夏休みの宿題に最適な邪馬台国朝鮮半島説
〜大人たちの知らない日本人の起源〜It's time to tell the truth〜

X.M. 歴史研究家(れきしけんきゅうか), 2017.3.15

 学校ではもう邪馬台国(やまたいこく)や卑弥呼(ひみこ)について習ったかな。 邪馬台国は多くの人たちが100年以上探し続けてきたけど、誰にも見つけられなかったんだ。 そして誰にも見つけられない理由が大人たちにはさっぱりわからないんだ。 大人たちにはわからないその理由をこっそり教えてあげる。 邪馬台国は学校で日本国内にあったと教えられたかもしれないけれど、本当は日本にあったという証拠(しょうこ)は何も無いんだよ。 学校では教えてくれないけど、本当はこんなふうに朝鮮半島にあった国なんだ。

邪馬台国の場所楽浪郡の場所


1. 邪馬台国の女王卑弥呼がいた場所

 邪馬台国は本当は韓国の南部、泗川(しせん)のあたりにあったんだよ。 泗川は豊臣秀吉(とよとみひでよし)の時代に有名な泗川の戦いがあった場所だ。 泗川には韓国(かんこく)では有名な古代の遺跡(いせき)である、勒島遺跡(ろくとういせき)がある。 勒島は泗川市の南にある小さな島なんだ。

 韓国は外国(がいこく)だけど、邪馬台国が朝鮮半島にあったことを日本の子供たちにも証明(しょうめい)する方法があるんだ。 魏志倭人伝(ぎしわじんでん)には邪馬台国の東の海の1000里には「倭種(わしゅ)の国」(倭人とよく似た人達の国)があり、 その南の邪馬台国から4000里の場所に侏儒国(しゅじゅこく)があったと書かれているんだ。 侏儒国は「小人の国」という意味で、背が低い人達が住んでいたと書かれている。 邪馬台国が九州だと言う人も、近畿だと言う人も「小人の国」や「倭種の国」がどこにあったのかわからないんだ。 「小人の国」は種子島(たねがしま)だという人もいるけど、 そうすると今度は邪馬台国の東の海の1000里にあった「倭種の国」がどこかわからなくなるんだ。 その「小人の国」が、九州の北にある壱岐島(いきのしま)である事を示せばいい。 「小人の国」は「倭種の国」の南にあったのだから、「倭種の国」の場所は壱岐島の北なんだ。 地図を見ると対馬(つしま)の事だね。 そして「倭種の国」は邪馬台国からは「東の海の1000里」にあったのだから、邪馬台国の場所は対馬の西側にある。 ちょうど朝鮮半島の泗川(しせん)あたりにあった事になるんだ。
 壱岐島が「小人の国」であるかどうかを調べるには、卑弥呼の時代の古い人の骨を調べればいい。背が低い人達が住んでいた事が分かれば壱岐島が「小人の国」だったんだ。 そして何と、長崎大学(ながさきだいがく)の先生の話では壱岐島には卑弥呼の時代の後でも縄文人(じょうもんじん)のような背の低い人達が住んでいたらしいんだ。 難しいけどこれがその資料だよ。

 「小人の国」だけでなく、東南に水行1年にあったと倭人伝に書かれている黒歯国(こくしこく)について調べるといい。 黒歯国は「黒い歯の人の国」という意味だよ。 邪馬台国が九州だと言う人も、近畿だと言う人も、「小人の国」だけでなくこの「黒い歯の国」もどこにあったのかがわからないんだ。 「黒い歯の国」はハワイサイパンだと言う人もいる。 でも卑弥呼の時代には方位磁石(ほういじしゃく)が発明(はつめい)されていなかったので、陸地(りくち)の見えない場所に船で行く事はできなかったんだよ。 陸地が見えない海の上では方向がわからなくなって、迷子(まいご)になってしまったんだ。 日本の東南には広い太平洋(たいへいよう)が広がっているので、この時代には日本から東や南に渡る事ができなかったんだよ。 だから「黒い歯の国」があった場所は日本のどこかなんだ。 「黒い歯の国」が見つかれば、「黒い歯の国」は「東南水行1年の場所」にあったのだから、邪馬台国は「黒い歯の国」から北西に海を渡って一年かけて行く場所にあったことになる。 邪馬台国のおおまかな場所がわかるんだ。
 「黒い歯の国」を見つけるには、卑弥呼の時代に歯の黒い人達が住んでいた場所を探せばいい。 そして何と、近畿地方(きんきちほう)の人たちは卑弥呼の時代にはお歯黒(おはぐろ)と言って、歯を黒くするのがみんな大好きだったんだ。 古墳(こふん)から出てきた人の骨や埴輪(はにわ)にはお歯黒の跡がある。 お歯黒の歴史はここから調べられるよ。 「黒い歯の国」が近畿地方だとすると、そこから北西に1年かけて船で行く場所とは朝鮮半島の事だよね。 この時代の船は今と違って人間が手でこいで動かしていたし、夜も天気が悪い日も波が高い日も船を動かせなかったので、遅かったんだ。 だから1年もかかったんだろうね。 それに近畿より東には船で行くような場所は日本にはなさそうだし。

 卑弥呼の時代には方位磁石が無かったので日本を出て東や南に船で行ける場所はなかった。 日本国内でも、近畿より東は昔から船ではなく陸路で旅をした。 そうすると黒い歯の国のあった場所は近畿地方より西側にしかない。 黒い歯の国がどこにあったとしても、北西に船で1年かけて行くような場所は朝鮮半島しかないよね。 倭人伝に書かれた邪馬台国は、実は最初から朝鮮半島以外にあり得なかったんだ。 そして邪馬台国があったのは東の海上に倭種の国があった場所だ。 地図を見ればわかるけど、朝鮮半島で東の海上に陸地がある場所は泗川のあたりしかないんだ。 卑弥呼の時代には方位磁石が無かった事さえ知っていれば、邪馬台国の場所は小学生でも証明(しょうめい)する事ができるんだよ。


2. 倭の五王がいた場所

 邪馬台国の女王卑弥呼は有名だけど、倭の五王(わのごおう)については習ったかな? 宋書(そうじょ)という中国の歴史書に書かれている倭国の5人の王様だ。 卑弥呼の次に有名なんだよ。 大人たちは邪馬台国の場所がさっぱりわからないだけでなく、この5人の王様の正体が何者なのかもさっぱりわからないんだ。 日本の書物に全然書いてないし、宋書に書かれている時代と、その時の天皇が生きていた時間が全然合わないから。 卑弥呼の次に有名なこの倭の五王がいた場所についても、どこにいたのかこっそり教えてあげるよ。

 学校では古代の九州(きゅうしゅう)と近畿地方が違う文化圏(ぶんかけん)にあった事は教えられたよね。 でも実は学校では教えられていない事があるんだ。 九州北部でたくさん出土する甕棺墓(かめかんぼ)という墓の画像(九州の甕棺で画像検索)を見てみよう。 たくさん出てきているけど、こんな大きな陶器(とうき)を作るのは昔は大変だったんだよ。 運ぶだけでも大変そうだね。 一つ焼くのに薪(まき)が何トン必要だったとか、作るのに何ヶ月くらいかかったとか、いろいろ言われている。 子供用の甕棺(かめかん)は世界各地で見られるけど、大人用の甕棺は世界でも珍しいんだ。 大きな陶器を作るのは大変だからね。 二つの甕棺を組み合わせる方法は合わせ口甕棺(あわせぐちかめかん)と言って、世界の他の地域では見つからない珍しい方式だ。 倭人伝にも「倭人は死ぬと棺(かん)に入れてそのまま埋めるだけ」と書いてあるけど、これはきっと甕棺の事だね。 珍しい貴重な墓なんだけど、何故か学校ではあまり教えられていないんだ。 実はこの合わせ口甕棺には大人達が秘密にしなくてはいけない理由があるんだよ。

 韓国南西部(かんこくなんせいぶ)の羅州(らしゅう)などから出土した羅州の甕棺(画像検索)と比較してみると面白い。 本当にそっくりだよね。 合わせ口甕棺が作られたのは九州北部と朝鮮半島南部がほとんどで、近畿地方では見つからない。 韓国南西部と九州北部は間違いなく同じ文化圏の人達「倭人(わじん)」が住んでいたんだ。 実は甕棺を韓国語で画像検索するとたくさん出てくるんだ。 韓国で出てくる甕棺は日本の物よりもっと大きいのもあるし、形もいろいろで面白いんだ。 大人達が信じている説では、韓国南西部には倭人とは違う国「馬韓(ばかん)や百済(くだら)」があったはずなんだ。 でも実際には卑弥呼の時代から6世紀の半ばまで、甕棺だけでなく前方後円墳などの倭人の墳墓もたくさん作られた。 300年くらいの長い間、倭人の国があったみたいだ。 大人達が秘密にしているのは、この地域から倭人の墓が出てくる理由をどう説明していいのかわからないからなんだ。 もし倭人がいたとすると近畿地方の人達が朝鮮半島南西部も支配していたと大人達は考えたいのだけれど、そうするとどうして近畿地方から大型の甕棺が出てこないのかが説明できないんだ。 甕棺が示す歴史とは、「九州北部と韓国南部には同じ文化圏の倭人が住んでいたけど、韓国に住んでいた倭人は近畿地方の人達とは別の人たちだった」という事なんだ。 でも、そうすると大人達が信じている説が間違っているという事になってしまう。 それは大人達にとっては困った話になってしまうんだ。 それにこれは日本人はどこから来たのか、という大きな問題と関係があるので知られたくないんだ。 だから甕棺について調べてみても、まるで世界中で珍しくない方式であるような説明がされている。 合わせ口甕棺について調べてみても、北部九州に特有と書かれているだけで韓国の甕棺についてはどこにも書かれていないんだ。 九州でたくさん見つかっている金海式甕棺(きんかいしきかめかん)とは、 韓国の金海市(きんかいし)で見つかったからこの名前が付けられているんだ。 でも金海式甕棺について調べて見ても、韓国の甕棺は九州で作られて朝鮮半島に運ばれた、なんて書かれている事もある。 大人達にとって甕棺とは、そもそも調べてほしくない、秘密にしておきたい物なんだ。

 それに大人達が秘密にしている、もっと面白い話もあるんだよ。 当時の韓国には百済(くだら)、新羅(しらぎ)、加耶(かや)という3つの文化圏が他にあったのだけど、羅州の文化はその3つとも似ていなかった。 羅州は独立(どくりつ)した別の国家だったんだ。 羅州市永洞里(えいどうり)の古墳(こふん)から人骨(じんこつ)が発見されたので、DNA型鑑定(かたかんてい)してみたんだ。 遺伝子(いでんし)を調べて、この人達はどこから来た人達なんだろうかって。 でも百済(くだら)、新羅(しらぎ)の昔の人達と比べたけど似ていなかった。 その代わり永洞里の人骨のDNAはなぜか今の日本人のDNAとそっくりだったんだ! 古代羅州人(こだいらしゅうじん)の王族(おうぞく)と現代日本人は同じ遺伝子を持っている。 日本人と血縁関係(けつえんかんけい)が深い倭人が住んでいて、独立した強力な国が数百年もあった羅州。 そんな国があったならば、歴史書(れきししょ)に必ず書いてあるはずだ。 それなのに、羅州人を説明(せつめい)するような国家について歴史書に何も書かれていないんだ。 仕方ないからこのあたりから出てくる土器(どき)を「馬韓土器(ばかんどき)」とか呼んでるけど、馬韓(ばかん)という国はずっと前に無くなったはずなので、大人たちは説明できなくて困っているんだ。 大人達には古代羅州人がどんな国の人達で、どうして今の日本人と似ているのか全く説明できない。 それにこれも日本人はどこから来たのか、という問題と関係があるので知られたくないんだ。 だから大人達はこの話を秘密にしているんだ。

 説明できないからって世界でも珍しい大きな甕棺の事や、日本人と関係の深い古代羅州人の事を教えてくれないっていうのは情けない話だよね。 大人達が説明できない理由は大人達が信じている説が間違っているからなんだ。 その説とは楽浪郡平壌説(らくろうぐんぴょんやんせつ)と言って、簡単に言うと「313年に高句麗(こうくり)という国が朝鮮半島の平壌(ぴょんやん)にあった楽浪郡(らくろうぐん)をやっつけた」という説なんだ。 その説によると朝鮮半島南西部(羅州のあたり)には倭人ではない国「馬韓(ばかん)や百済(くだら)」があり、日本には「倭国(わこく)」があったはずなんだ。 でも実際に朝鮮半島南西部にあったのは「馬韓(ばかん)や百済(くだら)」ではなく、倭人の国「倭国」だったんだ。 しかも近畿地方の人達とは別の倭人の国が。 大人達が説明できないのは、歴史書に書かれている「倭国」が日本の事だと勘違い(かんちがい)しているからなんだ。 本当の「倭国」は朝鮮半島にあった。 現代日本人と古代羅州人はどちらも同じ祖先「倭人」の子孫(しそん)だって事なんだよ。 倭の五王は本当は羅州のあたりにいたんだ。 日本人の祖先は古代羅州人と同じように朝鮮半島南部に住んでいたんだろうね。 九州で発見される「倭人」達の甕棺は「邪馬台国」から九州にやってきた人達の墓なのかしれない。


3. 任那日本府(みまなにほんふ)の秘密(ひみつ)

 巨大甕棺墓(きょだいかめかんぼ)を作った古代羅州人(こだいらしゅうじん)は6世紀になると突然消えてしまい、羅州では百済人(くだらじん)の墓しか作られなくなってしまう。 中国の書物でも朝鮮の書物でも502年を最後に倭人の話は出てこなくなってしまう。 羅州の倭人は百済(くだら)という国に負けて国を失ってしまったようだ。 任那日本府(みまなにほんふ)については習ったかな? 任那(みまな)とは日本書紀(にほんしょき)という日本の歴史書(れきししょ)に書かれた、古代の朝鮮半島の倭人の記録だ。 大人たちには日本が支配(しはい)した場所だったと考えている人が多いんだけど、本当は何だったのかやっぱり説明できないんだ。 どうして大和朝廷(やまとちょうてい)が日本を統一(とういつ)する何百年も前から朝鮮半島に倭人たちが住むことができたのか、さっぱりわからないからね。 大人たちが説明できない任那日本府の秘密もこっそり教えてあげるよ。

 古代の人たちにとって対馬海峡(つしまかいきょう)を渡って朝鮮半島から日本に渡るのはそれほど難しくなかった。 でも対馬海流(つしまかいりゅう)のせいで日本から朝鮮半島に行くのは大変な事だったんだ。 大人たちはどうやって大昔に日本人が朝鮮半島に渡って国を作ることができたのかが説明できない。 大人たちが説明できないのは、日本の歴史が近畿地方から始まったと勘違い(かんちがい)しているから。 でも日本人の祖先(そせん)は最初から朝鮮半島に住んでいた。 日本の歴史は本当は近畿地方からじゃなく、朝鮮半島から始まったんだ。 歴史が始まった場所を勘違いしているから説明もできないし、説明できないから任那(みまな)については教えてくれないんだ。 大人たちは日本の歴史は日本から始まったと思いたいのかもしれない。 日本人が朝鮮半島からやってきたとは考えたくないから、いつまでたっても任那のことが説明できない。 いつまでたっても邪馬台国が見つけられないのも、卑弥呼が朝鮮半島にいたとは考えたくないからなのかもね。

 日本書紀(にほんしょき)には、513年に任那(みまな)の4県を百済に取られた話が書いてあるから、 古代羅州人の国はこの時に滅亡(めつぼう)したのかもしれない。 任那はその後562年に新羅(しらぎ)という国にも負けて滅亡(めつぼう)してしまう。 国が無くなっても倭人はしばらく生きていたけれど、国を失った人たちは消えていくしかなかったんだ。 大人たちには任那の滅亡は日本が朝鮮半島に進出(しんしゅつ)したけど負けてしまった話だと考えている人が多い。 でも任那の滅亡とは、本当は日本人の祖先たちが朝鮮半島の人たちに負けて国を失い、朝鮮半島の故郷(こきょう)を失ってしまう話だったんだ。 昔から日本人はカッコイイけど偽物(にせもの)の歴史を記録(きろく)するよりも、カッコ悪いけど本物の歴史を記録するのが好きだった。 だから日本書紀には昔の人たちの悲しい歴史がちゃんと記録されている。 インチキの歴史を残すのは、カッコ悪い歴史を残すよりももっと恥ずかしい事だからね。 今を生きる日本人も、昔の日本人の立派(りっぱ)な精神(せいしん)を見習って、偽物(にせもの)の歴史ではなくて本物(ほんもの)の歴史だけを残していかなくちゃね。

 2000年以上昔のギリシアには「プラトン」という偉い先生がいて、問題の答えをどうやって見つけるべきかを考えたんだ。 そのプラトン先生の話は本当はとても難しい。 でもプラトン先生の大切な教えである「答えが見つかる方法」と「答えが見つからない方法」の違いを簡単にわかりやすくまとめて紹介するよ。

ダチョウ仮説答えが見つかる方法(プラトンの教え)答えが見つからない方法(ダチョウの方法)
ゴールどんな話が答えなのかを知る好きな話を答えに、嫌な話を間違いにする(ダチョウの卵が生まれる)
考え方どんな話でも、おかしい所がないかチェック好きな話におかしい所があっても気にしない(卵を温める)
答えの決め方誰にもおかしい所が見つけられない話が答えおかしい話でもみんなが好きな話が答え(みんなで卵を温める)
答えが出ない時問題におかしい所がないかチェック問題におかしい所はないと信じる(もうすぐ生まれる)
嫌な話を聞いたらみんなでおかしい所がないかチェックみんなで無視。嫌な話は無い事にする(ダチョウ誕生!)
嫌な話をする人に話のどこがおかしいか、理由を言う嫌な話をする人の頭がおかしいと言って怒る(みんなもダチョウにする)
答えは見つかるかどんな話でも答えにするのでいずれ見つかる答えが嫌な話だとダチョウには100年たっても見つからない

 「ダチョウ」とは「ダチョウ症候群(しょうこうぐん)」という心の病気を持った人で、 「目の前にある問題や危険を直視せず、何もしないでやりすごそうとする人」のことだよ。 もしかしたら大人たちは、「答えが見つかる方法」ではなくて「答えが見つからない方法」を使って「ダチョウ」になってしまったから、答えが見つからないのかもね。

4. 夏休みの課題に日本人の起源(きげん)を調べよう

 邪馬台国の場所も重要(じゅうよう)だけど、日本の歴史にはもっと重要な最大の謎があるんだ。 それは日本人がどこから来たのかという謎、そして日本という国がどうやって始まったのかという謎だ。 この日本の歴史の最大の謎を解くために、夏休みや冬休みの課題には邪馬台国の場所だけでなく、 日本人がどこから来たのかと、日本の歴史がどうやって始まったのかを考えて大人たちに説明してみよう。 できればジャレド・ダイアモンド博士が書いた「日本人とは何者だろう(2005年)」というホームページを読んでみよう。 日本人の起源についていろいろな事が書かれているすごいページだ。 日本人の起源を考える時には読んだ方がいい重要なページなんだ。 ちょっと小中学生には難しいかもしれないけど、分からない所は大人の人に説明してもらおう。 大人の人が手伝ってくれない時は学校の先生に聞いてみれば何が書いてあるかきっと説明してくれるよ。

 日本人の起源について考えるには、次の4つを考えないといけないんだ。
  1. 人体(じんたい):日本人の骨や遺伝子(いでんし、DNA)が説明できる。 DNAは調べられないから、骨だけを考えよう。 DNAについては面白い報告を紹介するよ。
  2. 遺跡(いせき):古代の遺跡から出てくる物(墓や土器など)が説明できる。
  3. 歴史書(れきししょ):中国、朝鮮、日本の歴史書に書かれた古代の歴史が説明できる。
  4. 言葉(ことば):古代日本語の発音(むかしの日本語)や今の日本語の方言が説明できる。言葉についても調べるのは難しいので面白い報告を紹介するよ。
もしこの4つが全て説明することができたなら、その考え方は正しいという事なんだ。 邪馬台国の場所を合わせると、次のような事を調べればいいよ。

1. 人体(じんたい)

2. 遺跡(いせき)

3. 歴史書(れきししょ)

4. 言葉(ことば)

これだけ調べれば歴史書、遺跡、人体、言葉の4つを全て説明することができる答えがきっと見つかるはずだ。 もし4つを全て説明する事ができたなら、大人たちが何と言ったところでそれが正解だよ。 日本人がどこから来たのか、日本という国がどうやって始まったのかを考えて大人たちに説明してみよう。 本当はこれも邪馬台国の場所と同じで、謎なんてないんだ。 歴史書(れきししょ)や遺跡(いせき)を調べている人たちが何かを間違えているから謎として残っているだけなんだ。 小中学生には少し難しいかもしれないけれど、大人の人に手伝ってもらえば答えにたどり着くはずだよ (手伝ってくれないかもしれないけれどね)。 少し調べる事が多すぎるから難しいかもしれないけど、調べた部分をまとめるだけでも夏休みの宿題のテーマには十分だよ。


5. 博物館に行こう

 大人たちに頼んで壱岐島や近畿地方の博物館(はくぶつかん)に連れていってもらおう! 壱岐島は遠いから難しいかもしれないけどね。

一支国博物館壱岐島の博物館。最近、ゆるキャラ人面石くんがデビューしたんだ。
土井が浜遺跡海の向こうの故郷を見ている人骨がたくさん展示されてる山口県(やまぐちけん)下関市(しものせきし)の博物館
末盧館菜畑遺跡(なばたけいせき)葉山尻支石墓群(はやまじりしせきぼぐん)のある佐賀県(さがけん)唐津市(からつし)の博物館。
奈良 埴輪 博物館奈良県の埴輪のある博物館を検索
大阪 埴輪 博物館大阪府の埴輪のある博物館を検索

 甕棺は九州ではたくさん出てきているから九州の博物館でも見学できるけど、やっぱり遺跡を直接見に行こう 迫力が全然違うからね。 きっと甕棺が好きになるよ。 大人に頼んで連れて行ってもらおう! 九州以外の人は遠いから難しいかもしれないけどね。

金隈遺跡 人骨入り甕棺も見れる!甕棺に触れるかも!ぜひ見にいこう!
吉野ヶ里歴史公園甕棺が3100基も出てきたんだよ!ぜひ見にいこう!

 もしも韓国まで行く事ができたら、是非韓国の博物館に連れて行ってもらって甕棺を見てこよう! 韓国が世界に誇る物凄い大きな甕棺があるんだ。 韓国の人達が甕棺を大切にしているのを見ると嬉しくなるね。
 甕棺は中国で3〜4000年前に作られるようになってまわりに広がったんだけど、 中国人は3000年くらい前から作らなくなったんだ。 朝鮮半島には前3世紀から北の方から作られるようになったんけど、 北の方ではだんだん作られなくなっていったんだ。 でも韓国の南の方では6世紀くらいまで長い間作られていた。 もしかしたら倭人のルーツと甕棺は関係があるのかもしれないね。 日本の甕棺は北九州だけで前2世紀から3世紀くらいまでの間に作られただけなんだよ。 稲作(いなさく)が始まって少したってから、甕棺が作られるようになった。 ほとんどの甕棺は2世紀までで、卑弥呼がいた時代にはもうあまり作られなくなっていたんだ。 こんな大きな陶器(とうき)を作るのは大変だ。 だからやり方を知らない古代人が突然、「大きな陶器を焼いて棺桶(かんおけ)を作って、その中に死体を入れて埋めよう」などとは普通は考えないだろうね。

国立羅州博物館全羅南道 羅州市の博物館 超弩級(ちょうどきゅう)の甕棺があるよ!一生に一度は訪れたい場所だ。
木浦大学校博物館全羅南道木浦市の博物館 こんなところにも甕棺がいっぱい


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