歴史修正主義とキャンセル・カルチャー
X.M. 社会科学研究家, 2022.3.23
1. 歴史修正主義研究
第2次世界大戦が終了して既に70年が過ぎ、
世界においてはもう歴史認識問題が話題にされる事はほとんどなくなりました。
しかし日本においては、この歴史問題が何故か一向に解決する見込がありません。
「歴史認識問題」とは本来であれば、
単に「歴史の真実」を誰もが納得できるような形で明らかにするだけで解決するはずの問題です。
それに現代史とは古代史と違って歴史資料が大量に残されており、
「歴史の真実」に辿り着くのは比較的容易であるはずです。
それなのに一体どうして日本においては「歴史の真実」を誰もが納得できるような形で明らかにする事ができないのでしょうか?
これには日本社会の特徴に関連する、何か構造的な社会問題が有りそうです。
歴史問題が袋小路に陥ってしまい解決できない本当の原因とは、
一体何なのでしょうか?
ここでは「キャンセル・カルチャー」と呼ばれている社会現象や「ネトウヨ」と呼ばれる者達と「歴史修正主義」の関係に着目し、
「歴史修正主義」と呼ばれる現象が社会において発生しているかどうかを社会学の観点から解析する手法を導入します。
そして日本社会において歴史認識論争が解決しない根本的な原因と問題点を明らかにします。
1.1. 歴史修正主義研究のための社会学入門
日本社会においては、どうして「歴史の真実」を誰もが納得できるような形で明らかにできないのでしょうか?
袋小路に陥った時には、
何か大きな間違いをしている事を根本から疑ってブレイクスルーの方法を探すのが学問やビジネスだけでなく人生においても基本的な戦略です。
一般には問題が解決しない場合のブレイクスルーの方法とは、
「垂直思考」による解決を求めるのを止めて「水平思考」の戦略を持って柔軟な着想をすべきだとされています。
しかし日本社会における歴史問題においての議論では、
「垂直思考」ばかりで「水平思考」がされているようには全く見えません。
これは学校教育において「水平思考」の歴史教育がされていないのが原因の一つでしょうが、
それだけではこの社会現象を説明する事はできません。
日本人は一体どうして「垂直思考」ばかりで、「水平思考」ができないのでしょうか。
ここでは歴史問題を解決するために必要な「水平思考」をするための、
様々な知識を紹介します。
そして日本人はいつ、どこで、誰に、何故、
どのように歴史教育されたために「水平思考」をする事ができなくなってしまったかという根本的な原因を説明する「楽園仮説」を提唱します。
それは即ち、歴史問題が解決しない本当の理由と、その社会的要因を明らかにする事を意味します。
歴史問題は解決不能とされていますが、そんな事は決してありません。
日本人が「歴史の真実」に辿り着き、
「歴史の真実」に向き合う事さえできれば、
それはいつでも解決できる問題なのです。
これを読まれた方の中の一人でも多くの方が「水平思考」ができるようになり、
そして袋小路に陥った日本の歴史問題が一日でも早く解決される事を祈ります。
「日本人は何故同じ過ちを繰り返すのだろうか?」
社会学を学ぶ者であれば、そのような疑問を抱いた事があるだろう。
社会学を志す者は現在の社会現象について考察する前に、まず歴史から学ぶ姿勢が重要である。
哲学者として名高いヘーゲルは「歴史を学ぶと、我々は歴史から学んでいない事が分かる」と述べた。
しかし社会学を志す者は、哲学者のように嘆いているだけではダメだ。
社会現象を研究し、その本質を見極める必要がある。
日本人が同じ過ちを繰り返すのには、何か理由があるはずだ。
その原因を理解して社会現象の本質に到達するためには、
歴史学の研究方法を理解して歴史学と社会学の統合を試みる必要があろう。
ここでは社会問題における疑似科学である「歴史修正主義」が発生する仕組みを、
社会学的観点から明かにし、批判する。
人間の誤りやすい傾向について、人類の英知である「社会心理学」の偉大なる成果である認知バイアス一覧をウィキペディア英語版に基づいて紹介します。
これにより、水平思考を妨げている心裡的要因が何かを考えるための参考とします。
人間の誤りやすい傾向について、英語版のウィキペディア英語版に基づいて、人類の英知である「科学哲学」の偉大なる成果を紹介します。
水平思考を妨げている心裡的要因が何かを考えるための参考とします。
「科学の手法とは、実験結果が再現できることである」。
もしそう考えているとしたら大きな勘違いをしています。
歴史学とは科学の一種であり、歴史修正主義とは疑似科学の一種です。
「科学」とは何か、そして「疑似科学」とは何かについて本当に理解するためには、
哲学や社会学の知識は避けて通れません。
ここではウィキペディアの英語版を基にして、「疑似科学」とは何かについて分かり易く説明します。
そしてニュース事例を利用したレポートのテーマとしての疑似科学の評定の演習問題を示すと共に、
日本社会が水平思考ができない理由を説明する「楽園仮説」を紹介します。
「キャンセル・カルチャー」とはどのような概念なのかを和歌を通じてわかりやすく説明します。
1.2. 疑似科学批判者のための歴史修正主義研究入門
「ニセ科学批判者は歴史修正主義を批判しないネトウヨだ」とよく非難されます。
その批評が正しいかどうかは別にして、
そういう評価がある以上「歴史修正主義とは何か」について考察しておく必要があるでしょう。
「歴史修正主義者」とは頻繁に使われる用語ですが、
実際にはその意味が理解されないまま「レッテル貼り」として誤用されています。
そこで疑似科学批判者のために「歴史修正主義」とは一体どのような概念なのか、
及び史実を判断するために不可欠な「歴史科学の研究方法」とは、
どのような手法なのかについて簡単に説明します。
また、歴史の捏造はどのような手口で現実化されるのかについても詳しく解説します。
そしてこれまで誰も明示する事の無かった「歴史修正主義を判断する事」を目的とする、
具体的なチェック項目をまとめた偽史識別法「トンデモ歴史検出キット」を提示します。
最後にその検出キットを応用して認定される「歴史修正主義の具体例」を示し、
その歴史仮説が事実ではない事を科学的に考証し、
歴史修正主義活動の特徴とその改竄の手口を学術的に明らかにします。
疑似歴史批判の具体例を紹介していますので、
スケプティックの方々だけでなく、
一般の方々が歴史否定論の言説を評定する際にもきっとメリットが有るはずです。
「歴史の歪曲を審査するために必要な検査項目とは何か」について、
解明する第一歩にしていただけると幸いです。
ここにおいては、疑似科学批判者が歴史修正主義問題に対してどう行動すべきかを説明します。
歴史問題は科学ではないと考えますが、疑似科学批判と歴史修正主義批判は何か関係がありますか?
ドイツの歴史科学者ランケは法則性の論証を優先して史実を乱雑に扱う進歩史観に反発し、その反動として徹底した実証主義的証明に基づく近代的な検査方法を確立し、歴史を科学に高めました(実証史学)。
「ただ事実を記すのみ」としたランケの実証史学は欧州史学界に衝撃を与え、今日の史学の基礎とされています。
このように史学が究明すべき「真理」とは政治的真理、道徳的真理、実用的真理などではなく、自然科学と同じ「客観的真理」です。
確かに史学は実験で再現ができませんが、だからと言って検証方法が無いわけではありません。
歴史資料の史料批判、
歴史記述の現実性、即ち英語で言う「Potentiality」と「Actuality」の分析、
他の事件との整合性の検査、
仮説が予言する現象が起きたかどうかの点検など、
資料や証言に客観的な裏付けが有るかを立証するための様々な科学的な検証方法が存在します。
実際に地理学者・生物学者であるジャレド・ダイアモンドは『銃、病原菌、鉄』で地理的・生物学的要因が歴史を決定付けると主張して、史学界に論争を起こしています。
歴史問題は文化系の学問であり、疑似科学批判者には相応しくないのではありませんか?
確かに歴史問題は文化系の学問ですが、
歴史仮説の検証には科学的な知識が必要です。
特に「現実性(PotentialityとActuality)」の検証には自然科学の知識が要求されますし、
「他の事実との整合性」の検証にも論理的思考が要求されます。
歴史問題とはこのように、科学的思考が不可欠な問題です。
歴史認識問題はむしろ以下のような「理想の歴史」から導かれる思い込みにより、
裏付けの無い仮説が事実であると誤認しやすい傾向が有ります。
また以下のように都合の悪い歴史仮説を「先入観」として除外するため、「客観的な事実」が追求できない特色があります。
- 感情バイアスの影響による精神的に苦痛を与える歴史仮説の拒否
- センメルヴェイス反射の影響による通説に抵触する歴史仮説の拒否
- 自身の社会生活上、都合の悪い歴史仮説の拒否
- 保守派、リベラル派などの社会運動の理論的根拠となっている「基本原理」や「理念」を侵害する歴史仮説の拒否
- 面子や建前を侵害するなど、内向きの論理に反する歴史仮説の無視
- サブカルチャーに基く歴史仮説の嫌悪
- 現代社会において理解できない価値観に基づいた歴史仮説の除外
- 「主張の動機」が道義上許容できない歴史仮説の除外
- 社会への災厄が懸念される歴史仮説の度外視
また以下のような現象によって妥当性を欠く歴史仮説が「固定観念」と化して疑問を持たれないのが実態です。
また以下のような方法で都合の良い歴史を捏造する風潮もあります。
- 自分達の歴史修正は正義の歴史修正、あいつらの歴史修正は邪悪な歴史修正と考える
- 都合の悪い確証は意図的に曖昧にする蒙昧主義
- 都合の悪い確証が大衆の目に触れないように検閲する
- 誘導尋問等によって都合の良い証言を無意識のうちに作話(さくわ)させる
- 社会的な抑圧によって口を封じる、或いは偽証を強制する
- 嘘も100回つけば本当になると考え、露骨に嘘をつく
- 国家などが関与する事により、組織的に関連情報を削除して証拠隠滅
また以下のような現象によって思考停止に陥ってしまい、決着しないのが実状です。
- 他説の矛盾点は酷評するが、自説の矛盾点は軽視するダブスタ現象
- 仮説に対する執着が非合理的なまでに強化される「狂信」により理性を喪失し、非常識な中傷合戦になる傾向
- 仮説を否定されると怨念を抱き、自制心の欠如により乱暴になる傾向
- 異説を尊重せずに「相手にする価値も無い」と黙殺する傾向
- 冷静な視点で討論できず、差別発言や罵詈雑言の大合唱になる傾向
- 確証(物証や証言)に安住し、論証されない傾向
- 検証よりもモラルが重視され、モラルを配慮しない仮説が糾弾される傾向
- 社会情勢に影響されてコンセンサスが重視され、合意に反する者は抗議される傾向
- 集団思考によるモラルの暴走に起因する、異議を唱える逸脱者への卑劣な攻撃
- 愛国カルト、
右翼団体、
左翼陣営、
反日勢力等の極端な主張を強弁をする過激な勢力からの執拗な威嚇、脅迫
- 政府の国策、欧米諸国からの提言、近隣諸国による警告等、国家レベルでの紛糾
- ある歴史仮説を信じる事自体が社会規範として内面化されることにより、議論そのものを拒否する傾向
- 弁解の余地がなくなるまで夢想を捨てる事なく屁理屈をこね、絶望するまで戦いが継続する傾向
- 政治的な着地点を見出すために喧嘩両成敗とし、支障の無い仮説が選択される傾向
- 迂闊に肯定論も否定論も主張できず、争論を回避する傾向
- 議論しても論敵を説得するのは至難の技であり、無力感から議論を敬遠する傾向
- 恐怖や憎悪を引き起こす仮説を受容せず、議論を忌避する傾向
このように歴史問題とは自己陶酔した扇動家が跋扈する魑魅魍魎の世界であり、
虚言や罵倒で充満しがちです。
合理的な思考を妨げる認知バイアスや誤謬、詭弁の種類は、自然科学の場合よりもはるかに多く、
しかも強力で不条理な世界です。
何故ならば「客観的な事実」を追求するよりも、
「希望する歴史仮説」を各種誤謬を意図的に駆使して「歴史の事実」にしてしまう事を画策する厄介な勢力があまりにも強いからです。
そのため有意義な論考が封印され、無意味な人格攻撃で炎上する狂気の事態に陥りやすいのが現状です。
不毛論争と決別して歴史の真理に到達するためには、
錯綜した情報の中から事実を見抜き、
様々な種類の偏見を克服し、
社会的な禁忌に躊躇する事なく、
タブーとされている欺瞞をあぶり出す必要があります。
そのような極限状態の中で真相に辿り着くためには、
歴史仮説に対する実証的、
客観的、
論理的、
及び科学的な観点からの検証が必然となります。
幾多の困難な課題を抱える歴史問題の解決には、
自然科学よりもはるかに強固な論理的思考が必要です。
即ち、歴史とは間違いなく「人文科学」という「科学」の一種なのです。
科学的な思考能力を持つ疑似科学批判者達にとって、正に相応しい問題です。
実際に欧米ではスケプティックソサエティ等が擬似史学を絶えず批判しており、
我が国の疑似科学批判者も見習うべきです。
疑似科学批判者達が「歴史修正主義の批判に熱心でない」と批判されるのも仕方のない事です。
疑似科学批判者が歴史修正主義を批判する正当性の根拠は何ですか?
疑似科学批判者が歴史修正主義批判をする正当性の根拠は、「知的な責任(intellectual responsibility)」という概念にあります。
ノーム・チョムスキーの言葉を借りれば「知識人は真理を究明し、虚構を暴露する責任があります(intellectuals should make themselves responsible for searching for the truth and the exposing of lies)」。
知識人は皆、「知的なノブレス・オブリージュ」を果たすべきです。
即ち我々は客観的事実を直視する史実派であるべきであり、
疑似歴史を放置すべきではないという知的な責任があるのです。
疑似科学批判者達は偽史を判別して「正しい歴史認識」に辿り着く素質を多分に持ち合わせています。
「歴史修正主義」である事を知りながら傍観者として看過するのは「知的な不正行為」となる可能性が有ります。
過去の悲劇を教訓として失敗を清算するためには、
我々には偽史を拒絶する義務があると言えるでしょう。
これは国民一人一人が真剣に向き合うべき課題であり、
「非専門家は干渉すべきでない」というような口実を免罪符にして逃避すべきではありません。
疑似科学批判者が歴史修正主義を批判したとしても、何か役に立つ事があるのですか?
疑似科学批判者達は以下のような論理的思考によって袋小路を突破する潜在能力を秘めています。
- 自己愛感情や勧善懲悪、利害関係などから切り離し、客観的真理を追求する
- 被害者意識、加害者意識などから独立し、中立の姿勢で客観的真理を追求する
- 社会的要請、倫理的要請に服従する事なく、客観的真理を追求する
- 政治的な妥協点を模索する事なく、客観的真理を追求する
- 自身の信奉する理念、原則に違反する結果となったとしても「知識人の公正さ」を放棄する事なく、主観的立場を排除する
- 全か無かの思考に陥る事なく、肯定的特質と否定的特質の両方をあわせ、全体として捉える
- 行き過ぎた一般化を行わず、慎重に解析する
- 物事の因果関係を単純に帰結せず、慎重に分析して事実関係を明確する
- 「感情に訴える論証」に基づいた「前提のごまかし」を容認しない
- 論理的誤謬に注意して「結論の飛躍」を行わない
- 「検証する方法が存在しない」と簡単に諦めず、間接的方法で検証するなどの対策を考案する
- 実証的、科学的な方法で歴史仮説を徹底検証する
- 複雑な歴史事象を科学的知見を持って整理し、問題の在り処を解析する
- 信頼性の無い証言、物証、虚偽情報などに対し、疑問を持つ
- 確証を恣意的に解釈せず、ご都合主義に陥らない
- 垂直思考だけでなく「水平思考」の戦略を持つ事により、柔軟な着想をする
- 当然の事とされている前提を鵜呑みにせず、「ウーズル狩り」をする
- 社会的制裁にも屈従せず、毅然として立ち向かう
また疑似科学批判者は、以下のように真相に近づく論議の方式を取る傾向もあります。
- 論敵の主張への嫌悪感を抑制し、論理的に反論する
- 理論的態度などの本題とは関係の無い論法のやり方を問題とせず、実質的な議論をする
- 論者の権威や経歴、正体を侮蔑する事なく、仮説を適切に検証する
- 論者の動機を危険視する等、論点から脱線して「人身攻撃」という侮辱に走らない
- 傑出した論者を標的として多勢で人身攻撃による「吊し上げ」を行わない
- 認知バイアスや論理展開の誤謬を黙認する事なく指摘する
- 懐疑主義を忘れず、「理論武装」という偏向に陥らない
- 抽象概念を造語したり、よく分からない手続きを持ち出して論敵を翻弄しない
- 根拠を明示しないまま「既に結論が出ている」などとして誤魔化さない
- 異論に対して嘲笑、蔑視したりせず、敬意を払って適格に反論する
- 異論に対して言論弾圧や審議拒否をせず、議論を妨害しない
- 苦痛を伴う衝撃的な意見に対しても過剰に反感を抱く事無く承認し、黙殺しない
- 圧倒的多数を持って真理を確定する戦法を行使しない
- 自己保身に陥る事なく、論破された場合には潔く敗北を認める覚悟がある
- 検証結果を閉鎖的な場ではなく公共の場において発信し、情報を共有する
- 万人が注視する公共の場において透明な議論を行う
- 公共の場で討論する事により一面的ではなく、多面的な視点から議論を行う
このように疑似科学批判者達は、歴史問題という魔物が徘徊する混乱した暗黒の世界において、
秩序を構築する武器を持っています。
永遠に続く歴史修正主義論争という難題を終結させるための役割が、
期待されていると言っても過言ではありません。
日本社会が迷い込んでしまった袋小路からの脱出には、その活躍が期待されているのです。
むしろ、「疑似科学批判者達が議論に参加しないからこそ歴史問題は解決しないのだ」という自信を持って参入すべきです。
疑似科学批判者達が歴史問題の議論に参加する事により、
教科書教育では許容されないような画期的なアイデアを出す可能性が有り、
この国の社会に「科学的思考」という潮流を生み出す絶好の啓蒙の機会となるかもしれません。
歴史認識問題とは日本人が「水平思考」をできるようになり、
「歴史の真実」を誰の目にも納得できるような形で明らかにするだけで、
必ず解決する事ができます。
難問とされている歴史問題を解決して日本社会の未来を開くためには、
「科学的思考」を身に付けた疑似科学批判者達の活躍が期待されているのです。
2. 歴史修正主義とキャンセル・カルチャー
この世界には問題を議論ではなく吊し上げ、血祭り、見せしめ、口封じによる言論弾圧で愚民化して思考停止させて言いくるめ、
デタラメ歴史をもみ消し、言い逃れ、現実逃避する人達が存在します。
ここでは「ウーズル効果」という社会現象に着目し、
情報統制、世論誘導そしてキャンセル・カルチャーを用いて歴史修正主義が完成される過程を説明します。
本ウェブページ内容の複製、引用、リンク、再配布は全て自由です。