公共社会科自由研究歴史テーマに面白い「現代社会の裸の王様」
〜社会学レポート題材例〜マスコミのパンドラの箱〜歴史学の愚民化政策〜

暁 美焔(Xiao Meiyan) 社会学研究家, 2022.8.27

公共社会科自由研究歴史テーマに面白い現代社会の愚民化政策楽浪郡の場所

 「裸の王様」の童話は知っているはずだ。 子供の頃は「馬鹿な王様がいるものだ」と笑ったかもしれないが、本当はあれは現実にある「例え話」だ。

 大人の社会には「馬鹿には見えない服」という物が本当にあって、「馬鹿でない」大人たちにはその服が見えてしまうんだ。 そして、子供が「王様は裸だ」と叫ぶまで、大人たちは騙されている事には何故か気付かない事も本当の話だ。 信じられない話かもしれないけど、大人になるとそうなってしまうんだ。

 現代社会での「馬鹿には見えない服」を着た「裸の王様」とは、「邪馬台国」を説明した「学校の教科書」だろう。 邪馬台国の場所は100年間、誰にもわからなかった。 でも、普通に考えれば歴史書に誰にもわからないような事が書いてあるわけがない。 歴史書を書いた人は、邪馬台国への道のりを、誰にでもわかるように書いたはずだ。 大人たちは「馬鹿には見えない服」が見えてしまうために、王様が裸である事に気付かないだけかもしれない。

 邪馬台国の場所をこっそり教えてあげよう。 本当は簡単な問題で、邪馬台国の場所に謎なんてないんだ。 大人たちはいつ、どこで、誰に、なぜ、どうやって騙されたのかを考えて、社会科の自由研究のテーマにしよう。

 倭人伝には「倭国には馬もなく、倭人は裸足で歩いていた」と書かれている。 そんな時代の日本の30ヶ国が海を越えて、朝鮮半島も越えて、中国と通訳を通して交流(使訳通じる)していたなんて信じられる? 大人たちはなぜかそんな馬鹿な話を信じているんだ。

 2000年以上前のギリシアには、「学問の父」と呼ばれる「アリストテレス」という偉い人がいた。 アリストテレスは学問の基本として「実現可能性(現実にできるかどうか)」をチェックする事を教えてくれたんだ。 もしかしたら、大人たちは学問の基本であるその「実現可能性」を全然チェックしていないのかもしれないね。

 日本のことわざに「臭い物にフタ」というものがある。 「臭い物にフタをして匂いが他の人にわからないようにする」という事だけど本当は「問題を解決にせずに、放っておいて他の人にはわからないようする」という意味だ。 でも問題を放っておくとフタの下の臭い物がどんどん腐っていってしまう。 そうなると匂いを隠すための箱もフタもどんどん強くしないといけない。 でも箱を強くすればする程、中の物はどんどん腐っていって気がつくと「恐ろしく臭い物」になってしまう。 そうなってしまってから箱を開けてしまったらどうなるだろうか?

 ギリシア神話には「パンドラの箱」という話があるけど、これはその「恐ろしく臭い物」が入っている箱を開けてしまった話だ。 パンドラという女性が絶対に開けてはいけない箱を面白半分で開けてしまい、そこに隠されていた数多くの恐ろしい「災い」が全部この世に飛び出してしまった。 それまで幸せに暮らしていた人達は、箱から出てきた恐ろしい「災い」のせいでみんながヒドイ目にあった。 幸せだった世界は絶望の世界に変わってしまった。 でも恐ろしい「災い」がすべて飛び出した後で、 箱の中から最後に出てきた物は人間を「災い」から救うための「希望」だった。 その「希望」が箱から出て来た時には、こう言ったそうだ。 「災い」は例え人間が忘れてしまっても、 いつでも人間に降りかかる。 しかし「希望」は人間が思い出さなければ、 「希望」が人間を「災い」から救う事はできないと。
 このお話は「臭い物にフタ」よりももっと深い意味が込められている。 箱を開けていない世界では例えみんなが幸せであっても、 それはニセモノの世界でのニセモノの幸せだ。 現実は絶望の世界であったとしても人間は「希望」を忘れる事なく、 本当の世界で本当の幸せを見つけなくてはいけないんだ。 絶望から救い出してくれる「希望」など、 例え死ぬまでやって來なかったとしても、 それを信じて生きていかなくてはいけないんだ。

 「ダチョウ症候群(しょうこうぐん)」という心の病気がある。 これは「目の前にある問題や危険を直視せず、何もしないでやりすごそうとする心」の事だ。 問題を放っておいて何もしない人の事を「ダチョウ」と呼ぶ。 「裸の王様」は、箱の中に隠された「臭い物」を見た時の「ダチョウ」を例えた話だ。 大人たちには、「王様が裸だ」という事が「箱の中にある臭い物」である事が一目でわかるので誰も口に出す事ができない。 そればかりかその臭い物が外に出ないようにするために「馬鹿には見えない服」を着ていると信じようとする。 大人たちは皆、ダチョウになってしまうのだ。 でも子供には何もわからないのでダチョウにならず、「王様が裸だ」と叫んで「臭い物」が入った箱を開けてしまったという話だ。

 人間が物事を考えるときに間違えやすい考え方を「誤謬」(ごびゅう)と言う。 人間が間違えやすい考え方の一つに「プープー」という誤謬がある。 これは「そんな話はバカバカしい」と言って相手にしない方法で、日本の大人たちはよく使っている。 ダーウィンという学者が「人間は猿から進化した動物だ」という説を出した時に、 その時の大人たちがやったのがこのプープーだ。 プープーは嫌な話を聞いた時に大人たちがする間違い。 嫌な話を聞くと大人たちは昔も今もプープーしてダチョウになってしまうんだ。 歴史をちゃんと勉強する国の大人たちは、もうプープーをしていないんだけどね。 英語ではこのプープーは「pooh-pooh」って言うんだけど、「バカにする」っていう意味だ。

 大人たちがプープーをするのは、「ウソをついている」事に気づいているからだ。 「ウソをつく」のが悪い事だと知っているから、プープーして悪い事なんてしていない事にするんだ。 「大人がウソをつく理由」にはいろいろあるけど、ほとんどの場合は次の6つの理由のどれかだ。
  1. 隠したい事があるからウソをつく
  2. 褒められたいからウソをつく
  3. 恥ずかしい思いをしたくないからウソをつく
  4. 相手を喜ばせたいからウソをつく
  5. 問題に巻き込まれたくないからウソをつく
  6. 生きていくためにウソをつく
 邪馬台国が見つけられないのも、倭人伝が難しいからなんかじゃない。 邪馬台国の場所が「パンドラの箱」の中に入っている「恐ろしく臭い物」だから。 もはや吸い込むと死んでしまう程の毒ガスを放出しているので、 大人たちは悪臭を放つ物の正体を見たくもなければ、 それが何なのかを考えたくもない。 箱を開けてしまうと、これまで生きてきた「ニセモノの幸せな世界」が失われ、 現実世界が「絶望の世界」に変ってしまう事を知っているから。 だから「王様が裸だ」と口に出す事はできず、「馬鹿には見えない服」を着ている事にするしかない。 大人たちは本当の世界で絶望して生きていくよりも、 ニセモノの世界で幸せに暮らし続けたいからだ。 でも、そんなニセモノの世界が本当の世界だと、子供たちにウソを教えていいのだろうか? 悪臭を放つ物を箱の中に放置したまま、子供たちにそれを押し付けていいのだろうか?

 子供たちもニセモノの世界など、教えてもらいたくはないだろう。 「社会科」とは理科と違って人間について勉強する学問だ。 どうしてそんな社会の仕組みができたのか。 どうしてそんな歴史になったのか。 教科書を暗記するよりも、その理由を知る事が本当の「社会科」の勉強だ。 自由研究とは教科書の暗記とは違って本当の「社会科」を勉強するのが目的だ。 社会学の大学の教授は生徒をこんな風に指導しているんだ。 「常識を疑い、マスメディアの見方から離れ、社会現象の本質を見極めよ」ってね。 だから「本当の社会科」を勉強するための自由研究の内容は、教科書通りの「常識」と同じ内容でなくてもいいんだよ。

 どうして簡単な邪馬台国の場所を大人たちは100年経っても見つけられないのか。 大人たちが隠そうとしている「恐ろしく臭い物」の正体は一体何なのか調べてみよう。 そして大人たちがその存在を信じ続けるという「馬鹿には見えない服」の正体とは何なのかを考えてみよう。 それを知るにはまず、大人たちが見たくもないという「本当の歴史」を知らないといけない。 それこそがパンドラの箱の中に入っている「臭い物」だ。 でも本当に「恐ろしく臭い物」の正体はその「臭い物」である「本当の歴史」のもっと奥の方にいる。 それは「箱を生み出した何か」、そして「箱を守っている何か」だろう。 それらは大人たちが子供だった頃に持っていた「夢」や「希望」のなれの果ての妖怪達なのかもしれない。

 「学問の父」と呼ばれたアリストテレスには、「プラトン」というやっぱり偉い先生がいた。 プラトン先生はアリストテレスにどうやって答えを見つけるべきかを教えたんだ。 その「学問の父の父」であるプラトン先生の話は本当はとても難しい。 でもその偉大なるプラトン先生の大切な教えである「答えが見つかる方法」と「答えが見つからない方法」の違いを簡単にわかりやすくまとめて紹介しよう。 多分、「恐ろしく臭い物」の正体が何かを考える時のヒントになるはずだ。

ダチョウ仮説答えが見つかる方法(プラトンの教え)答えが見つからない方法(ダチョウの方法)
ゴールどんな話が答えなのかを知る好きな話を答えに、嫌な話を間違いにする(ダチョウの卵誕生!)
考え方どんな話でも、おかしい所がないかチェック好きな話におかしい所があっても気にしない(卵を温める)
答えの決め方誰にもおかしい所が見つけられない話が答えおかしい話でもみんなが好きな話が答え(みんなで卵を温める)
答えが出ない時問題の前提に誤りが無いかチェック好きな話を生み出す前提は絶対に疑わない(もうすぐ孵化)
嫌な話を聞いたらみんなでおかしい所がないかチェックみんなで無視(プープー)。嫌な話は無い事にする(ダチョウ誕生!)
嫌な話をする人に話のどこがおかしいか、理由を言う嫌な話をする人の頭がおかしいと言って怒る(みんなもダチョウにする)
答えは見つかるかどんな話でも答えにするのでいずれ見つかる答えが嫌な話だとダチョウ達には100年たっても見つからない


 「学問の父」と尊敬されたアリストテレスの先生だったプラトン先生には、 やっぱり「ソクラテス」という更なる偉い先生がいた。 その「学問の父の父の父」であるソクラテス先生はプラトンに「騙されない方法」を教えてくれたんだ。 偉大なるソクラテス先生の教えたその「騙されない方法」も紹介するよ。
  1. 正しい理由が何かを確かめる
    何故その話が正しいとされているのか、理由をハッキリさせるのが騙されないための基本。 「これは当り前だ」と思って納得してしまうと、騙されるかもしれない。 だって、「当り前」という言葉は人を騙す時によく使われるから。
  2. 正しい理由を、いろいろな方向から確かめる
    一人だけの話を聞いて、それを信じると騙されるかもしれない。 いろいろな人の話を聞いてみよう。 自分では絶対に考えつかないような方向から考える人もいるはずだ。 一つの判断方法だけを覚えてそれで正しいと納得してしまうと、騙されるかもしれない。 だって、その判断方法が間違っているかもしれないから。
  3. 正しい理由を、自分の目で確かめる
    人の話は正しい事もあれば間違っている事もある。 何故その話が正しいとされているのか、その理由を自分の目で確かめてみよう。 人の話を信じて納得してしまうと、騙されるかもしれない。 だって、その人も騙されているかもしれないから。
  4. 例えみんなが正しいと言っても、正しい理由を確かめる
    どうしてみんながそう言うのか、その理由を確かめてみよう。 「みんなが正しいと言うから正しい」と納得してしまうと、騙されるかもしれない。 だって、みんなが全て騙されているのかもしれないから。
  5. 正しい理由を理解していない事を理解する
    これは少し難しい話だけど「無知の知」と言って、ソクラテス先生の一番重要な教えだ。 「自分は正しい理由を理解してる」と納得してしまうと、騙されるかもしれない。 だって、自分が間違っている事に気付いていないのかもしれないから。

 もう一つ「馬鹿には見えない服」が何かのヒントを教えてあげる。 学校が世界史で教える歴史の中に、「313年に高句麗(こうくり)は朝鮮半島北部へ進出し、楽浪郡(らくろうぐん)を滅ぼした。」という歴史事件があるはずだ。 学校の先生に、この事件の根拠は何かを聞いてみよう。 先生達はきっと答えられないはずだ。 だって、その歴史事件は根拠なんて何も無い作り話「ウーズル」なんだから。 もしかしたら先生達は、誰かに騙されている事に気付いていないのかもしれないね。

さらに詳しく!

1) 「子供たちに伝えたい本当の歴史〜任那日本府と日本人の起源〜」はこちらへ(小学生向け)
2) 「邪馬台国論争の真相と正当化の概念が無い日本社会・記紀に卑弥呼がいない理由」はこちらへ(一般向け)
3) 「虚構の楽浪郡平壌説〜帯方郡、玄菟郡、馬韓の場所と禁断の高句麗史〜」はこちらへ(大学生向け)
4) 「歴史の真実に至る議論の方法入門」はこちらへ(一般向け)
5) 「社会学的視点から歴史修正主義を検証する歴史学との統合理論」はこちらへ(一般向け)
6) 「ニュース事例による疑似科学入門と評定の具体例及び問題点」はこちらへ(一般向け)

 最後に怖い話も教えてあげる。 「騙されない方法」を考え出した偉大なるソクラテス先生を、 当時の大人たちはみんなで話し合ってなんと死刑にする事を決めたそうだ。 大人の世界には昔も今も、騙されている事に気が付いてはいけない事があるみたいだ。 大人達がダチョウになってプープーするのは、死刑にされるのが怖いからなのかもしれないね。 もしかしたら大人達は正しい理由が何なのか答えられない時には、 「自分たちが間違いだと考える」よりも「間違いだって言う人を黙らせる方がいい」と考えるのかもしれない。 「間違いだ」なんて言う人さえいなければ、 正しい理由なんて何も無くてもそれを正しい事にできるからね。

 テレビドラマでも言ってたけど、 「事実がダメなら法律を主張せよ。 法律がダメなら事実を主張せよ。 事実も法律もダメならば、ひたすら罵倒せよ。」 というのが大人の世界でのやり方なんだ。 大人達が「間違いだ」って言う人の罵倒を始めたら、 怒りだした人の主張には正しい理由もなければ、主張して良い理由もないと考えた方がいいかもね。 そしてもし「間違いだ」って言う人がソクラテス先生のように、 法律も事実も正しい上にどれだけ罵倒しても黙らないのなら、 大人達は「自分たちが間違いだと考える」よりも「そんな人は殺してしまった方がいい」と考えるのかもしれない。 「死人に口無し」っていう諺があるけど、 「間違いだ」なんて言う人さえこの世にいなければ、 正しい理由なんて何も無くてもそれを正しい事にできるからね。

 大人たちが「殺してしまった方がいい」と考えるのは、 大人たちが「戻れない一線」を超えてしまった時だ。 「戻れない一線」を超えてしまうと、それを戻そうとする人間の存在を許せなくなるから。 そして大人たちは「みんなが正しいと言うからそれは正しい」と勘違いしてみんなと一緒にどんどん行動してしまうと、 知らない間にみんなと一緒に「戻れない一線」を超えてしまうんだ。 気が付いた時にはもう、ソクラテス先生のように正しい事を言う人間の存在を許す事ができなくなってしまう。 そして「それは間違いだ」と主張をする人達を「殺してしまった方がいい」と考えるようになってしまうんだ。 センメルヴェイス・イグナーツという医者が昔いたのだけど、 彼は「他の医者達がやっている方法は間違いだ!」とあちこちで正しい事を言ってしまったんだ。 そうしたら他の医者達に捕まってしまい、本当に殺されてしまったんだよ。

 でも大人達が子供を死刑にする事は絶対にない。 だから安心して「王様は裸だ!」って叫んでいいんだ。 「裸の王様」ってそういう話なんだから。 そして大人たちに更にもう一つ質問してみよう。 「313年に楽浪郡(らくろうぐん)が滅ぼされたという話が本当でないとすると、 楽浪郡は本当はいつ滅ぼされたのですか?」と。

おまけ. ウーズル神社の愉快な仲間たち

 「ウーズル神社」とは、 「ウーズル」を信じる事が絶対に正しいと考える人達が集る神社だ。 「ウーズル神社」の御神体と狛犬(こまいぬ)、 それにウーズル神社に集ってくるダチョウ達を紹介しよう。 少し難しいかもしれないけど、 邪馬台国の場所の「馬鹿には見えない服」とは何かを考える時に参考になるかもしれない。


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