それこそがマスメディアが国民に対して果すべき責任です。 従って歴史学者達のコンセンサスが間違いであれば、マスメディアは真実を伝えるべきです。 マスメディアは真実を伝え、その社会的役割を果すべきです。 マスメディアの報道倫理として最も重要とされている項目とは、 「真実の報道」なのですから。

歴史学者達のコンセンサスが間違っていても、マスメディアが真実を伝えない理由は何故ですか?

 日本のマスメディアには「国民に真実を伝える」という社会的役割を果すよりも、 もっと重要な基本方針があります。 それは「国民に歴史学者達のコンセンサスを疑わせない事」です。 戦前のマスコミが国民に真実を伝えず、軍部の発表を疑わせないようにしていたのと同じです。 マスメディアの報道の信憑性の根拠が軍部から歴史学者に変っただけなのですから。 日本のマスメディアには「情報を十分に提供する」という責任が存在せず、 「報道しない自由」があるのです。 「報道の自由」の概念が単なる政府の干渉からの自由ではなく、 社会への責任と義務を伴った自由であるという「社会的責任理論」を理解していません。 要するに「ノブレス・オブリージュ」の概念を理解していないのです。

マスメディアが歴史学者達のコンセンサスを疑わせない理由は何故ですか?

 日本社会においてこれらの社会規範を作り出し、 「歴史学の権威」を全面に押し出して史実を確定してきたのは、 日本のマスメディアです。 マスコミがこのような社会規範を作り出した理由については、 とても一言では説明できない程複雑な事情があります。 これには詳しい説明が必要であり、 それについては「楽園仮説」において説明していますので参照して下さい。 いずれにしろマスコミはこれらの社会規範を守り続ける必要があり、 規範を崩壊させるつもりはありません。 また、このような規範を作り出した理由を説明するつもりもありません。

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