正当化論証の理論のウィキペディア英語版
〜Theory of justification〜
暁 美焔(Xiao Meiyan) 科学哲学研究家
2016.6.28
知識とは一体何なのか?
我々は「真理を信じ、間違いを信じない」ようにするためにはどうすれば良いのか?
知識を愛し、知識の探求に命を捧げた初めての人間はソクラテスであろう。
哲学者ソクラテスは自らの命よりも知識への愛を優先し、死刑にされた。
彼は一体何故、死を選んだのであろうか?
彼はその死をもって、後世に何を伝えたかったのであろうか?
そのソクラテスの英知を受け継いで、知識とは何かを考え続けたのがその弟子の哲学者プラトンである。
そしてそのプラトンが提唱したのが「知識とは正当化された真なる信念である」という「JTB定式」であり、これが「正当化」という概念の由来である。
プラトンの哲学こそが西欧哲学の原点であり核心でもある。
そしてそのプラトンが導入したこの「正当化」の概念もまた、西欧哲学の原点であり核心である。
「JTB定式」とは一言で言えば、真であると説明できる理由が必要であるという考えであり、「正当化」とはその「真であると説明する理由」である。
この「正当化」の概念を説明するために使用される「規範(norm)」や「オブリゲーション(obligation)」という概念自体が日本社会では馴染みが無いために、「正当化」の概念や正当化に関連して説明される「知的責任(intellectual responsibility)」、「知的な権利(intellectual rights, 知的所有権とは異なる)」等の概念を理解するのは難解であろう。
しかし、これらを理解して初めて科学哲学の原点であり、核心でもある概念が理解できるのである。
ノーム・チョムスキーの言葉を借りれば「知識人は真実を追求し、嘘を暴く責任がある(intellectuals should make themselves responsible for searching for the truth and the exposing of lies)」という考えであり、これを「知的厳格主義(intellectual rigour)」を持って実現するための理論が、この正当化の理論なのである。
ここで説明される概念を理解した時、これらの概念を持たない日本社会がかかえる問題も見えてくるだろう。
以下は英語版ウィキペディアにおける「正当化論証の理論」(Theory of justification)の簡単な翻訳である。
できるだけ正しく翻訳するように心がけてはいますが、間違っているかもしれません。
Theory of justification is a part of epistemology that attempts to understand the justification of propositions and beliefs.
正当化の理論とは、命題及び信念の正当化を理解するための認識論の一部である。
Epistemologists are concerned with various epistemic features of belief, which include the ideas of justification, warrant, rationality, and probability.
認識論者達は正当化、ワラント、合理性そして可能性などの信念の認識論的側面に関心がある。
Of these four terms, the term that has been most widely used and discussed by the early 21st century is "warrant".
この4つの概念の中で、21世紀に最も広く議論されている概念が「ワラント」である。
Loosely speaking, justification is the reason that someone (properly) holds a belief.
簡単に言えば、正当化とは主張者が信念を持つ理由である。
When a claim is in doubt, justification can be used to support the claim and reduce or remove the doubt.
主張が疑われている時、正当化は主張を裏付け、疑問を減少或いは除去するために使用される。
Justification can use empiricism (the evidence of the senses), authoritative testimony (the appeal to criteria and authority), or logical deduction.
正当化は経験論(五感による証拠)、信頼すべき証言(評価基準と権威に訴える)、或いは論理的な演繹を使用する。
正当化の主題(Subjects of justification)
Justification focuses on beliefs.
正当化は信念に対して焦点を当てる。
This is in part because of the influence of the definition of knowledge as "justified true belief" often associated with a theory discussed near the end of the Socratic dialogue Theaetetus.
これはテアイテトスにおけるソクラテスとの対話の最後の部分で議論された「JTB定式」による知識の定義の影響があるためである。
More generally, theories of justification focus on the justification of statements or propositions.
もっと一般的には、正当化の理論は声明や命題の正当化に焦点を当てる。
The subject of justification has played a major role in the value of knowledge as "justified true belief."
正当化のテーマは「JTB定式」における知識の価値において重要な役割を果たしてきた。
Some contemporary epistemologists, such as Jonathan Kvanvig assert that justification isn't necessary in getting to the truth and avoiding errors.
現代のジョナサン・クヴァンヴィッグなどの認識論者は、誤りを排除して真実を得るのために正当化は不要であると主張している。
Kvanvig attempts to show that knowledge is no more valuable than true belief,
and in the process dismissed the necessity of justification due to justification not being connected to the truth.
彼は知識が真なる信念ほど価値はなく、正当化は真実とは関係しないので必要性はないと示そうとしている。
正当化と説明(Justifications and explanations)
Justification is the reason why someone properly holds a belief, the explanation as to why the belief is a true one, or an account of how one knows what one knows.
正当化とは主張者が何故信念を持つかの理由であり、信念が何故真実であるかの説明、或いは情報をどのように得たかの根拠である。
In much the same way arguments and explanations may be confused with each other, as may explanations and justifications.
「説明」と「正当化」は混同されやすいが、「論拠」と「説明」もそれと同じように互いに混同されやすい。
Statements which are justifications of some action take the form of arguments.
行動の正当化の声明は、論拠の形式を取る。
For example, attempts to justify a theft usually explain the motives (e.g., to feed a starving family).
例えば、窃盗を正当化しようとする場合には普通、動機(飢えた家族を養うためなど)の説明である。
It is important to be aware when an explanation is not a justification.
「説明」とは「正当化」ではない事に注意せねばならない。
A criminal profiler may offer an explanation of a suspect's behavior (e.g.; the person lost his or her job, the person got evicted, etc.), and such statements may help us understand why the person committed the crime.
容疑者性格分析官は容疑者の行動を説明し(例えば失業した、強制退去させれれた等)、その説明は何故犯罪が行われたのかを理解するのに役に立つ。
An uncritical listener may believe the speaker is trying to gain sympathy for the person and his or her actions, but it does not follow that a person proposing an explanation has any sympathy for the views or actions being explained.
容疑者性格分析官の説明は別に容疑者の行動に対して同情しているわけではないが、
無批判な聴衆は彼が容疑者の行動に対して同情を得ようとしていると考えるかもしれない。
This is an important distinction because we need to be able to understand and explain terrible events and behavior in attempting to discourage it.
これは重要な違いである。
何故ならば恐ろしい事件や行動をやめさせるためには、我々はその行動を理解し、説明しなければならない。
正当化は規範的な行動(Justification is a normative activity)
One way of explaining the theory of justification is to say that a justified belief is one that we are "within our rights" in holding.
正当化理論を説明する一つとして、正当化された信念は我々に「権利の範囲内」という概念を持たせてくれる。
The rights in question are neither political nor moral, however, but intellectual.
ここで問題にしている「権利」とは、政治的でも道徳的でもなく、「知的な権利」である。
In some way, each of us is responsible for what we believe.
別の言葉で言えば、「我々は自分の信念に対して責任を持っている」とも言える。
Beliefs are not typically formed completely at random, and thus we have an intellectual responsibility, or obligation, to try to believe what is true and to avoid believing what is false.
信念は通常、ランダムに(理由も無く)形成される事はない。
我々には、
「真理を信じ、間違いを信じない」ように心がけるための「知的責任」或いは「オブリゲーション」を持っている。
(とりあえず、「知的責任」とは「知的公正さ」、「オブリゲーション」とは「知的なノブレス・オブリージュ」のような概念と考えて下さい)
An intellectually responsible act is within one's intellectual rights in believing something; performing it, one is justified in one's belief.
何かを信じる事に対して「知的責任のある行動」とは「知的権利の範囲内」にある事である。
それを実践する事で、その者の信念は正当化される。
Thus, justification is a normative notion.
このようにして正当化は「規範的(normative)」な観念である。
(「規範的」という概念も日本社会には馴染みがないが、とりあえず「正当、公正、誠実、〜であるべき」というような言葉から連想される何らかの概念であると考えて下さい)
The standard definition is that a concept is normative if it is a concept regarding or depending on the norms, or obligations and permissions (very broadly construed), involved in human conduct.
標準的な定義では「規範的」な概念とは、人間の行為に関して、広い意味での許可と、規範かオブリゲーションに基づいた概念である。
It is generally accepted that the concept of justification is normative, because it is defined as a concept regarding the norms of belief.
正当化とは一般的に「規範的」な概念であるとされているが、それは信念に関する規範の概念として定義されるからである。
正当化の理論(Theories of justification)
There are several different views as to what entails justification, mostly focusing on the question "How sure do we need to be that our beliefs correspond to the actual world?"
何が正当化を伴うかについては幾つかの考え方があるが、次の質問に焦点を当てる。
「我々の信念は現実世界に対応していると、どれだけ確信を持つべきか」
(この質問は「世界は複雑にからみ合っており、真理であるべき信念は、現実世界の他の事実と独立して存在できないはずだ」という認識論における考えから来ているであろう)
Different theories of justification require different amounts and types of evidence before a belief can be considered justified.
それぞれの正当化の理論は、信念を正当化するために、それぞれ異なる量とタイプのエビデンスを必要とする。
Interestingly, theories of justification generally include other aspects of epistemology, such as knowledge.
興味深い事に、正当化の理論は一般的に認識論における「知識」のような他の解釈を含む。
Popular theories of justification include:
正当化においてよく使われる理論には以下のものがある。
- Coherentism - Beliefs are justified if they cohere with other beliefs a person holds, each belief is justified if it coheres with the overall system of beliefs.
整合主義 - 信念は主張者が持っている他の信念と整合する時に正当化される。それぞれの信念は、信念系統全体と整合する時に正当化される。
- Externalism - Outside sources of knowledge can be used to justify a belief.
外在主義 - 外部に存在する知識が信念を正当化するのに使われる。
- Foundationalism - Basic beliefs justify other, non-basic beliefs.
基礎付け主義 - 基礎的な信念が、基礎的でない信念を正当化する。
- Foundherentism - A combination of foundationalism and coherentism, proposed by Susan Haack.
基礎整合説 - 純粋な基礎付け主義(無限後退に陥る)と純粋な整合説(循環に陥る)がそれぞれもつ難点を避ける理論としてスーザン・ハークによって考案された。
- Infinitism - Beliefs are justified by infinite chains of reasons.
無限主義 - 信念は無限の理由の連鎖によって正当化される。
- Internalism - The believer must be able to justify a belief through internal knowledge.
内在主義 - 信念は内在する知識によって正当化されなければならない。
- Reformed epistemology - Beliefs are warranted by proper cognitive function, proposed by Alvin Plantinga.
改良認識論 - 信念は適切な認識作用によって保証される。Alvin Plantingaによって提案された。
- Skepticism - A variety of viewpoints questioning the possibility of knowledge.
懐疑主義 - 知識の可能性への様々な観点からの懐疑。
- truth skepticism - Questions the possibility of true knowledge, but not of justified knowledge
真実の懐疑主義 - 真なる知識の可能性への懐疑、しかし正当化された知識への懐疑ではない。
- epistemological skepticism - Questions the possibility of justified knowledge, but not true knowledge
認識論的懐疑主義 - 正当化された知識の可能性への懐疑、しかし真なる知識への懐疑ではない。
- Evidentialism - Beliefs depend solely on the evidence for them
証拠主義 - 信念は証拠だけに依存する。
正当化基準(Justifiers)
If a belief is justified, there is something that justifies it, which can be called its "justifier".
信念が正当化される場合、正当化する何かがある。それは正当化基準と呼ぶ。
If a belief is justified, then it has at least one justifier.
信念が正当化される時、少なくとも一つの正当化基準がある。
An example of a justifier would be an item of evidence.
正当化基準の例は証拠物品である。
For example, if a woman is aware that her husband returned from a business trip smelling like perfume, and that his shirt has smudged lipstick on its collar, the perfume and the lipstick can be evidence for her belief that her husband is having an affair.
例えば、ある女性が夫が出張から帰った時に香水の香りがし、シャツの襟に口紅の跡があった場合、香水と口紅が情事があったという信念の証拠となる。
In that case, the justifiers are the woman's awareness of the perfume and the lipstick, and the belief that is justified is her belief that her husband is having an affair.
この場合、正当化基準は女性の香水や口紅への認知であり、夫に情事があったという彼女の信念は正当化される。
Not all justifiers have to be what can properly be called "evidence"; there may be some substantially different kinds of justifiers available.
全ての正当化基準が「証拠」と呼ばれる物ではない。
幾つかのかなり異なる正当化基準が利用できる。
Regardless, to be justified, a belief has to have a justifier.
信念には正当化基準が存在しなければならない。
正当化されるかどうかには関わらず。
Three things that have been suggested as justifiers are:
正当化基準に関して3つの事が提案されている。
- Beliefs only.
信念のみ
- Beliefs together with other conscious mental states.
信念と精神の知覚状態
- Beliefs, conscious mental states, and other facts about us and our environment (which one may or may not have access to).
信念と、精神の知覚状態と、環境とつながる何らかの事実(アクセス可能かどうかは別にして)
At least sometimes, the justifier of a belief is another belief.
信念の正当化基準が、他の信念である事はよくある。
When, to return to the earlier example, the woman believes that her husband is having an affair, she bases that belief on other beliefs—namely, beliefs about the lipstick and perfume.
先ほどの例に戻ろう。
女性は「夫に情事がある」という信念の基盤となっているのは他の信念、すなわち口紅と香水に対する信念である。
Strictly speaking, her belief isn't based on the evidence itself—after all, what if she did not believe it?
厳密に言えば、彼女の信念は証拠自体を基盤としているのではない。
彼女がそれを信じないとしたらどうなるだろう?
What if she thought that all of that evidence were just a hoax?
もし彼女が、全ての証拠がでっち上げだと考えたらどうなるだろうか?
What if her husband commonly wears perfume and lipstick on business trips?
もし夫がよく香水や口紅を付けて出張していたとしたらどうなるだろう?
For that matter, what if the evidence existed, but she did not know about it?
証拠があったとしても、彼女がそれを知らなかったとしたら?
Then, of course, her belief that her husband is having an affair wouldn't be based on that evidence, because she did not know it was there at all;
その場合、夫の情事に対する彼女の信念は証拠に基づいているのではない。
彼女は知らないのだから。
or, if she thought that the evidence were a hoax, then surely her belief couldn't be based on that evidence.
或いは、証拠がでっちあげだと考えた場合、彼女の信念は証拠には基づいてなどいない。
Consider a belief P.
Pという信念を考えよう。
Either P is justified or P is not justified.
Pは正当化されるか、或いは正当化されないか。
If P is justified, then another belief Q may be justified by P.
もしPが正当化されれば、他の信念QがPによって正当化される。
If P is not justified, then P cannot be a justifier for any other belief:
neither for Q, nor for Q's negation.
Pが正当化されていなければ、PはQやQの否定などの他の信念の正当化基準とはなりえない。
For example, suppose someone might believe that there is intelligent life on Mars, and base this belief on a further belief, that there is a feature on the surface of Mars that looks like a face, and that this face could only have been made by intelligent life.
例えば、火星に知的生命が存在すると信じる者がいるとする。
その信念の基盤は、「火星上の表面にある顔のような特徴は、知的生命によってのみ作られるはずだ」という信念であったとしよう。
So the justifying belief is: that face-like feature on Mars could only have been made by intelligent life.
正当化基準である信念とは「火星の顔のような特徴は知的生命によってのみ作られる」というものだ。
And the justified belief is: there is intelligent life on Mars.
そして正当化された信念は「火星には知的生命がある」である。
But suppose further that the justifying belief is itself unjustified.
だが、正当化基準である信念は、それ自体が正当化されていないと仮定してみよう。
It would in no way be one's intellectual right to suppose that this face-like feature on Mars could have only been made by intelligent life;
「火星の顔のような特徴が知的生命によってのみ作られる」と仮定する「知的権利」などあるはずがない。
that view would be irresponsible, intellectually speaking.
知的に言えば、そのような考えには「知的責任」がない。
Thus, such a belief is unjustified because the justifier on which it depends is itself not justified.
このような場合、信念は正当化されない。
何故ならば正当化基準自身が正当化されていないのだから。
(主張者は「香水や口紅」や「顔のような特徴」等の確証が正当化基準となると考えているが、実際には「それらの確証が結論を導く」という信念が正当化基準となっている。
主張が「知的権利の範囲内」である事を確認するためには、基盤となっている信念が確証だけに依存するのではなく、現実世界との対応を確信するために正当化論証を行い、「知的責任」を果たさねばならない。
即ち、「確証だけに依存して、現実世界と対応していない主張をする者は、知的責任を果たしていない」)
よく使われる正当化基準(Commonly used justifiers)
A3. 正当化論証の理論
哲学的な立証責任,
道徳主義的誤謬,
知識人の公正さ,
プープーの誤謬,
駝鳥政策,
ウーズル効果,
組織的強化,
フォークデヒル,
関与のエスカレーション,
井戸に毒を入れる誤謬,
無敵の無知論証,
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