歴史学の査読は吊し上げ袋叩き口封じで思考停止の検閲
〜歴史学者は史料批判より血祭り見せしめで証明〜学校教育で洗脳し通説、定説を確定〜

歴史学なめ子(人気上昇中!) 社会科学研究家, 2022.1.25

 学校で必ず教育される「313年に高句麗は朝鮮半島北部へ進出し、楽浪郡を滅ぼした」という歴史事件を覚えているでしょうか。 しかし実際には高句麗は楽浪郡を攻撃しただけで、歴史書における楽浪郡はその後も存続しています。 即ち、これは歴史資料に基く根拠など何もない偽史です。 「こうだったら説明がつくからいいなぁ」という程度のお気持ち歴史仮説です。 「歴史学は史料批判に基いて学問的に実証されているから信頼できる」などと信じている者達は騙されています。 実際には史料批判どころか、 何の史料にも記述されていないような根拠の無い話を「史実」として創作してきたのが日本の歴史学の正体です。 では日本の歴史学は何故そのようなデタラメ歴史を学校で重点項目として教育する必要があるのでしょうか? それは「楽浪郡が平壌に存在した」という歴史学的に実証してしまった「不動の定説」の間違いに気付かないように言いくるめるためです。 STAP細胞騒動など足元にも及ばないような日本の歴史学の「100年に渡る組織的な研究不正」に対し、 日本人が決して疑問を持たぬようにして言い逃れるために。 だから歴史学者達は子供達を学校教育を通じて洗脳し、 疑問を持たないように日本人を愚民化し、 都合の良い歴史仮説に疑問を持つ事がないようにネトウヨ化してきたのです。 ただ「歴史学の権威」とやらを守りたいためだけに、 子供達を騙し続けて国民を愛国ポルノで愚民化してきたというのが「日本の歴史学の正体」です。 そしてその「歴史学の権威」とやらを絶対的な社会規範として社会体制を構築してきたのが、 日本のマスコミなのです。 マスコミが「歴史学の権威」を祭り上げて社会規範として日本人を社会教育してしまったために、 歴史学者達には、もはや歴史の真実に近付こうとする者達をキャンセル・カルチャーで袋叩きにして言論弾圧し、 子供たちを騙し続けて思考停止させる以外に選択肢がなくなってしまったのです。

歴史学の査読は吊し上げ袋叩き口封じで思考停止の検閲

ポリコレ歴史修正主義の問題点(さらに詳しく!)

 歴史学にとって「史料批判」こそが歴史学を学問として成立させている研究方法論の核心です。 史料の実証妥当性と論理整合性の検証こそが歴史学が追求する方法論の真髄です。 史料に書かれていないような作り話を適当に補ってそれを「史実だ」と主張する行為とは、 本来はトンデモ歴史家のする事です。 しかし日本の「歴史学の成果の蓄積」とは、歴史資料と史料批判に基いているのではありません。 それは何と先行研究の重層性に基いています。 だから先行研究が間違っていれば、それに基いた研究は全て間違っているのです。 先行研究に沿って史料に書かれていないような作り話を適当に補い、 こじつけて創作されてきたのだというのが日本の歴史学が隠蔽してきた秘密です。 「先行研究との整合性」を重視する日本の歴史学とは、 偽歴史を守り続ける偽史学なのです。 だから「邪馬台国は日本のどこかに存在した」などという虚妄の愛国ファンタジーで子供達を洗脳し、 国民を白痴化、歴史修正主義者化してトンデモ歴史を見抜くリテラシーを奪っているのです。 日本の歴史学が偽歴史学である事がバレてしまわないようにするために。

 ロシアの小説家アントン・チェーホフは、 「嘘をついても人は信じる。ただ権威をもって語れ。」と述べています。 権威のある者達が集団で嘘をつけば、人々はそれを信じるのです。 だから日本人は歴史学者達に騙されている事には気付かないのです。 日本人が「歴史の真実」と向き合う事のできない歴史修正主義者の集団になってしまったのは、 偽歴史学による偽歴史教育が原因なのです。 歴史学者にとっては国民が歴史学の成果の蓄積に疑問を持つ事なく、 邪馬台国の女王卑弥呼などという愛国ポルノで「パブロフの犬」のように興奮していればそれで良いのですから。 学生さんもネトウヨさんもリベラルの方達も、 そろそろニセ歴史学者達に騙されている事に気づくべきでしょう。

人気上昇中!応援メッセージが続々!
歴史学者達って総合的、俯瞰的な視点を持つ事ができないようですね。
歴史学者達って、史料批判どころか史料に記述がない話でも史実として確定してきたんですね。
歴史学者達って先行研究の重層性を崇拝し、先学達の間違いを大切に守り続けてきたのですね。
歴史学者達って間違った研究手法に従って長年コツコツと偽歴史を積み重ねてきたのですね。
歴史学者達が先行研究を崇拝するのは、歴史学の世界が年功序列だからなんでしょうか。
歴史学者達にとって、査読付論文で異議を出す人さえいなければ問題など存在しないのですね。
歴史学者達の「査読」って、間違った先行研究を守るために「検閲」してたんですね。
歴史学者達が在野を相手にしないのは、検閲できないから無視するしかないんですね。
歴史学者達の史料批判って、在野を煙に卷くための方便なんですね。
歴史学の定説って、在野の素人が精査しただけで一発でひっくり返されるんですね。
歴史学の成果の蓄積って、ゴミの山ですね。ゴミ箱に捨てた方がいいんじゃないでしょうか。
歴史学者達って、子供達に捏造歴史を教えても恥しくないのでしょうか。
歴史学の専門家って先学達を崇拝し、間違った先行研究を大切に守り続けてきたのですね。


 楽浪郡は古朝鮮の王都である王険城に置かれ、 中国史書の記す王険城の位置が高句麗の平壌城と同じである事から「楽浪郡の場所は平壌である」という説が歴史学者達の間で優勢となりました。 「衛氏朝鮮の王険城の場所に楽浪郡が置かれ、王険城の場所は平壌城の場所と同じであり、平壌城は平壌にあった。」 これが楽浪郡平壌説の理論的支柱です。 しかし、この推論には「歴史書に記された平壌城」と「朝鮮半島の平壌」が同じ都市である、 という暗黙の前提に基いています。 実際には「平壌城」と「平壌」は別の都市だったのです。

 歴史学において「理にかなった歴史学の手法」の特性、可能性などについての疑問は、 歴史哲学から出され、 それは「認識論の疑問」として出されるとされています。 実際に「史料批判の英語版」においては、 史料の評価における最も一般的な方法とは、認識論である事が明記されています。 (Epistemological theories are the basic theories about how knowledge is obtained and thus the most general theories about how to evaluate information sources.) 「楽浪郡平壌説」は単なる仮説であり、仮説は認識論の観点から、 即ち実証的、 客観的(意識から独立した存在)、 論理的、 科学的な観点から検証されねばなりません。 しかし、日本の歴史学にはその歴史学の手法の基本である「認識論の疑問」による検証の概念が存在しませんので、最初から間違っていました。 歴史学者達は朝鮮半島や遼東半島の地理的条件も考慮せず、その後の歴史や経済的、技術的、戦術的条件その他も全く考慮していない上に歴史書の記述も完全に無視し、 不十分な確証だけで楽浪郡平壌説を「ドグマ」(絶対的な明証性をもつとされる基本的原理)としてしまったのです。 だから「平壌城」と「平壌」が異る都市だった事に気付かなかったのです。

 日本の歴史学者達が「史料批判」する時のチェック項目とは、主に以下のような項目です。
  1. 史料の作成時期、作成場所、作成目的、作成者、作成方法などの把握
  2. 史料に整合性が有るか、内部矛盾が存在するか
  3. 真であると評価された史料と明らかに矛盾するかどうか
  4. 二つ以上の独立した史料に同一の記述が有るかどうか
  5. 科学的に証明された他の資料(考古資料など)と矛盾するかどうか
日本の歴史学の問題点とは、「史料批判のチェック項目に科学的な検証が含まれていない」事です。 整合性の存在する複数の中国史料に「平壌城は楽浪郡のあった場所にある」と記述されており、 平壌においてそれらしき考古資料が発見された事から、 何の疑いもなく楽浪郡を朝鮮半島に持っていってしまったのです。 認識論が提唱するところの実現可能性のチェック即ち、 「Potentiality」と「Actuality」に関する科学的な検証など誰もしていないのです。 日本の歴史学は「現実吟味」の能力の必要性を認識していないのです。 これが「楽浪郡が朝鮮半島にあるはずが無い」事が歴史学者達には理解できなかった理由です。

 学問の父とされるアリストテレスは「ある事を確信している場合、その前提となっている理由はその都度問われても良い」としました。 前提となっている理由は、問題が発見される度に疑うべきだというのは、古代ギリシアから既に学問の基本中の基本なのです。 しかし、日本の歴史学においては一旦「コンセンサスによる真実」によって定説が決定してしまうと、 もはやそれを修正する事は社会的に許されません。 評価が定着した学説を変更しようとする者は異端者として排除されてきたのです。 日本の歴史学者にとって、通説とは「議論」を通して決めるものではなく、 「場の空気」で決めるものだからです。 それ故に先行研究を崇拝し、歴史書の記述を先行研究に合うように曲解してきたのです。

 日本の歴史学には、単に歴史学の基本が存在しないばかりでなく、 学問の基本がそもそも存在しない。 これが歴史学者達が間違いに気付かず、「楽浪郡平壌説」がドグマと化してしまった理由です。 こうして「楽浪郡平壌説」という誤った先行研究の上に膨大な量の誤った研究の蓄積を積み重ねてしまったのです。 歴史学に必要なのは「史実」と「歴史物語」を切り分けて考える事ですが、 日本の歴史学とは「定説」というドグマに沿って「歴史物語」を創作し続けてきた偽歴史創作集団なのです。

 最良の歴史記述の説明に至る議論の7つの条件を示したC. Behan McCullagh氏はその著書「歴史記述の正当化」において、 「歴史記述を最終的に証明する方法は存在しない。できるのは正当化する事だけである。」と述べています。 自然科学と違って歴史学とは、このように完全に証明する方法など存在せず、 その結果として異論が存在するのが普通です。 楽浪郡平壌説のような怪しい説に対して異論を述べる学者が存在しないというのは、 それが正しいからなどではありません。 歴史学者達が「斉一性の原理」に支配されているためです。 正しいから異論が出ないのではなく、同調圧力によって異論を出す自由が存在しないからです。 楽浪郡平壌説の間違いに気付いている学者は多数存在しているはずですが、 誰もそれを口に出せないのです。 歴史学において異論が出ないのは、同調圧力の存在を疑うべきです。 歴史学者は全員がダチョウなのです。

 ウソ物語を守るための歴史学者達の戦略とは次の基本3原則を守る事です。
  1. 楽浪郡平壌説に疑問を持たせない
  2. 楽浪郡平壌説以外の仮説を提案させない
  3. 楽浪郡平壌説以外の仮説を検証しない
この戦略を実現するために、各方面に対して社会的影響力を用いて様々な戦術が使用されています。
  1. 歴史学の研究者に疑問を持たせない  歴史哲学の根幹である「認識論」を教育せず、「科学的思考」をさせない。 また、先学の研究成果を尊重するように教育し、楽浪郡平壌説に疑問を持つ事を許さない。 子供だましのアドホックな仮説で学生達を愚民化する。 研究者がウソに気付いた頃には、既にウソを吐き続けるしかない立場となる。
  2. 他分野の研究者に疑問を持たせない  各専門分野の研究を尊重するのが社会人としてあるべき姿であるという規範を規則として明文化し、 その規則で縛り付けて疑問を持つ事を許さない。
  3. 在野の研究者に疑問を持たせない  「歴史学の手法を学んでいない」とか、「中国史料の読み方が間違っている」とか、 論点と関係の無い理由で人身攻撃し叩き潰す。 また、その論証は全て徹底的に無視する。 本当は楽浪郡平壌説が間違いである事など既に知っているので、そもそも反論するつもりなど最初からない。
  4. マスメディアに疑問を持たせない  マスメディアには科学的思考や調査能力が存在せず、権威のある者の意見を聞くだけの存在である事を利用する。 マスメディアは歴史学者達を崇拝して疑問を一切持たず、大本営発表を楽しみに待っている。
  5. 右翼に疑問を持たせない  ウィキペディアを支配して「楽浪郡平壌説に疑問を持つのは、韓国人や北朝鮮人が中国に支配された歴史を直視できないからだ」という右翼の喜ぶ主張を浸透させる。 また「古代日本が朝鮮半島を支配していた」という右翼の喜ぶ幻想を信じさせ、 楽浪郡平壌説を守るための「自薦の用心棒」として育成する。
  6. 左翼に疑問を持たせない  左翼の喜ぶ主張をした上に「歴史学の権威は絶対的に信用できる」という幻想を作り出し、 楽浪郡平壌説を守るための「自薦の用心棒」として育成する。
  7. 歴史ファンに疑問を持たせない  邪馬台国や卑弥呼への愛着を利用し、 楽浪郡平壌説を守るための「自薦の用心棒」として育成する。 古代史を代償行為として学ぶ者にとっては、 古代史論争とは単なる歴史学の論争ではなく、 全人格をかけた意地のぶつかり合いである。
  8. 一般人に疑問を持たせない  「可能性がある」程度の確証にすぎない楽浪漢墓や楽浪太守封泥などを「絶対的な明証性を持つ」確証であると強弁し、楽浪郡平壌説に疑問を持たせない。 また「専門家の意見は信頼すべきである」という規範を社会に作りだし、 疑問を持つこと自体が倫理的に間違いであると思わせる。 また、マスメディア、学校教育、ウィキペディアなどを通じて楽浪郡平壌説が疑問の余地のない説である事を繰り返し、ウーズル効果によって脳裏に刷り込む。 また、攻撃性の高い右翼、左翼、そして歴史ファンを揃って「自薦の用心棒」として利用する事で、 一般人に「この問題には関わるべきではない」という事を理解させる。
  9. 子供達に疑問を持たせない  「313年に楽浪郡は高句麗によって滅ぼされた」というウソ物語を学校教育で刷り込んで洗脳し、 楽浪郡平壌説に疑問を持たせない。
 歴史学者達はこのように「疑問を持つ」という学問の基本を社会全体から徹底して排除し、 「疑問を持たない」日本人を育成してきたのです。 また、「朝鮮半島とは古代から中国の支配下にあり、自主性の無い民族である」という偏見を子供の頃から植え付け、 つまらない朝鮮半島の歴史などには決して興味を持たせないように教育してきたのです。 更に各方面に楽浪郡平壌説を守るための「自薦の用心棒」を育成し、 日本社会に強固なパンドラの箱を作り上げてしまったのです。

 歴史学者達はこのような日本人愚民化教育が、 どれだけ社会に悪影響を与えてきたかを理解しているのでしょうか。 このような仮説を放置しておく事が東アジアの国際関係にどれほど悪影響を与えるかを理解しているのでしょうか。 どれだけ多くの人間が邪馬台国を探して無意味な時間を過ごしていても罪悪感は無いのでしょうか。 きっとバレなければいいだけの話なのでしょう。

 これが山形明郷氏が指摘した「古代史犯罪」の実態です。 もし日本の歴史学者達の無能によって保護されている捏造歴史を根拠に「朝鮮は中国の一部だった」などと現代世界の外交関係が決定されるのであれば、実に罪深い犯罪行為です。 本来は山形氏が指摘した時点でこの論争は終わりにすべきでした。 膨大な数の人々の人生を破壊してきたこのニセ歴史は即刻ゴミ箱に捨て去るべきでしょう。

トンデモ歴史を流布するマスコミ(さらに詳しく!)

歴史学者をバカにする行為は社会常識として間違っていませんか?

 「歴史修正主義者に対する正しい態度とは、侮蔑する事である」というのが社会常識です。 従って歴史学者をバカにする行為は社会常識として正しい態度です。

このように歴史学者達をネット上で匿名で批判する行為は倫理的、法律的に問題がありませんか?

 歴史学における不正行為(歴史の捏造、改竄)の告発は社会正義の一種であり、 倫理的にも法律的にも何の問題もありません。 むしろ倫理的に問題がある行為とは、 歴史の真実から目を背け、ニセ歴史を学校教育を通じて国民に刷り込む行為でしょう。

新型コロナウィルス

 菅総理が新型コロナ第三波の感染爆発を主に飲食店に対する時短営業の要請だけで収束させたのは、 日本が世界に誇るべき偉業でしょう。 単に国家の危機を最小限の規制で乗り切っただけでなく、 飲食の場こそが最大の感染源である事を実証したのですから。 それは即ち、ダイアモンドプリンセス号のパンデミックの主な原因は日本政府の検疫体制の不備にあったのではなく、 クルーズ船のビュッフェレストランにあった事をも証明したのです。 安倍政権が2020年2月末にビュッフェスタイルのレストランの危険性を通知したのは懸命な判断でした。 安倍政権を批判する事が「社会正義」だと考えて原因もロクに追求せずに日本政府を糾弾し、 飲食の場における感染爆発への備えを怠ってしまった者達は、 「真実よりもポリコレ」を追求して2020年2月を「失われた一ヶ月」としてしまい、 惨劇を防ぐ可能性を失った自らの過ちを反省すべきでしょう。 ポリコレに目を奪われて真実を見失うなど、愚の骨頂です。

 話は変りますが、誰か話題のテニスプレイヤーに教えてあげて下さい。 何がポリコレかを決めるのはマスコミなのだと。 フェミニズム、マイノリティ、LGBTなどの運動は支持者獲得のためにマスコミが方針転換した理念に過ぎないのだと。 マスコミは不満を持つ若者達を崇高な理念で扇動し、正義感を植付けて罵詈雑言で批判するように凶暴化させてきたこれまでの印象操作の愚行を繰り返しているだけなのだと。 マスコミに敵対する者こそが最悪の反ポリコレであり、問答無用でキャンセルされる運命にあるのだと。

おまけ1:ファシズムのバイブル「ヒトラー語録

満足している者は戦力にならない。不満を集めて彼等を扇動し、はけ口を一点に集中してこそ強力な戦力になる。
理念とは飽くまでも目的のための手段であり、理念の実現自体を目的とすると危険になる。
敵対する理念を抹殺するために戦うのではなく、自分達の理念を実現するために戦え。
理念がしっかりしていないと、卑怯と呼ばれる武器の使用をためらってしまう。
宣伝は学問ではない。知的水準が最低限の者が判る程度にするべきだ。できるだけ理屈を省いて分かり易くする事である。
宣伝とは、大衆を確信させるため、最も単純な概念を何千回と繰返し、覚えさせる事である。
責任は全て敵にある。重要なのは「我々の責任ではない」と突っぱねるのではなく、「あいつの責任だ」と突っ放す事だ。
マスコミは下衆である。口当りの良い言葉を用いるマスコミや人間は自己の利益のみに動くか、単なる馬鹿である。用心すべし。

おまけ2:女性哲学者シモーヌ・ヴェイユの名言集

現代社会の中には、犯罪よりもいまわしいものが一つだけあります。それは「抑圧的な正義」です。
我々が選ぶべきは「空想の楽園」ではなく「現実の地獄」です。
自分の知識を誇りに思う知性派の人間は、自分の大きな独房に誇りを持っている死刑囚のようなものです。
「過去の破壊」は、あらゆる罪の中でおそらく最大の罪です。
人は権力を手にした時、悪を悪として感じられないだけでなく、不可欠のものとして、さらには義務として感じるのです。

トンデモ歴史教科書でネトウヨ化するポリコレ歴史教育のまやかし
歴史認識捏造のデタラメ歴史教育でネトウヨ化する現実逃避の社会問題
歪曲歴史教科書でポリコレ現実逃避するごまかし歴史教育